Assif Tsahar & 中谷達也 日本ツアーより |
野々村 禎彦 |
NYの即興音楽界を外から見ると、まず目に付くのはジョン・ゾーン(A.Sax.)に代表される、80年代ロウアー・イーストサイドシーンの推進者とその継承者たちのグループだろう。ライヴ会場ではTonic、レーベルではTzadikを中心とする彼らは、日本の即興音楽界との関連も深い。次に目に付くのは、ウィリアム・パーカー(Bs.)やマシュー・シップ(Pf.)に代表される、70年代ロフトジャズの流れを汲むグループである。米国ではAUM Fidelity, Eremite, Thirsty Ear、ヨーロッパではhat hutなどのレーベルが彼らの録音を積極的にリリースしている。両者は対立というよりは相補的な関係にあり、例えばジム・ブラック(Ds.)は双方で活動している。これら以外のシーンでは、Blaise Siwula(A.Sax.)を中心とするC.O.M.A.の活動が重要だろう。上記2グループのような、海外を視野に入れた派手なアピールは行っていないが、近郊都市の即興音楽家とも連携し、草の根の活動を息長く続けている。ショーン・ミーハン(Perc.)もこのグループの一員である。
だが近年、上記のいずれのグループにも属さない新世代が台頭しつつある。多少知られ始めたのはティム・バーンズ(Perc.)を中心とするグループで、スタンス的にはロウアー・イーストサイドシーンに近いが、バーンズはジム・オルーク・バンドの一員であることからもわかる通り、人脈的にはシカゴシーンに近く、ロウアー・イーストサイドシーンとは距離を置いている。彼らとは対照的に、スタンス的にはロフトジャズの影響下にあるのが、今回取り上げるアシフ・ツァハー(T.Sax.,B.Cl.)を中心とするグループである。hopscotchレーベルを運営するツァハー自身の音楽的志向はハードなブロウで押しまくるフリージャズそのものだが、彼の音楽的関心は広く、ボストンの音響的即興シーンの中核を担っていた中谷達也(Ds.,Perc.)とのデュオはそれを実証している。この世代でヨーロッパからの演奏依頼が最も多いのはツァハーだというのもうなづける。中谷はバーンズらとも交流があり、この世代ではブラックに相当する存在だと言えるだろう。
今回の日本ツアーはツァハーにとっては初来日、中谷にとっても、1995年にボストンに向かい、2000年に活動の中心をNYに移してから、音楽家として来日するのは初めてになる。2003年12月4日から20日まで、列車での移動を頻繁に繰り返すハードなスケジュール(それでも、毎日車を運転して長距離移動を繰り返す米国でのツアーよりは遥かに快適だとのこと)だったが、会場ごとの客層の違いを敏感に聴き取って、多彩な顔を見せてくれたようだ。筆者が聴けたのは東京圏での3回の公演、すなわち12月12日の代々木・Off Siteでのデュオ、12月13日の稲毛・Candyでの藤井郷子(Pf.)を加えたトリオ、12月15日の上尾・バーバー富士でのデュオの3公演である。
12日のOff Siteでの公演は、彼らにとっても全く新しい挑戦だった。この会場で平日の午後8時開演では、大きな音を出すことはできないが、彼らの普段の活動は、数ブロック先からでも聴こえる大音量の野外演奏が基本路線だというからなおさら。この日の中谷のセットは、基本的にはスネアとフットペダルで打つ中太鼓のみ、さらにピンを脇に立てて随時シンバルを取り付け、小物用の台(2連ドラムの骨格部分)もスネアに取り付けてある。彼はこのセットで、力を入れても大きな音が出ない奏法をもっぱら選んだ。キンをスネアに乗せて金属棒で叩いたり弓弾きしたりする奏法は彼の十八番だが、この日は伏せてプラスティック棒で叩く、最も鳴らない奏法を多用した。ブラシもシンバルやスネアの打撃には用いず、スネアを擦ったり素振りしたり。ロールのリズムを出したい時は、小シンバルや布の撥で太腿を叩いていた。一方ツァハーは、T,Sax.,B.Cl.とも極力リードを鳴らさないようにコントロールし続けた。ドネダのように、息が管を通り過ぎる音のみを響かせる場面もしばしば。実音と息音を独立にコントロールし、時々重音奏法も交えると音は三重になる。
