大友良英《ANODE》東京公演 |
鈴木 治行 |
大友良英の《Anode》は、既に2001年にTZADIKからディスクが出ていた(Composer Series, 7073)が、東京で生で聴ける機会はこれまでなく、その意味で今回の公演は貴重な機会であった。ここでは、この日の報告と合わせて《Anode》という作品自体についての若干の考察を試みる。
今更言うまでもないことではあるが、大友はGround-Zero解散後方向性を大きく変えた。その変化はI.S.O.やfilamentといったユニットから始まったが、それまでとは逆に、情報量を絞り込み、切りつめてゆく方向に大きく振れていった。この方向の根底にある「引き算の発想」(Sachiko M)はその後現在に至るまで大友の創作において重要なインスピレーションのひとつとなっている。元々大友の音楽には即興をやっていても構成のセンスが強く感じられたものだが、それは彼が作曲家的な資質も備えていることを示していた。その彼が《極小の記憶》や《Cathode》などで作曲に接近したのは自然な流れであった。作曲といっても、純クラシック的な意味で音事象を逐一細かく記譜するわけではないのだが、予め何をどうするのかについての道筋、あるいはそこで何が起きるべきなのかというコンセプトを練っておいて、それを他者にも伝わるように記す、というアプローチが「即興」という概念に対立するものとしての「作曲」ということだろう。ちなみに代々木・Off Siteで以前企画されていた「Composed Music Series」(杉本拓主催)における「作曲」もこれと同じ定義だったといえよう。作曲を「エクリチュール」や「メチエ」中心に捉えると、ここにはそれはないことになるが、「アイデア」乃至は「コンセプト」が重視されるならばそれは十分「作曲」である。ここに、エクリチュールの洗練度で評価が左右される、多くの現代音楽にありがちな価値観の偏りが逆照射されて浮かび上がってくるのではあるが(この意味でも「即興」の側からの「作曲」へのアプローチは興味深い)、話が逸れるので今は措く。
さて、先に述べたようなミニマルに音を削ってゆく傾向は大友やSachiko Mだけのものではないが、大友はそうした傾向を代表する人物でもあるラドゥ・マルファッティ(トロンボーン)や杉本拓(ギター)と共演した時の体験について語っている。彼によると、「この手のコンサートに出くわすとまず起こるのは、耳が神経質なくらい敏感に開くこと」で、やがて「音と音の境界がぼやけて、ある種、ありとあらゆる音が溶けたような独特の体験を耳がし出す」。こうした体験はおそらくGround-Zeroの頃はなかったことなのではなかろうか。音楽というものが、世界に向けて自分の側から発信してゆくものであるならば、通常自分の「音楽」と「世界」とは明確に区別されている。音楽は提出されるべき「図」で、世界はそれを置くための「地」としてある。西洋的な意味での「作曲」とはそうした 「図」を作る作業に他ならない。その意味では、Ground-Zeroも「地」としての音楽を提出していたといえる。しかし、そうでない音楽のあり方へと一歩を踏み出した時、意識しようがしまいが、彼はケージ的な「聴く作曲」(近藤譲)へと結果的に近づくこととなった。
大友の中で「聴く作曲」への関心が次第に膨らんでいったその理由や経緯をいま追うことはしないが、CD《Cathode》(TZADIK, 7051)にはその辺の転換点が期せずして記録されていて興味深い。CD《Cathode》所収の《Modulation》のシリーズは音の干渉に耳をそばだてることが発想の原点となっていて、その起源には、こうした現象が最も明快に現れる正弦波への関心、及びその関心を呼び覚ますきっかけとなったSachiko Mとのfilamentなどの活動があった。作品《Cathode》のシリーズはまた《Modulation》とは異なっており、ここでは再び「地」としての音楽を提出する姿勢がいささか強くなっている。出来上がったものは最終的にはかなり「作曲作品」であるが、その「作曲」の細部を形作る素材が「即興」で、それを素に映画監督がフィルムを編集するように録音を編集、加工して作り上げた。この作品の場合、「聴く」ことへの関心は、例えば既に録音された音を演奏者がどのように聴いて反応するか、という点に発現しているとはいえ、それは最終的に大友によってコントロールされ全体の中に溶かし込まれている。そしてその《Cathode》を受け継いで出てきたのが、ようやく本題の《Anode》だが、《Cathode》と《Anode》の方向性はかなり異なったものとなった。
