古いレコード棚から救出されたアーカイヴ
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大友 良英 |
今回の原稿は、リュック・フェラーリの作品《水から救出されたアーカイヴ》参加について、曲の依頼〜リハ〜本番までの「Inside Report」を、時間のある時に、字数制限もフォーマットも、特にありません・・・という依頼。締め切りもないし、字数制限もないし、原稿料もないしで、友人からの依頼みたいなもんなんで、趣味でインターネット配信している「JAMJAM日記」と同じような調子で、周辺的なことも含めて、だらだらと日記風に書くことにする。多分そのほうが、演奏した本人が作品のことをグダグダ生真面目に書くより、後々読んだときに、なんらかのリアリティがつたわるような気がするし。というわけで、JAMJAM日記フェラーリ特別編をどうぞ。
偶然なのだが、わたしはこの作品の初演を見てるただひとりの日本人かもしれない(注1)。1999年、場所はベルギーのゲント。ここで行われたニューミュージックのフェスでのことで、わたしはたまたま別の日に同じフェスでボブ・オスタータグとDUOをやることになっていた。なにしろ長年のアイドル、フェラーリを見られるとあってわたしの期待はふくらみにふくらんでいた。彼のとりわけ初期のテープ作品が大好きだったのだ。でも期待が大きすぎたのかもしれない。おまけに前々日に食べたタルタル(牛さしみ・・・フランス料理)にあたってしまい、ものすごい下痢の翌日で、その日は憔悴しきっていた。そんなわけで、初演はけっして悪い出来ではなかったと思うのだが、わたしにはいまひとつぴんとこなかった。それ以上にこのコンサートの印象を悪くしたのは、彼のほかの作品を演奏した現代音楽アンサンブルだった。これは演奏者がよくなかった。アカデミックの香りがぷんぷんする、およそおしゃれじゃない黒い服を着た人々が、ドラムセットやシンセサイザー、サンプラー等のいわゆるロック系の楽器を沢山つかって演奏するのだけれど、もう音色を聞いているだけでガサツすぎて堪えられない。譜面づらの打点があってりゃいいってもんじゃない。あくまで個人的な好みだけれど、わたしはこの手の「ぼくらはノイズやポップスにも理解があります」みたいなアカデミックなアンサンブルは嫌いだ。なにより下品に見えるし、上からものを見られているようで不愉快でもある。実はこのアンサンブルからはシュトックハウゼンの作品での共演を依頼されていたのだけれど、体調は最悪だし、音楽を聴き終わった後あまりいい気分がしなかったので、演奏後彼等に挨拶することなく会場を離れてしまった。本当はフェラーリにも初対面の挨拶をしてCDの1枚もわたしたかったけれど・・・。(後日談になるが、シュトックハウゼンの話は幸い立ち消えた。)
さて、さんざん悪口を書いたけれど、それでもわたしはフェラーリは大好きで、このとき見た彼のステージでのいでたちも、アンサンブルとは対照的に、香りたつくらいお洒落で、その姿だけでもうっとりした。初演の相方DJオリーブも、友達としても、ミュージシャンとしても好きだしね。そうそう、このときはじめて見たフェラーリは、現代音楽界のゲンズブールみたいな印象で、ものすごい色気を感じてしまった。音楽はどんなジャンルであれこれがなくちゃ。でも、かんじんの、初演《水から救出されたアーカイヴ》は、DJオリーブやフェラーリの演奏のこなれて無い感じが出てしまったように見えたのだ。とはいえ、この先この作品には、もっといい感じになる可能性も感じていた。(事実このあとフェラーリは何度もこの作品をDJオリーブ等と演奏していて、内容も素晴らしいものだと聞いている。)
