2頭のライオン物語:バール・フィリップス&齋藤徹デュオツアー |
野々村 禎彦 |
ヨーロッパ自由即興音楽と米国フリージャズ双方の世界に確かな足跡を残し、世界コントラバス協会会長を務めるバール・フィリップスは、ベース即興のゴッドファーザーである。彼と齋藤徹の関わりは深く、ふたりと井野信義のベーストリオで2回の日本ツアーを行い、アルバムも制作している。今回の日本ツアーの最大の目的は、フィリップスと齋藤の楽器の交換だった。交換に至る経緯は齋藤のテキストに詳しいので繰り返さないが、ふたりが所有する Gand & Bernadel の銘器は糸巻にライオンの頭部の彫刻が施されており、それが「2頭のライオン物語」というツアー名の由来である。フィリップスが持つこの楽器に魅せられ、同工房製の未使用の楽器を手に入れてから交換に至る3年の間に、齋藤の音楽も変化した。ピアソラ、韓国シャーマン音楽、沖縄音楽、伝統邦楽(注)など、外なる伝統に向かっていた関心が自身の楽器の歴史という内なる伝統に向かい、生ガット弦を張ってバロック弓を使う、楽器の原点に遡っていった。元々、即興音楽界の流行とは距離を取っていた彼の姿勢はさらに明確になり、ドネダのような深い信頼関係に結ばれた少数の音楽家との共演以外では、ダンスなど他分野との共同作業が活動の中心になっていった。楽器交換はツアー開始前に済ませ、ふたりは初日から新しい楽器を弾いた。今回の交換に際して齋藤は、それまでの彼の演奏を特徴付けていた、プリパレーション、多彩な撥を用いた打楽器奏法、鳴子や鳥笛などのオブジェの多用といった、「楽器の拡張」をきっぱり止めた。現代楽器への不満から始めた民俗楽器風の仕掛けは、憧れの楽器を手にした以上は惰性で続けるべきではない、ということなのだろう。
ツアー初日の12月4日は、京橋・ギャラリー椿でのパフォーマンス。同画廊で個展開催中の小林裕児のライヴペインティングに、ふたりが音楽を付ける。この種の企画では、音楽家は普段の音楽様式を維持し、画家がそこからインスピレーションを受けて制作を行うという形態が多い。企画として即興音楽を使うメリットは、絵の完成に合わせてパフォーマンスを終えられることに尽きる。だが、この日はむしろ、音楽が作画に奉仕した。近年の小林は特徴的な人間の顔を画面の中央に据えるスタイルを堅持しており、作画はほぼ自動書記で進め、決めるのは止めどころだけ、というスタンスなので筆は速い。休憩時間を含めて1時間半のパフォーマンスで、前半に小品を2枚、後半に大きめの作品1枚を完成させた。
小林が最初の一筆を思案している時は、明瞭なビートをゆったりしたテンポで出して聴衆の期待を煽り、作業が始まると徐々にテンポを上げていく。下描きが済んで彩色段階に移ると、ノンビートの即興音楽らしいスタイルに移る。音楽に乗せられるように、破調とも思える筆が加わる瞬間はスリリングだ。とは言っても、パフォーマンスの流れを決めているのはあくまで小林で、勢いをつけて描き込んだり、逡巡して筆を止めたりという振る舞いに、音楽の密度は敏感に反応する。絵から離れて全体を眺め、ぽつぽつと筆を足していく仕上げ段階に入ると、ゆったりした旋律的な音楽に移行し、完成を示唆されたらフェードアウト。特に後半の大作では、ふたりは作画の邪魔にならないようにしばしば楽器を抱えて移動しながら弾いたが、この機会も音源移動や視覚効果(楽器を角突き合わせるように弾いて笑いを誘ったり)に利用していたのは流石。この寛いだ音楽がふたりの本領とは思えないが、息の合ったやり取りや楽器の響きの素晴らしさは十分に楽しめた。
