Sachiko Mソロ2題 |
野々村 禎彦 |
初のサウンドインスタレーション『I'm here』も記憶に新しいSachiko Mが、立て続けにソロ演奏を行った。 彼女のソロライヴのホームグランドはOff Siteであり、『I'm here』もこの会場の音環境を前提にしていた。 また、ソロ録音はもっぱら自宅スタジオで行われ、天井の低いデッドな閉鎖空間という点では共通している。 このような環境から離れた時、彼女はどのようなソロを聴かせるのだろうか。
最初に取り上げるのは、2004年4月10日に明大前・Kid Ailack Art Hallで行われた短いソロ。 一楽儀光&大友良英 3 days最終日の後半へのゲスト出演に加えて、前半最後に急遽追加された。 サンプラーから正弦波発振音を持続的に流し、そこに正弦波発振器の立ち上がりノイズを差し込む、 彼女のソロの定番パターンのひとつだが、このノイズを打楽器的に連打する「技術」にまず驚かされた。 彼女は「今日のテーマは《脱・無音系》」と語っていたが、このような形で「演奏」性を取り入れたのは、 確かに正弦波発振音を中心に据えたスタイルに移行してからは初めてだったように思われる。 ただしアンサンブルの中では、彼女の正弦波発振音が運動性のある即興に奥行きを与える展開は珍しくなく、 同じことをひとりでやってみよう、という発想は理解できる。
ただし、この日の演奏で興味深かったのは、これとは別の要素だった。 机の上には、機材の振動を拾うためにコンタクトマイクが置かれていたが、 正弦波発振器の手元なので、発振器を操作するたびに腕輪に下がった金属片が揺れて当たる。 最初は偶然だったそうだが、聴衆と同じPAの音を聴いている彼女はこのノイズにすぐ気付き、 意識的に演奏に取り入れるようになった。とは言っても、この音だけを得るために腕を動かすのではなく、 この音が付随することを前提にして正弦波発振器を操作するようになった、ということである。 金属片の動きは腕自体の動きとは微妙に違うので、この音を完全にコントロールするのは難しいが、 自分の音と無関係ではないが思い通りに動くわけでもない「自分の中の他人」という存在は、 まさに自由即興音楽における共演者に相当するもので、絶妙な「アンサンブル」が出現した。
Kid Ailack Art Hallは、2階まで吹き抜けなので天井の高さはOff Siteの3倍以上、 壁面はコンクリートだが分厚く塗装され、床はフローリングなので自然な残響 (打楽器の乾いた音色が持ち味の風巻隆は、「洞窟のなかのような響き」と表現している)を持つ。 現在のSachiko Mの演奏スタイルには、相性の良い会場のひとつだと言えるだろう。 なお、この日のこれ以外の演奏は、あまり満足できるものではなかった。 発熱による体調不良のせいか、ターンテーブルでもギターでも大友の音は粗く、 一楽の精妙な音色のコントロールをマスクして、パワープレイに誘導してしまう。 結果として聴かれた音楽は、Ground-Zero時代のセッションと大差ないものだった。 Sachiko Mが加わってもこの傾向は変わらず、メンバーは同一でもI.S.O.の音楽とは全く異質。
3 daysの他の日(4月8日:デュオのみ、4月9日:広瀬淳二がこの日のSachiko Mと同じ形でゲスト出演) は聴けなかったので、大友の「すでに出来上がってしまった基準のある即興ではない硬質な何かを求めて、 この3日間まっすぐに<挑戦>しようと思っています」というメイルマガジンでの宣言の成否は問えないが、 少なくともこの日のライヴでは、この宣言に応えた演奏を聴かせたのは大友自身ではなくSachiko Mだった。 また、ここ数年の一楽の演奏ではシンバルの弓弾きが大きな位置を占めており、この日の前半では、 スネアの上で小シンバルを弾きながら中心部を指先で押さえて揺らし、余韻を共鳴させて増幅する高度な技巧も見せた。 だが、音楽が盛り上がってくるとそのまま2本の弓でドラムセットを叩きまくり、木の部分まですっかり壊してしまった。 これは、ノリ任せの狼藉というよりは、バンド活動の中で肉体性に傾きすぎた志向をリセットするために始めた弓弾きが、 技術が自己目的化するところまで「高度化」したことに暴力的に訣別して、大友の宣言に応えようとしたのかもしれない。