翌日わたしは同じフェスでボブ・オスタータグとDUOをやった。かなりいい演奏だったと自分でも思えるくらいの出来だった。終わったあと楽屋にリュック・フェラーリがやってきてコンサートを褒めてくれた上に、すでに私の作品をいくつか聴いていてくれて、逆に彼からCDをプレゼントされたのだ。嬉しかった。これが今回の公演の布石になったのだと思う。東京での本公演への参加は彼から直接の指名。こんな嬉しいことはない。
今回のために、わたしはマルタン・テトロやフィリップ・ジェックとの北欧ツアーを断って帰国した。フェラーリとの共演が楽しみだったのもあるけれど、なにより彼の曲がどうなっているのかを知りたかったからだ。スウェーデンのエーテボリから帰国したその足で新宿PIT INNでのさがゆきとのライブ(注2)をこなした翌日、時差ぼけの体を叩き起こして、北区のとあるリハーサルスタジオへ。実は、1週間くらい前から左手がいたみと同時に痺れていて、この日は楽器運搬もままならない状態だったのだ。さすがに腕の痺れは演奏に差し支えるし、困ったもんだ。今回は企画してくれたキャロサンプの野田氏が楽器はこびも手伝ってくれて大いに助かった(注3)。
フェラーリ夫妻をスタジオに連れてきたのは鈴木治行氏。彼とは初対面だけれど、コンサート会場で顔を何度も拝見していた。あ、この人がそうだったのか。現場で何度も見かける人をわたしはすぐに信用してしまう傾向あり。フェラーリ夫妻からはそこはかとなく素敵な香りがただよってくる。なんの香水だろう。わたしはほとんどの香水の香りが嫌いで、香水から色気なんてまったく感じないのだけれど、たまに、ごくまれに、ほんのわずかに質素に香る、香水なのか、その人の匂いなのかもわからないような香りに、こころを奪われてしまうことがある。 それにしても、この香り、かつてどこかで出会ったような。
フランス語で書かれた譜面(野田氏が訳してくれた日本語がわきにそえてある)には、彼が2台のCDプレイヤーを使ってやることと、わたしが2台のターンテーブルを使ってやることが、時間軸に沿ってシンプルに書いてある。わたしへの指示は、ピアノやフォルテといった通常の譜面につかわれている強弱記号のほかに、ちょっとしたイメージ(激しいかんじ・・・とか)や使う素材へのシンプルな指示(声を使う・・・といった程度のもの)、それから演奏方法(不規則に・・・とか、最初につかったものが、再び使われる・・・みたいな)ものが、やはり時間軸にそって、フェラーリの演奏するCDの内容に対応するように書かれているにすぎない。かなり複雑な譜面も覚悟していたわたしにとって、少々拍子抜けではあったけど、逆に、これなら90年代にさんざんやってきた方法とそんなにちがわないし、お手のものなので、自由に深く作品を解釈出来そうな気がした。
久々に持ち出した大量のレコードからいくつかをえらびつつ、最初からパートごとにリハをする。この数年わたしはレコードをほとんど使わないターンテーブルの演奏に興味がいっていたので、このやりかたは久しぶりのことだ。とはいえ、今はレコードの中身のサンプリングにはほとんど興味がないので、あくまでもそれぞれのレコードが持っている音の質感に焦点をあてることにした。無論エフェクター等は一切つかわない。これをつかうとレコードのテクスチャーが台無しになるからだ。
まずはフェラーリの出すCDの音とわたしの演奏をあわせてみる。フェラーリからは、シンプルなイメージが伝えられて、それにさえかなっていて、時間軸上の指示をクリアしていれば、実質わたしはなにをやってもいい。譜面には何分何秒といった指示もあるのだけれど、それにそってフェラーリが演奏するので(彼のやることはほぼ事前に決まっている)、時計を見なくても、彼の音さえ聞いていればどこを演奏しているのかすぐにわかる。要は参加したDJ次第でこの作品はどうにでも転ぶことが出来る。幸いわたしの試す音のほとんどをフェラーリは気にいってくれて、特にレコードをつかわない演奏に興味を持ってくれたようだった。こうなると本当にやりやすい。リハは予定時間のはるか以前、わずか2時間程度であっというまに終わってしまった。この日は時差ぼけと腕の痛みで疲れていたので、早々帰宅。あとはもう本番とばかりに、ぐっすり翌日の昼過ぎまで寝てしまった。