続く12月5日は、馬車道・BankART 1929 Yokohamaでのライヴ。歴史的建造物を文化施設に利用する横浜市のプロジェクトの一環として、1929年に建造された旧第一銀行横浜支店の外観を復元し、多目的ホールとして用いている。石造で天井高7mという空間の残響は、ベースの生音には理想的だった。音楽は総じて、齋藤が攻め、フィリップスが受ける展開で進む。コル・レーニュやハーモニクスを駆使する齋藤を、フィリップスは飄々とピッチカートで受け流す。オーバーアクション気味の齋藤と並ぶと、フィリップスの無駄のない身のこなしが際立つ。左右の手を同等に使って急速な跳躍にも最小限の動きで対応し、片手で音程を取りながら発音も行えば、楽音とボディの摩擦音や打撃音を交錯させてもアクロバティックな動きはいらない。弓の持ち手を多用する独特の奏法も、打楽器的な多彩な音色を力を使わずに効率よく得る秘訣なのだろう。彼は時折齋藤の動きを忠実にコピーして客席の笑いを誘っていたが、それは余裕を持って演奏していることに加え、演奏中に共演者をよく見ていることも意味している。この日の彼の視線は、約7割は共演者、3割は客席に向けられ、楽器には殆んど目をやらなかった。
フィリップスの演奏に教えられることは多いが、彼が自分から音楽を作っていくことはあまりない。ソロアルバムですら「録音空間によって作られた」ような音楽が並び、共演者への配慮でそうなっているわけではない。他方、近年の齋藤は「匿名的な音楽」を強く意識するようになったとしばしば述べているが、音楽の流れと全体像を意識して音を配分し、積極的に「歌う」ことを恐れないスタンスは基本的には変わっていない。このように自分とは相補的な齋藤の美質を、フィリップスは高く評価しているのだろう。会場の残響を音楽の一部として取り込み、音空間を必要以上に切迫させない音楽のあり方は、クラシック音楽では馴染み深いが、いわゆるフリージャズや即興音楽に馴染んだ聴き手には物足りなかったかもしれない。また、豊かな残響が音楽の前提になった後半には、弛緩した瞬間もしばしば訪れた。ソロの割合を増やしたり演奏場所を変えたりして、不確定要素を持ち込んだ方が良かったのかもしれない。
各地を回って東京圏に戻ってきた12月11日は、深谷・ホール・エッグファームでのライヴ。日本有数の養鶏場の敷地内に建つ会場は、深くはないが生楽器の艶は損ねない適度な残響を持ち、音楽の急速な変化を残響がスポイルしないという点で、即興音楽向きの空間である。会場外の音が適度に入ってくる構造も、音楽に開放感を与えている。故レイシーやレアンドルをはじめ、このホールを贔屓にしている即興音楽家は多い。前半は、まず齋藤のソロ。弓弾き中心の、ガット弦の響きにこだわった構成。低音で持続音をゆったり響かせた後はスル・ポンティチェロ。緊張感を漂わせるのではなく、弓を当てる位置による倍音の変化を静かに提示する。ヨーロッパ自由即興音楽的な跳躍音程の無調フレーズを挟んで、基音とハーモニクスを行き来する弓弾き。弓を円を描くように弦に押し付けて得られる、深い淵のようなノイズもそこに加えられる。再度の跳躍音程の無調フレーズは今度はピッチカートで、ジャズギターのような軽みを漂わせる。最後は弓に戻ってゆったりとエンディング。総じて、この日デュオで使いそうな素材のカタログという趣だった。
続けて、フィリップスのソロ。「ライオンがもう1頭来ました」と挨拶してから始めたが、その言葉に偽りなく齋藤のコンセプトを継承しつつ、齋藤が使わなかった素材ばかり並べた。ピッチカート中心の、楽器の若々しさを意識した構成。冒頭から両手独立のピッチカートを見せる。時折両手で一音を弾く時は、片手では出せないダイナミックな音を。それでも、そこにジャズの残り香はない。次はこの流れでかき鳴らしたり叩いたり。指の腹だけではなく手刀で叩く場面もしばしば。常套的な無調フレーズを挟んだ齋藤の構成に呼応して、フィリップスもランニングベースを挟む。コード感は避けるがリズムは4ビート。ジャズバンドでソロ回しを切り上げる時のように見得を切り、ようやく弓を取り出す。ベースというよりはチェロのように弾きまくるが、音程は意図的に不明瞭に取る。最後は糸巻側を擦りながらフェードアウト。