さて、12月20日の《Anode》東京公演では、《Anode》は前半に2番と3番、後半に1番が演奏された。まず状況を説明しよう。メンバーはどれも大友(ギター)、杉本拓(ギター)、西陽子(プリペアド十七絃)、秋山徹次(ターンテーブル)、Sachiko M(正弦波)、芳垣安洋(打楽器、ドラムス)、一楽儀光(打楽器、ドラムス)、植村昌弘(打楽器、ドラムス)、イトケン(打楽器、ドラムス)、高良久美子(ヴィブラフォン、打楽器)、恵良真理(クロテイル、打楽器)で、各奏者が聴衆を囲むように位置する(こうした配置にたしかに法政の学館はふさわしい)。前半の2番と3番はひとつに合わさった形で演奏されたので、ここでは区別せずに扱う(というのは、3番の譜面の言葉による指示の内容は2番の指示と矛盾しないので、これを2番と合わせて演奏しても指示が増えるだけのことで問題はない、ということのようだ)。
ごく簡単に言うと、前半の第2/3番は全体を通して静けさに満ちた散発的な音響が支配し、休憩を挟んだ後半の第1番は、打って変わって打楽器を主体とした大音量のカオス。一見静と動で全く対照的な2曲だが、実はその違いは表面的なものにすぎず、本質的には同じといってよい。それについては後述する。 もうひとつ大きな違いは、第2/3番では演奏者たちに囲まれた聴衆の位置は通常のライヴのように固定されていたのに対し、第1番では演奏に先立って、聴衆は演奏中自由に場内を歩き回ってよいというアナウンスが為されたこと。音響自体の違いに加え、この聴き方の違いによって聴衆の体験の質は異なるものとなった。以上がごく駆け足の状況説明だが、ではここで大友が何をしようとしていたのかを見てみよう。
《Anode》の譜面(『エスプレッソ』第11号に掲載)を見ると、ここでもこれまでの彼の「作曲作品」同様に言葉による指示が中心になっている。音楽に何らかの方向付けを与えることを「作曲」と呼ぶとすれば、ここではそれは、音符を加えてゆくのではなく即興を制限してゆくという逆の方向からのアプローチによって達成されている。《Anode》全体に共通する制限として、演奏者には、(1) 他の楽器の音に反応しないこと、(2) フレーズやリズムを出さないこと、(3) 起承転結等のストーリーを作らないこと、が要求されており、これもいわばやっていいことを制限してゆく「引き算の発想」に連なるものといえよう。更にその他に曲ごとの別の制限がある。第2番では、出す音は単音のみで、音の種類、音色、音量を毎回変えること、同じ音程の音列を続けないこと、余韻がなくなってから次のアクションを考えること、などが指定されている。音符の指定がないといっても、これだけの制限があれば音響空間のあり方はかなり限定される。フェルドマンの図形楽譜作品で、音符の指定がなくとも、音域の指定、発する音の密度などの制限から独自の音空間が立ち上った例などを想起することもできる。東京公演での《Anode》第2/3番では、空間内のあちこちで単発の音が間歇的に生起しては消えてゆく状況が聴かれたが、制限からいって当然そこにはいかなるドラマトゥルギーも音楽の方向性の変化もない。ひとつひとつの音を切り離すようになっているのでフレージングもない。反復に逃げることも許されない。音のやって来る方向が360度予測もつかず、その遠近感も音によってまちまちなのは、CDでは十分には捉えられないが、実際にライヴの空間に身を置くとはっきり感じられた。聴き手の側からすれば、単発の音がランダムに生起しては消えてゆく、スタティックな空間の中に一定時間身を置くという体験がこの作品を受容するということだろう。