本番当日、六本木スーパーデラックス。友達のマイクがやってるこのスペースがわたしは大好きだ。音楽をやる場所は、基本的に楽しく遊ぶ場所であるべきだ。地ビールを出し、おいしい料理を出し、この手の音楽が大好きなオーナーや、その友人のアーティストが集まり、静かな演奏をするときには従業員も一致協力して静かにしてくれるこういう場所に、この作品は相応しい。なによりフェラーリにぴったりだ。
簡単にサウンドチェック。それぞれの音の響き方や音量、スピーカーの位置等を設定しつつ、軽く真ん中のパートをリハーサル。あまり音がいいとはいえなかったリハの会場と違い、ま、なんとか聴ける音に調整できたんじゃないかな。このリハもちょこっとやった程度でさっさと終了。本番まであと2時間あるのでひとりで散歩にでることに。六本木は数ヶ月ぶりだ。早々青山ブックセンターに行って、次のツアーで読む小さめの本を物色。来年はベルリンに長くいる予定なので初級ドイツ語の本も購入(注4)。散歩するつもりが結局本屋で散財。立ち食いそばを食べて会場にもどると、結構人がはいっている。よかった〜。ほっと胸をなでおろす。オレは主催者じゃないけど、こういういとき、ついつい主催者のことを考えてしまうくせがある。霞食ってるわけじゃないもんなあ。なにより赤字のコンサートはきつい。お客さんは、現代音楽系でよく顔をみかける硬派なかんじの男性から、もっと若い人たちまで、女性も沢山いていい感じのミックス具合。よく見かけるトフさんの顔がちらりと見えてなんだか安心する。
時差ぼけでうつらうつらしながら、横になって彼の最初のセットを聴く。この会場にはゆったりできるソファがいくつもあってありがたい。夢心地でいい気分。テープ時代のテープっぽい質感が好きだったわたしとしては、最近のなんとなくデジタルな香りのする彼の音はいまいち好みではないのだけれど、でもこれはこれで、ありかなと思いつつ、またちょっとうつらうつら。いや、ありどころか、結構良かったりして・・・なんて思いつつ、またうつらうつら。考えてみたら失礼な共演者だ。すいません、フェラーリさん。でも、気持ちよかったんだもん。
来てくれた友達にやあやあと挨拶しているうち休憩も終了。さてさて本番だあ。よっしゃ。
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しゅわ〜、 がががが・・・・・中略・・・・ ざざざざ〜、 き〜ん・・・・・・・・・・・以下略。 |
演奏終了後、何人ものお客さんから自由に即興してましたね〜と言われたのだが、とんでもない。わざわざいつもやってるような即興をするために、過酷なスケジュールを縫って欧州からもどってくるほど酔狂じゃない。わたしはフェラーリの譜面と指示を100%まもりつつ、この日は、同時に自分自身のすでに捨ててしまった素材や演奏方法等の諸概念のアーカイヴを過去の棚からさがしだすように演奏することにしたのでした。フェラーリにとってこの作品が彼の作品の音や諸概念のアーカイヴになっているのと同じように。