中谷が聴かせたシンバルの弓弾きの多彩なヴァリエーションは、bowed metal orchestraというソロユニットでの活動を髣髴とさせた。さまざまなサイズを用意するのはもちろん、打ち出して凸凹にしたり撓ませたり、切り欠けを作ったりと、音色のパレットを広げるための変形や加工を行い、ピンに取り付けるだけではなく、スネア上に置いたり、強く押し付けて曲げたりと奏法も多様。さらにキンを弓弾きしてからスネア上に並べて互いに共鳴させたり、顔をスネアに近づけて声も共鳴させたり(左画像)。インタープレイにも見所は多く、中谷が電動泡立て器2台をスネア上で動作させると、ツァハーはスラップタンギングの粒を放出し、モーターとスネアの共鳴に合わせる。ツァハーの尺八風の寂寥としたソロに、中谷が中太鼓を遠くから間欠的に響かせ、日本的な「間」や「侘び」の境地をエキゾティシズムに陥ることなく現出させた瞬間は、この日のハイライトだった。各瞬間を精密にコントロールできる音楽家ならば、たとえ普段は大音量でプレイしていても、極小音量でも音楽を作ることができる。両者はエネルギーを外に吐き出すか、内に込めるかの違いにすぎない。
13日のCandyでの公演は、前日とはあらゆる意味で対照的だった。オーナーも常連もパワーフリー志向の店だけに、プレイもおのずとその方向に向かう。中谷のセットもそれを前提に、通常サイズのバスドラとフットシンバルを用い、前日はフットペダルで打っていた中太鼓はスネアと並べてセットに組み込んだ。オーナーのサウンドマニアぶりは相当なもので、オーディオに投資するのはジャズ喫茶では普通としても、再生音と共振しないようにアンプをプラスティック板で覆い、プレイヤー操作は隔離ブースで行うという徹底ぶり。防音の一軒家に店を移した時に、彼女の心は定まったのだろう。それを機に始めたライヴでもこだわりは変わらず、この日はアップライトだったピアノも、現在はグランドになっているという。
前半の最初は、ツァハー(T.Sax.)と中谷のデュオ。序盤は意図的に音を抜いていたが、徐々にヒートアップしてシーツ・オブ・サウンドに向かい、ピークのまま終曲へ。客席の高揚に音楽をシンクロさせ、ツァハーは肺活量、中谷はスピードで顔見せ。次は藤井と中谷のデュオ。ふたりともまずボストン、次にNYで活動している点で共通しており、共演者にはオーヴァーラップもあるが、藤井はバークリー音楽院とニューイングランド音楽院で学び、あくまでジャズの枠内で活動している(早川岳晴(El.Bs.)と吉田達也(Ds.)をリズムセクションに起用したロックビートのカルテットなど、枠内とは言っても境界に立っていることが多いが)のに対し、中谷はバークリー音楽院に早々に見切りをつけ、即興音楽やジャズのみならずロックやラテン音楽、あるいはダンスとの共演など、枠の中に収まろうとしない(もちろん、「クロスオーヴァー」という枠とも無縁)。彼の活動が藤井と交わることは殆んどなく、共演は初めてだったようだ。藤井が高音域の弦のハンマーが当たる部分にガムテープを貼り、即席プリパレーションで乾いた打楽器的なサウンドを作ると、中谷はドラムに布を敷いてダンプしたり鳴らない木片を叩いたりと、直接的に反応する。藤井の低音域の旋律断片や連打には、中谷はシンバルをリズミカルに弓弾きして応えるが、これに限らず普通にビートを出すことが要求される局面が多く、彼の個性は目立たない。音楽が鎮まると、中谷はスネアに乗せたキンを弓弾きして余韻を響かせたが、さらに展開しようとする彼を横目に、藤井が割り込んで音楽を終わらせた。前半最後は、藤井とツァハー(B.Cl.)のデュオ。彼らは多少の交流があったようで、藤井の素材をツァハーが伴奏したり展開したりする、伝統的な展開が無理なく続いた。藤井の渾身のクラスター(右上画像)やオクターブグリッサンドに、ツァハーはフリーブロウで応える。