第1番はというと、第2/3番とは逆に、余韻が消える前に次の音を出す、大音量の打楽器群を全速力で奏する、などの制限が課されている。編成からいっても打楽器の音が全体をほとんど覆い尽くしていて、その隙間にギターや正弦波の音が聞こえたり聞こえなかったり、という状況。第2/3番は音が小さいし密度も薄いので離れた所から来る音もはっきり聞き取ることができ、従って一箇所に留まっていても全体の生起する音を把握できるが、第1番のようなカオス状態になると、近くにある音で遠くの音がマスクされてしまうため、身近な音しか把握できなくなってしまう。そこで、自由に歩き回るようにすることで、任意の奏者の音を自分から聴きに行くことができるようにして、むしろ聴き手の側の移動によって音響体験に変化を導入した。Sachiko Mとの作業を通しての、正弦波の聞こえ方がちょっとした聞く位置の変化によって変わるという体験が、こうした設定の仕方にも影を落としているようだ。歩き回りながら聞くという設定自体は、かつて現代音楽で行われていた「遊歩音楽会」などという先例もあり、目新しいものではない。しかしそれでも、全体がカオスに覆われているので誰も音楽の全貌を一度に眺め渡すことはできない空間の中で、移動していった先の音が耳に入ってきて、その成り行きは一人一人の歩き方に応じて聴き手の数だけ異なっている、というあり方は興味深い。全体を一度に把握できる者がいないという意味で、この作品には「神の視点」に立つ者は存在しない。「群盲象を撫でる」というと悪い喩えになってしまうので差し障りがあるが、これはまさにそのような体験によって成り立つ作品なのだ。せっかく散らばって配置されている各奏者の音がスピーカーにいったんまとめられて出されると空間の多様性が潰れてしまうということもあってか、PAなしのセットにしたのも正解であった。
以上のように、《Anode》第1番と第2/3番とでは音響空間は正反対の様相を呈していたわけだが、この2曲は、即興を限定してゆくというひとつの発想が、音の密度と音量の限定の仕方が正反対であることによって、ネガとポジのような現れ方をしたものといえよう。
ここまで見てきた《Anode》のあり方に比べると、《Cathode》ははるかに成り行きを構成した「作曲作品」であった。大友自身の発言によると、《Cathode》では「ある中心点に向かって即興が貢献するような感じで、次第に固定したスタイルに向かってしまう」結果になって、それから遠ざかるための試みとして《Anode》が生まれたという。だが一方、本当に《Anode》は《Cathode》の中心指向から即興を解き放ったのだろうか、という疑問は湧く。即興とはいえ、ここで奏者に課せられている制限はかなり厳しいものだ。他人の音と無関係に音を出すのではなく、他人の音に十分に聞き入りつつ、それに反応しないように自分の音を出す、という姿勢はベイリー以後の先端的なフリー即興においてはキーとなるあり方のひとつだが、更にそれに加えてここでは音の出し方に厳しい制限がかけられている。聴き手にとっては、この空間は、これだけの人数の「反応しないという反応」の飛び交う場というよりは、結果的に大友が設定したスタティックな空間を体験する場になっていた。個々の奏者の「即興」は大友の設定した「音場」を構成する一要素として最終的に回収されてゆく。結果としてここに立ち現れたのはやはり「作曲」的な空間だったのではなかろうか、ただし《Cathode》が「作曲」的であったのとは異なった意味においてだが(注)。あるいは、そう感じてしまうのは筆者が「作曲」の側に寄っている人間だからであろうか。最後に、言わずもがなのことではあるが、ここで言う作曲/即興などという話は、もちろん、どちらが上、という価値観とは無縁であるということは、あらぬ誤解を避けるためにも、一応言い添えておきたい。
(注) 現代音楽との比較で言うと、《Cathode》は全体をある方向へ持ってゆこうとする作者の意志が明確に存在しているという意味で西洋的な前衛音楽に、《Anode》は場の設定は厳密に行われているがその成り行きはコントロールされていない(構造に関する指定は演奏時間のみ)という意味で偶然性以降のケージのあり方に近い。とはいえ、音の選択が即興によるものか偶然によるものかという差異は小さくはない。
(2003年12月20日 飯田橋・法政大学学生会館大ホール)
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