まずは冒頭の声のところは今から13年前に劇団「燐光群」のために書いた作品のなかで使った特徴的なタイの女性の声と、今から7年前にスパンク・ハッピーというポップスバンドで演奏したときによく使っていた北京語のレコードを中心に、さらに今よくやっているような特殊針をつかったレコード以外のターンテーブル音も使いつつ、コラージュと音響的な手法が共存するような・・・といった具合に。同じように各セクションも私自身の過去と今の方法と素材をおりまぜつつ演奏した。激しい部分にはかつて山塚アイとやっていたときにこすっていたブレイクビーツも使ったし、実に久しぶりに、レコードを引っ掻く音やスクラッチまがいのノイジーなこともやらせてもらった。後半のフェラーリのCDから流れてくる海の音のパート以降は、徐々にレコードに録音された音の量をへらしていきカートリッジやターンテーブルそのものの音だけを使う演奏に移行、最後は完全にレコードを使わない演奏に・・・って具合に。洒落みたいなもんだけど、この作品の題名とコンセプトにもとづいてわたしの方は「古いレコード棚から救出されアーカイヴ」みたいにしてみたんすが、わかってもらえたかな? だから全然即興なんかじゃないんだけどね。
そうそう100%譜面を守ったって書いたけれど、ひとつだけ、フェラーリの指示をまもらなかったところがあって、それはエンディング部分の長さに関する指定。わたしは実際の指定より3〜4分長く演奏させてもらった。そのほうが、ここは絶対いいと思ったのもあるけれど、なにより、ひとつくらいは、イエローカード寸前くらいの反則もしておかなくちゃ・・・って思ったのだ。作曲者が全てを支配する作品なんてフェラーリ自身も望んでいないはずだし、ましてやこのくらいラフで、共演者に自由が許されてる作品で、しかもオレに頼む以上はこんくらい覚悟してもらわないとね。終わりを見失ってるんじゃないかと心配するフェラーリの視線をよそに、ゆっくりとランディング。ごめんねフェラーリさん。でも素敵なエンディングになったでしょ。
沢山の拍手。フェラーリさんも彼の奥さんもすごいよろこんでくれて、なにより私自身が一番楽しませてもらった。腕の痛みを堪えて帰国した甲斐があったってもんだ。あ、そういえば腕の痛み演奏中だけはぴたりと止まってました。録音のほうは秋山徹次さんがやってくれていたので、、内容さえよければCDにしたいな、これ。
終了後は、友達の女の子のセクハラの相談をうけつつ(笑いごとじゃないです。上司からのセクハラで、会社の力関係やなにかで、彼女はノイローゼになっちゃんたんですから。男の皆さん、力関係を使ったセクハラは絶対しちゃいけないっすよ〜)皆でがやがや、話をしながら片付けをした後、スタッフや友人と皆で近所のチャイニーズレストランへいって北京ダックを。ここは非常に安くてまるで北京なみのお値段。おまけにお店のそこここに男性器や女性器のまるで秘宝館なみのディスプレイがあって、フェラーリ夫婦もおおよろこびでばしばし写真をとられておりました。ちなみにご夫婦は、かわいい女の子を見ると写真をとったりしていて、なんかいい感じであります。そうそう、今回もうひとつの収穫は鈴木治行さんともお知り合いになれたこと。彼怖い人かと思っていたら実にいい感じのキュートな人で、妙にこの秘宝館にマッチしていて、とってもなごめました。
非常に残念なのは今回フェラーリのほかのライブをみることが出来なかったこと。わたしはこのライブの翌々日にはカナダに出発。2週間にわたるソロとマルタン・テトロとのDUOのツアーで出かけなければならずで、いったいいつまでつづくのやらこの旅暮らし。忙しいのはいいことだけど、他の人のコンサートをなかなか見れなかったりするのが辛いなあ。フェラーリさん、またどっかでこの作品でも、別のでもいいからやりましょうよ。そんときは、どこだろうと飛んでいきますから。ね。・・・・なんて、ついつい思っちゃうからオーバーワークになんちゃうんだ。でもね、こればっかりはね、やっぱやめられない。
あ、これを書いていて、香りのこと、思い出しました。今から20年以上前、フリージャズのコンサートで何度もお見かけし、こっそり近くにすわったりしたこともある、あこがれの殿山泰司さんが漂わせていたほのかな香りと同じでした。歳とったら、わたしもあんな香りをただよわせて、かわいい女の子に好かれる現役のじいさんになろう・・・なんて心にきめた次第であります。