後半はトリオで通し1セット。この日はPAを一切用いない演奏だったこともあり、前半のツァハーと中谷はアップライトの藤井に合わせ気味だったが、後半は自分たちの音楽を貫いた。だが、藤井がマスクされるわけではなく、中谷はスティックの違いによる音色変化に焦点を当てた精妙な演奏に向かい、ツァハーの音量も控え目になる。空間を音で埋めようとするのはむしろ藤井だ。彼女が中音域に手慣れた音を散らし、静かになったところで中谷はキンを中太鼓の上に並べるが、これから弾き始めようというところで藤井が低音連打を始め、中谷もしかたなくパワープレイに流れていく場面は象徴的だった。寄せては返す波のような流れの中で、客席に受けていたのはやはりパワープレイの頂点であり、この日の藤井のプレイは、サービス精神の表れと捉えるべきかもしれない。このような客層に間と音色の音楽を聴いてもらうために、彼らは最後に頭脳プレイを仕組んだ。最後の高揚の頂点から一挙にフェードアウトし、ピアノが抜けて聴衆が拍手の準備を始めると、ツァハーは最後の一吹きの代わりに息音交じりの高次倍音を循環呼吸で伸ばし、そこに中谷がキンの弓弾きで加わる。小シンバルの縁でスネアを擦るプレイを経て、電動泡立て器を取り出す。ここで藤井も、内部奏法の金属音で加わってくる。中谷はそれを受けて中太鼓にキンを並べ、太鼓を揺すってキンどうしが接触する響きも揺らす。さらに同じ太鼓上に電動泡立て器も置いて音色を変える。この間ずっと、ツァハーは循環呼吸を保ち続けた。音響プレイに耳を澄まさざるを得ない状況を十分楽しんでからフェードアウトしてエンディング。こいつは一本取られた、でもこういうのもいいじゃないか、という盛大な拍手に、この店を支える人々の懐の深さを感じた。
アンコールは、中谷がボストン時代にしばしば共演していたというかみむら泰一(T.Sax.)が飛び入りしたセッション。最初は、藤井とツァハーのクールなプレイに中谷がブラシで合わせ、かみむらが付いていく展開。藤井の区切りの和音を合図に、かみむらがフリーブロウを始め、中谷はバスドラ抜きの軽いビートを叩き出す。ふたりが十分に旧交を暖めたところで藤井とツァハーも加わり、全員でひとしきり暴れてアンコールらしく終わった。
12日と13日の公演は、おそらく全来日公演中でも静と動の両極にあり、ふたりの音楽を要素に分解すればこの2日間であらかた出尽くしていたのではないだろうか。その意味では、15日のバーバー富士の公演に関して、新たに付け加えることはない。中谷は、セッティング(下画像)は12日をほぼ踏襲したが演奏スタイルはむしろ13日に近く、ツァハーの音量やスピードも前2日の中間。だが、どちらの日も会場に彼らが合わせた音楽だったのに対して、この日は会場をあまり意識せず、彼らの普段着の音楽が聴けた。結果的にこの日の音楽が、彼らのデュオアルバム《Come Sunday》(hopscotch, 24)に最も近かったのではないだろうか。熱い盛り上がりも音色に専心する時間も、ひと続きの流れに取り込む。ただし、前半は音量的には多少遠慮していたようで、オーナーから音量の心配は無用と言われた直後の後半1曲目は、13日のピーク時と同程度の音量になった。
演奏開始前のMCでは連日、ツァハーがこのデュオの由来(ツァハーが日曜日の昼下がりにThe New York Underground Orchestraのライヴを企画したら非常に客が少なく、メンバーの中谷が「外で演奏しよう!!」と提案したのがきっかけ)を説明していたが、この日は中谷が担当し、今回のツアーではまずこの日のライヴが決まり、以後はオーナー松本氏の紹介のおかげで充実した公演を組むことができた、と謝辞を述べた。この日の寛いだ、しかし決して安逸には流れない演奏の陰には、松本氏の手厚いサポートがあった。内外の一流の即興音楽家たちも彼の情熱に惹かれ、この十数人で満杯になる床屋をしばしばツアー日程に加えているが、その世評に安住せず、新鋭も積極的に取り上げる姿勢は素晴らしい。なお、中谷は2004年も来日を予定しているとのこと。
(c) 2004 Yoshihiko NONOMURA