休憩後のデュオが、もちろんこの日のハイライト。冒頭は5日同様、弓弾きで攻める齋藤をフィリップスがピッチカートで受ける。だがこの日はフィリップスも受け流さず、ピッチカート・バトルの様相を呈する。やがて齋藤は指が痛くなったポーズを示して抜け、アルコ・デュオに移る。音楽が落ち着くと、齋藤は弓で弾きながらチャンバラを挑む。フィリップスは今度は受け流し、開放弦の下降グリッサンドで糸巻のすぐ下まで弓を上げ、上段の構えを取って弾き続ける。しばしの睨み合いの後、齋藤が「隙がない……参りました」と頭を下げたところで場内爆笑。そのままフィリップスがソロを取るが、弓が通常のポジションに戻ってくると齋藤はベースを寄せ、ライオンの彫刻を突き合わせようとする。だが、例によって弾きながら相手の動きを見ていたフィリップスは、機先を制して齋藤の楽器を弾いてしまう。齋藤もこの程度は予想の範囲と、やり返さずに楽器を手渡す。2台の楽器をそれぞれの手で持ち、各々片手で音程を取りながらピッチカート。齋藤は口笛を吹きながらそのまわりを歩き回り、時々弓でちょっかいを出す。フィリップスも齋藤に協力し、2台の楽器を揃えて同時に弾けるように置く。やがて齋藤が離れた刹那、フィリップスはウウッと唸って2台を一緒に持ち上げた。ヨロヨロ歩いて静止ポーズを取り、楽器を置いて息を切らす。重量挙げの形態模写に、再び場内爆笑。最後は普通のデュオだが、もはやふたりは別々の道を歩むのではなく、現在の齋藤を特徴付ける奏法(弦に押し付けた弓を回すノイズ奏法、弦の間に弓を突き立てる打楽器奏法など)をフィリップスもマスターした。そのままゆっくりフェードアウトして幕。盛大な拍手にあえてステージを去らず、疾走する短いセットをアンコールの代わりにした。
最終日の12月12日は、幡ヶ谷・アスピアホールでのライヴ。動員的にも成功だったツアーの中でもひときわ多くの聴衆を集めた。音楽家が共演するのはこの日だけということもあり、千野秀一(Pf.)、今井和雄(G.)、井野信義(Cb.)という、齋藤と共演を重ね、深い信頼関係で結ばれた人選を行ったはずだった。だが、それでもうまくいかない時はいかないのが即興だ。今井の精緻なギターは高い天井に吸い込まれ、井野の雄大な歌は残響の少なさに阻まれる。千野も寄せては返す大きな波を作れない。前半はデュオに共演者がひとりずつ加わり、後半は全員のアンサンブルという構成だったが、ことごとく空回りしていた。前列で聴けば違った風景が見えていたのかもしれないが……
今回のツアーは、会場ごとに全く違う音楽を聴くことができた。12月6日の上尾・バーバー富士でのデュオは、パンク的とすら言えるような異様な盛り上がりになったという。筆者が聴けた4回のライヴからは想像できない展開だ。音楽の佇まいの次元ですらアイデンティティを保持しない姿勢は、「即興」本来のあり方に忠実だが、「録音物」が音楽のデフォルトになった時代には異端である。ヨーロッパ自由即興音楽第1世代は、各人が名刺代わりの固有の語法を持とうとした。いわゆる「音響的即興」では、テクスチュアや音楽の佇まいの同一性がそれに代わり、同一性が保持できない活動では複数ユニット名を使い分ける。語法の次元で同一性が確保されれば共演者の選択は自由だが、同一性を「音響」の次元に求める場合は、共演者の選択は本質的な意味を持つ。今回のツアーの特異性は、齋藤が自らの音楽を特徴付けていた小道具の使用を止めたタイミングで、あえてアイデンティティに固執しないあり方(もっとも、それがコントラバスという楽器の「本来のあり方」とも言えるが)を選んだ音楽家と共演したことに由来するのだろう。このような音楽を「レビュー」という形で振り返ることにはそもそも無理があるが、ますます音楽の始源に向かいつつある齋藤の今後の歩みを注視したい。
(注) 洋楽の影響下にある音楽を聴いて育ち、洋楽の楽器や語法を選んだ者にとって、伝統邦楽は西洋音楽よりもはるかに異質なものである。日本人であることを根拠に伝統邦楽を安易に「内なるもの」とみなす態度に流れなかったことが、沢井一恵、久田舜一郎ら邦楽器の達人と掘り下げた音楽を作ってきた齋藤の活動の根底にある。