日本の作曲・21世紀へのあゆみ 第26回「新しい合唱II」

野々村 禎彦

 1998年に始まったコンサートシリーズ「日本の作曲・21世紀へのあゆみ」は、敗戦から20世紀末までの日本の現代音楽状況を、各年度5回の演奏会を9年間続けて追体験しよう、という壮大な企画である。これまで取り上げられてきた作品の編成には一定の制約があるが(アンサンブルは高々10奏者程度まで、エレクトロニクスや劇場性の導入も限定されている)、全公演をライヴ録音し、各回1枚のCDをリリースし続けているのは意義深い。公演を機に数十年ぶりの再演が行われても、数年も経てば再び歴史の彼方に埋もれてしまうが、アクセスしやすい形で音としてアーカイヴが残れば、状況は変わるかもしれない。未出版作品の自筆譜による演奏も少なくないだけに、この音源はなおさら貴重だ。

 今回の公演はシリーズ第2期(1961〜75年の作品)最終年度の1回目にあたり、林光によるプレトークが行われた(聴き手:長木誠司)。寺西春雄の逝去に伴い、林は今年度から企画の実行委員長を務めているが、この場では総括的な話題は皆無。少年時代の音楽体験から「こんにゃく座」まで、自身の音楽歴が淡々と語られた。このシリーズは、上述のようなアーカイヴ作成が大きな目的のひとつなので、レパートリーに定着した作品よりも演奏機会が少ない作品にスポットが当てられ、各コンサートの選曲も、特定の傾向に偏らない「バランスの取れた」ものが多い。それだけに、作品の質もプログラムの方向性も散漫な印象を与える回が少なくないことは否定できない。また、単なる回顧で終わらせないために、中堅・若手世代の演奏家の起用が多いことも、この企画の特徴と言えるだろう。

 その意味では、今回はこのシリーズではかなり異色の公演だった。まず、林光《原爆小景》より第2曲<日ノ暮レチカク>・第3曲<夜>(1971)、八村義夫《愛の園 アウトサイダーI》(1971)、柴田南雄《追分節考》(1973)、湯浅譲二《芭蕉の俳句によるプロジェクション》(1974)という選曲からして、それぞれに前衛的な問題意識を持った作品ということで一貫している。質的にも、日本の合唱音楽を代表する粒揃いの作品ばかりなのは疑いない。4曲とも今回登場した東京混声合唱団の委嘱によって生まれており、うち3曲の初演を振った田中信昭がこの日も指揮を担当した。《追分節考》の関一郎(尺八)と《芭蕉の俳句....》の山口恭範(Vib.)も、各作品の上演に長年携わってきたベテランである。八村作品以外は内外での上演機会も非常に多く、あらためて語るべきことはないが、この日の演奏に接して感じたことを書いていきたい。

 まず林作品は、第14回で演奏された<水ヲ下サイ>(1958)を飛ばして始まったせいか、特に<日ノ暮レチカク>では、歌詞内容の表現よりも声の音響表現に傾いた解釈が行われた。このような解釈で聴くと、トーンクラスターの中から旋法的な歌唱が浮かび上がる効果、女声と男声の対比的な扱いなどは、後の湯浅作品に大きな影響を与えたように思われる。この日は湯浅作品もプログラムに含まれており、この対比は普段以上に強調されていた。そもそも、「細イ細イ イキヲツキ」という詩句を男声の溜息で表現するような書法なので、この日の解釈は作品にとって適切だったように思われる。声の音響表現として徹底した方が、最後の2行のみを通常の書法で歌うインパクトが増すし、続けて<夜>を演奏する場合には、合唱団の3人のメンバーがナレーターに立つ、言葉が中心のこの曲とのコントラストも際立つ。<夜>も豊富な演奏経験を感じさせる好演だったが、ナレーターの声量が不揃いなのは少々気になった。3人が別な詩句を読んだり、同じ詩句をリレーする箇所もあるので、声量は揃っていた方がいい。

 八村作品はウィリアム・ブレイクの詩に基づき、「愛の園」全篇と、幾つかの断片を組み合わせたテキストを用いている。冒頭、女声の各パートを4分割、男声の各パートを3分割し、母音唱法で緩やかに音程を変えつつ、声部ごとに出入りのタイミングをずらしながら膨張と収縮を繰り返す部分は、特に素晴らしい。その後、詩句を1フレーズずつ受け渡しながら朗読する部分を挟みつつ、分割は24声部まで拡大し、リズムの指定も複雑になっていくが、書き込めば書き込むほど音楽の全体像がぼやけてしまう問題点は、彼のオーケストラ作品にも共通している。作曲者の詩への思い入れに音楽が追いつかず、生の朗読が表現の中心になっているあたりも、作品の完成度には難がある。

 だが、完成度よりも未知の領域を求め、一作ごとに新しい表現に向かおうとした八村の姿勢に、筆者は強く惹かれる。水野修孝と八村は、70年代に数年の差でニューヨークに長期滞在した(注1)。ふたりともアカデミックな「現代音楽」の状況に興味を持つことはなかったが、水野は主にミュージカルやメインストリームのジャズに大きな影響を受け、大衆性を意識しつつ多様式を混合させた、その後の作曲様式の基礎を築いた。他方八村は、主にダウンタウンのロフトやギャラリーを回ってアンダーグラウンド・シーンに接し、「ニューヨークはニューヨークであり、東京は東京なのである」という確信を得て、最晩年の凝縮された個人様式へと突き進んでいった。文化の広がりの中から何を吸収するかは、結局個人の資質に依っている。