(注1) 記憶があいまいだけれど、もしかしたら会場には、ミュージシャンのHACOちゃんがいたかもしれない。彼女も同じフェスで別の日にソロで演奏していたはずだ。日本ではわかりにくいかもしれないが、HACOやわたしの欧州での人気は、自分でいうのもなんすが、これでなかなかのものなのだ、ほんとほんと、信じて〜。このときもHACOちゃんのソロは素晴らしくて、大聴衆を魅了してました。わたしも魅了されました。
(注2) さがゆきは、作曲家中村八大の最後の専属歌手だった人で、この日はさがさんの誕生日ってのもあって、彼女をかこんで、気のおけない数名のミュージシャンで中村八大の曲を演奏。わたしはギターとバンジョー、それとバンドのまとめ役みたいな形で参加、非常にいいライブになりました。
本来は、この日もフェラーリとのリハの日だったのだが、日程がずれたので、急遽さがさんのほうをやることに。フェラーリも大好きだけれど、60年代の歌謡曲の作曲家の作品は、わたしにとってはやはり特別で、無理をしてでもやりたい素材なのだ。今回のライブを出発点に、いずれは中村八大の曲もなんらかの形で作品にしたいと思っている。
(注3) 結局この腕の痛みは、長年の過酷なツアーと度重なるエコノミークラスの長距離フライトが原因で、頚椎をいためたことからくる左手の麻痺だとわかった。今年はほぼ毎月欧州かアメリカにいってるしで、やっぱ無理がきているのだ。たまたまフェラーリのコンサート会場で会った歌手のKさんが、そっちのほうの治療もしていた関係で、応急治療してもらい、とりあえず、その翌日から始まるカナダ、アメリカツアーを今現在無事にこなしています。とはいえ、応急処置なので、どなたか根本治療をしてくれる整体等のいい先生がいたら紹介してください。ほかの部位とちがって手だけは大切な商売道具なので。ちなみに今回の原稿はそのツアーの移動中に主に飛行機内で書いたもの。
(注4) この何年かベルリンの旧東側のプレンツラウアーベルク周辺に面白いミュージシャンが沢山あつまっていて、連日のようにどこかでライブがおこなわれている。フェラーリとのコンサートのほんの1週間前、わたしはベルリンに1週間ほど滞在して、来年のプロジェクトの打ち合わせをしてきたのだけれど、ここなら引っ越してもいいと思えるくらい、毎日毎日なんかしらライブやパーティがあって、おまけに昔とちがって、美味しくて安いレストランやカフェがこの界隈に沢山できた。はじめてこの界隈にきて演奏したのは13年前で、そのころは店ひとつない寂しい地域だったのに。アンドレア・ノイマン、アネッタ・クレブス、アクセル・ドナー、クリストフ・クルッツマン等がこの辺に住んでいて、わたしの滞在中にもオーストリアからひとり、日本からもひとりミュージシャンがこの界隈に越してきていた。ほかにも旧友のトニー・バックもすんでいて、彼が参加しているオーストラリアのバンド「ニックス」のピアニスト、クリス・エイブラハムスもここに長期滞在していた。若手にいたってはいったい何人いることやら。どこかで見たような顔に沢山出くわすのだ。
来年はここで、2月、5月、6月と別々のプロジェクトに参加することがきまっていて、場合によっては2ヶ月近い滞在になりそうで、この界隈ではミュージシャンもレストランでも普通に英語は通じるとはいえ、少しでもドイツ語がつかえたほうがなにかとよさそうなんで、ちょっと勉強してみる気になったのだ。とはいえもともと語学習得は得意じゃないしで、さて、いつまでつづくか(苦笑)。
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