Toshi Makihara Project 2004: Improvisers' Network |
野々村 禎彦 |
高校卒業とともに1978年に渡米し、以後フィラデルフィアに居を定めて音楽活動を続け、米国籍も取得した牧原利弘(Perc.)の日本ツアーを、風巻隆(Perc.)と松本健一(T.Sax.)が企画した。日本における即興音楽情報は現代音楽同様、ヨーロッパのフェスティヴァル経由なので、米国内よりもヨーロッパや日本に目を向けている大都市の一部の即興音楽家たちの活動(米国メディアは非ジャズ的な即興音楽には日本以上に無関心なので、やむを得ない面もある)以外はなかなか伝わってこない。牧原のホームページは、米国の草の根の即興音楽状況の貴重な情報源である。
本稿で取り上げるツアー初日の公演は、即興音楽家たちの幅広い出会いを意図し、計8名がデュオからカルテットまでのさまざまな組み合わせで舞台に上がる、カンパニー風の構成だった。セットリストは以下の通り:
第8セットまでに全員が3回ずつステージに上がり、最後がゲストと企画者のデュオという、よく考えられた構成。組み合わせも、各音楽家の志向が考慮されたものになっている。だが、休憩前の4セットは、大半の音楽家同士がこの日が初共演という状況もあって、まず思い思いに自分の音を出し、多少手の内が見えて最初の均衡に達したら終わり、という展開が多かった。その中で印象に残ったのは、普段とは毛色の違う共演者の中でも、それぞれの楽器の固有の音を生かす自らの音楽を貫いた大蔵と、生楽器にしっくり溶け込む、自作エレクトロニクスの温かみのある発振音を聴かせた米本だった。
この日のゲスト牧原のユニークなアプローチも特筆しておきたい。彼は2000年から、スネアドラム1個のみで演奏を行っている。ショーン・ミーハンと共通する使用楽器の絞り込みだが、ミーハンはスネアのオンオフによる音色変化に大きな役割を担わせているのに対し、牧原は皮を張るのもドラムの表側だけでさらにシンプル。奏法的にも、竹ひごやフォークと共振させて効率的に大きな音を取り出すミーハンに対し、牧原は指先でかきむしったり叩いたり。ブラシや撥を持ち出すのも、それで叩くためではなく、ドラム上に置いて音色を変えるため。巨体に力を込め、顔を真っ赤にしてプレイしても実に小さな音しか出ない。だが、彼が志向するのは音響的即興ではなく、あくまで反応型の演奏性のある即興音楽なのだ。
後半の5セットは、各音楽家の特質が生かされ、それぞれに聴き応えがあった。第5セットでは、シャルルがサンプリングした日常音とデジタル臭の強い合成音を組み合わせた(フェラーリの近作を意識したのだろうか)強力なコンピュータサウンドの壁を組み上げ、演奏性の高いふたりがそこに向かって自由に音を出す余地を作った。松本はバリバリと気持ち良さそうに吹いていたが、よりソロ志向の強い入間川はまだ抑え気味。第6セットの米本は、風巻のトレードマークの肩掛け太鼓にコンタクトマイクを付け、そのビートを発振回路のトリガーにする。すると、風巻がどのようなビートを打ち出しても、原理的に発振音の脈動とぴったり一致する。風巻が共演者の動向を気にせず、左腕や肘で皮を押さえて微妙に音色を変えながら自在なビートを生み出す舞台を作った上で、米本は発振音の音色や音量を変えることで「演奏」に加わる。素晴らしい発想だ。
第7セットのシャルルは、第5セットとは対照的に、時に鋭い発振音を差し込みながらも、大半の時間は背景に退く。しばは自身の表現よりも、牧原の特質を引き出すことを優先した。牧原が指先で生み出す繊細な音にはゆったりした持続音で背景を作り、彼がスティックを手に取るとリズミックなタンギングでビートを打つように促す。ピアニカを振り回す鋭い吹き込みに、牧原がスネアをひっくり返して転がす視覚的なプレイで応じると、シャルルは囁き声のサンプリングを流し、しばが吹き込みを止めてキーの打撃音を響かせると、牧原はひっくり返したスネア台の脚を叩いて応える。
第8セットは、各人が独立性を保ちつつバランスを取る、この日の中では最もヨーロッパ自由即興音楽的なアンサンブル。しばは前セットでも見られた奏法の拡張をさらに進め、ホースだけ外して吹きながら、鍵盤を爪で鳴らしたり、ホースを外した歌口に直接息を吹き込んで切れ切れの音を響かせたり。大蔵はアンサンブルの表面に立たず、風巻も音楽を支配しようとはしない。この状況下で入間川が本領を発揮した。特殊奏法に頼らず、厳しい線を歌い上げる彼の音楽は、断片の目まぐるしい応酬の中では生きない。互いを遮らない4つの流れが、一見最も地味な入間川のソロに収斂して幕となった。
最後のセットは、予告されたアンコールと言うべきもの。この日はつとめてビートと音色を抑制してきた風巻が、シンプルで力強いリズムを打ち出し、金属打楽器の華やかな余韻を撒き散らす。牧原もそれに合わせて表情豊かなビートを鳴らし、現在のスタイルの陰のもうひとつの顔を垣間見せた。この日の締めくくりと言うよりは、この後の少人数のツアーの予告編のような内容だったが、明大前・Kid Ailack Art Hall、大磯・すとれんじふるうつと並んで風巻がホームグラウンドにしているこの会場は、程良い狭さで生音を楽しめる反面、飲食店に挟まれた密室なので常に換気扇が回っており、現在の牧原には厳しい環境だった。それを考慮しての、このエンディングだったのだろう。
特に90年代以降、日本国内での即興音楽家の位置付けは、ヨーロッパでの評価を逆輸入する形で行われるようになりつつある。この状況も現代音楽界と並行しており、バブル崩壊後の日本の経済状況が、国内における権威の影響力を空洞化させた結果と言えるだろう。だが、権威に依拠したヒエラルキーを求めている点では、どちらの姿勢も似たようなものだ。そのような中にも優れたものはあることも忘れてはいけないが、今回取り上げたような、内外の権威とは無関係に信じる道を飄々と歩む活動に、光を当てていくことも大切だと思う。
(2004年4月3日 新宿南口・Theater POO)