 この日の公演に戻ろう。前半最後の柴田作品の演奏に先立って、田中がプログラムノートを補完する簡単な解説を行った。柴田が碓氷峠の麓の村々で収集した「追分節」などの旋律素材(主に男声によって歌われる)、柴田が日本音楽の核とみなす四度和声(注2)をヴォカリーズで歌う女声パート、上原六四郎『俗楽旋律考』抜粋の朗読とそれを揶揄する奇声が、即興的に組み合わされる。各素材を表す文字をうちわに書き、立てたり伏せたりして入りと止めを制御する手法と、『俗楽旋律考』の朗読から始まり、男声・女声とも同時に歌われる素材は高々3個まで、素材間の移行は緩やかに行われ、終盤に尺八が入場してコーダの役割を担う構成は、あくまでこの作品の「田中信昭ヴァージョン」だが、スタンダードとして定着している。千回を超えたあたりからは数えるのを諦めた、と田中が語るほど上演を重ねているだけに、もはや入りも止めも各自に任され、うちわはそれを聴衆に視覚化するための道具なのではないか、と思わせるほど各団員は音楽を身に着けている。

 後半を占める湯浅作品は、《クロノプラスティク》(1972)までの求心的な作風から、《芭蕉による情景》(1980/89)や《「夜半日頭」に向かいて》(1984)に代表される、コズミックな広がりを持つ作風への転換点になった。芭蕉の10句を春から冬に向かって並べ、晩秋から初冬にかけての荒涼とした風景をヴィブラフォンの侘しい音色が増幅し、「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」で全曲の幕は閉じられる。男声と女声の役割はほぼ完全に分離しており、男声は謡曲風の発声で言葉を謡い、女声は電子音のように扱って、言葉の背景にあるイメージを直截に音にする。例えば、「夜 虫は月下の 栗を穿」では、「よる」「ひ」「そ」「かに」を点描的に歌うことで虫の羽音を表現し、「ツ」の音を散発的に呟くことで、虫が栗の殻をつつく様子を描く。「旅に病んで……」では、「かけめぐる」がパート間で受け渡され、文字通り合唱団が占めている空間をかけ廻る。

 裏声の限界に近い音域を使った女声パートや節回しを厳密に指定した男声パートなど、技術的ハードルは決して低くないが、武満徹《風の馬》などと並ぶ海外公演の定番曲であり、演奏には余裕が感じられた。だが、その余裕が良い結果をもたらすとは限らないから生演奏は難しい。初演から程なく行われた録音には、技術的限界に挑んだ演奏に特有の異様な緊張感が漂っているが、この作品の場合は、それは音楽にとってプラスだった。この日の演奏では特に、技術的な余裕は音楽の角を丸める方向に向かい、電子音楽的な要素は後退した。この変化は多くの現代作品では肯定的な意味を持つが、湯浅作品ではプラスにはならない。かつて「作曲家の個展」で湯浅が特集された時、程なく行われた講演会で筆者が、先日の演奏会は会場で聴いた時よりもライヴ録音をFMで聴いた時の方が面白かった、と正直な感想を恐る恐る伝えたところ、湯浅は我が意を得たりと「そうでしょう! 僕の音楽は本質的に電子音楽的だから」と賛同したので驚いた記憶があるが、このような湯浅作品の特殊性は、田中/東混ですら把握していなかったようだ。

 この日の演奏会の目的は、田中/東混が日本の合唱音楽創造に果たした役割の大きさを振り返り、讃えることだったので、プログラムにも解釈にも異論はない。だが、この日演奏された作品は、「日本の」という限定を外しても歌い継がれるべき曲集であり、彼らの専売特許に留めてはもったいない。既に十分なポピュラリティを得ている《追分節考》では、女声パートの構成音にスポットを当てたり、男声パートに収録された村ごとの伝承の違いを比較対照するような「分析的」な解釈があってもいいし、多くの素材を重ねて不協和なカオスを作り出した末に『俗楽旋律考』を朗読して終わるような、作曲意図に真っ向から対立する解釈もあっていいはずだ。また、湯浅作品の電子音楽的な特質は、吉田アミSachiko Mのような音楽家を生んだ、電子音を自然の一部として受容する世代の手で、より作曲意図に即した形で表現されるようになるのではないだろうか。

(2004年1月24日 四谷・紀尾井ホール

(注1) ただし、この数年間はパンク・ムーヴメントを挟んでおり、その前後でニューヨークの文化状況が激変したことは考慮すべきだろう。

(注2) 柴田は、『音楽芸術』誌に1971年から「音楽の骸骨のはなし」を連載して自説を展開したが、これは小泉文夫の先行研究『日本伝統音楽の研究』(1958, 音楽之友社)を批判的に受け継いだものである。また、高橋悠治による柴田説の批判的な紹介も示唆に富んでいる。

(c) 2004 Yoshihiko NONOMURA
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