もうひとつは、同年4月18日に宇都宮・大谷資料館の大谷石地下採掘場跡で行われたソロ。 この野球場に匹敵する巨大な地下空間ではブッチャー、姜泰煥らのライヴが時々行われてきたが、 JAZZ & NOWが「hypogeous sound」シリーズ第1回として企画したこの日のライヴは、 この空間の特異な音響を前面に打ち出して即興音楽の場を広げていこうとする試みである。 第2次世界大戦中は戦闘機の秘密工場、戦後は政府米の備蓄に使われてきただけに搬入の便も良く、 美術や舞踏関係の企画はたびたび行われてきた。演奏会も即興音楽に限らずしばしば行われてきたが、 従来の催しは長い残響を音響効果として楽しむ、企画物的な側面が強かったことは否定できない。 だが、正弦波発振音から始まった今回の企画は、この空間の音響を体系的に精査しようとする意志を感じさせる。 ちなみに2004年4月29日の第2回には管楽器トリオDIVERが登場し、音源移動というテーマが設定されている。
この日の演奏は地下空間の最深部、ステージのように石を切り出した一角で行われた。 ただし、演奏が行われたのはステージ上ではなくその反対側、客席裏手の岩壁の前。 家庭用オーディオシステムのスピーカーが座った時の耳の高さにセットされている。 この空間をこのシステムで鳴らせるのだろうか? だが、いざ鳴らし始めると音はよく響き、 200m以上離れた受付でも聴こえていたという。これが地下空間の残響の効果だったのだろう。 しかし、持続音を流し続けてもそれ以上のことは起きない。 むしろ、通常の空間では左右の音量バランスのわずかな変化が音風景を一変させるのに、 この空間では残響によって打ち消されてしまうマイナス面の方が大きかったように感じた。 一方、発振器の立ち上がりノイズには深い残響が付き、この効果は50Hzの低音では特に顕著だ。 ただし、彼女はこの音響自体は常套的だと感じたのか、アクセント以上には使わなかった。
持続する正弦波発振音の中に浮かび上がる聴衆の衣擦れの音や遠くの水音に耳を澄ませていくことが、 この日の演奏のメインだった。だが、この音響現象はOff Siteで馴染み深いものと本質的には変わらず、 空間の広がりはむしろ疎外感をもたらす。彼女が持続音を最後まで続けず、いったん絞って沈黙を挟み、 中高音域の発振器立ち上がりノイズを中心とする中間部を入れて三部形式にまとめたのはやむを得ない。 結局、この日で一番興味深かったのは、開場前から外で鳴いていたウグイスが地下空間の開口部に来て、 その鳴き声が響き渡った瞬間だった。ブッチャーや姜のサックス演奏には存在した、 この空間ではじめて加わった「何か」はこの日の音楽からは聴き取れなかった。 とは言っても、開演前には聴き落としていた微かな音がこの日の演奏から浮かび上がったことは確かで、 このシリーズはバックグラウンド測定から始まったのだと思えばよいのかもしれない。
90年代半ばから00年代初めにかけて一世を風靡した音響的即興は、いまや転換点に差しかかっている。 シカゴやウィーンの先駆者たちは出自のジャンルへの回帰を強めており、この傾向は日本でも見られる。 だが、音響的即興が自覚的な音楽活動の出発点であるSachiko Mには、そのような帰る場所はない。 最近の彼女は、音と場の関係を見つめ直すところから活路を開こうとしているように思われる。 サウンドインスタレーション『I'm here』や今回取り上げた演奏の場の拡張も、この活動の一環と捉えられる。 残る可能性は、共演者の拡張ということになるだろう。 「合わない組み合わせだからこそ刺激的」というNYダウンタウンシーンのスタンスへの反発から、 音響的即興シーンは内外とも共演者を絞りすぎたように思われる。 普段の活動領域は違っても、創造的な共同作業が可能な音楽家は少なくないはずだ。 現在の彼女は、そのような関係を主体的に作る段階に来たのではなかろうか。
(c) 2004 Yoshihiko NONOMURA