大友良英New Jazz Orchestra《Out to Lunch》発売記念ライヴ |
野々村 禎彦 |
大友良英のNew Jazzプロジェクトは、2005年に入って大きく動き始めた。2003年以来の大友(G.,指揮)、津上研太(S.Sax.,A.Sax.)、アルフレート・ハルト(T.Sax.,B.Cl.)、水谷浩章(Cb.)、芳垣安洋(Ds.)、高良久美子(Mar.,Perc.)、Sachiko M (sine waves)の"New Jazz Ensemble"に、海外音楽家らを加えた大編成で"New Jazz Orchestra"と称した1月の新宿PIT INN公演を皮切りに、この公演にゲスト参加したカヒミ・カリィ(Vo.,朗読)をONJEの正規メンバーに加えてヨーロッパツアーを行い、このONJEの8人に青木タイセイ(Tb.,reeds)、大蔵雅彦(A.Sax.,B.Cl.,tubes)、石川高(笙)、宇波拓(laptop,objects)、近藤祥昭(音響技術)が参加した13人編成で"New Jazz Orchestra"と名乗った6月の公演までは、本サイトで取り上げた。その後、大友が9月に新宿PIT INNで企画した"Asian Meeting Festival"では、ハルトを除くONJEメンバーに大蔵を含む数人の日本人音楽家と、フェスティヴァルのゲストである東アジアのエレクトロニクス奏者たち(韓国の若手が中心)、さらに最終日にはアマチュア・アンサンブルも加わった大編成の公演が行われた。本稿で扱う12月の公演では、6月と同じ編成で再び"New Jazz Orchestra"と名乗っており、今後のNew Jazzプロジェクトは専らこの13人を基本編成とするONJOで行われるようだ。
この日は1月に録音した《Out to Lunch》(doubtmusic, dmf-108)のレコ発ライヴということで、エリック・ドルフィーのオリジナルアルバムに沿った曲順で演奏が行われた。1曲目<Hat & Beard>は、大友ギターのフィードバックノイズで始まった。従来のアンサンブルでは、大友のギターノイズは楽曲の流れを絶ち切るために用いられたが、この日は大友の轟音に正弦波発振音やドラムが絡みつき、徐々にアンサンブルが浮かび上がってくる。異物の最たるものだったギターノイズすら取り込んでしまえるアンサンブルには、ハルトのフリーブロウや宇波の「スピーカー演奏」も、もちろん違和感なく溶け込む。層の厚いポリフォニックなアンサンブルが、単なる各音楽家の慣れではなく意図的なオーケストレーションに由来することは、普通ならば和声付けに回るような場面でも、青木がことごとく無関係なパターンを竹笛で被せていたことからも伺える。また大友によると、この日の公演に備えて2回のリハーサルをスタジオで行い、大蔵、宇波、Sachiko Mのアンサンブル内での位置付けを固めたという。後半でもギターノイズが侵入する場面があったが、この時も程なくアンサンブルに取り込まれ、アンサンブルの厚みは即興的な流れの中でも変わらない。
2曲目の<Something Sweet, Something Tender>は、B.Cl.をグスタフソンのBar.Sax.のように息の破裂音と発声を交えて点描的に吹くハルトと、スピーカー上のオブジェのサウンドをタブレットで制御する宇波の精緻な掛け合いに、水谷がアルコのグリッサンドで寄り添う異色のトリオから始まった。6月の公演と同様の「音響プレイ」ではあるが、「ジャズ側」の奏者だった水谷が加わることで、もはや「単なる併置」ではなくなっている。宇波の演奏の精度が高まり、1月のような異物や6月のような背景ではない、アンサンブルの対等な一員になったことも大きな進歩だ。石川主導で雅楽のハーモニーが浮かび上がる場面にも従来になく時間をかけ、全員が合奏に参加した。これは、9月公演でアマチュア・アンサンブルに雅楽のハーモニーを割り振った試みの発展形なのだろう。続けて演奏された<Gazzelloni>は例によってパンクアレンジだが、今回はロングヴァージョンらしく、随時旋律楽器のソロが入る。そしてクライマックスは、芳垣のすさまじいソロ。手数の多さに留まらない、大友のギターノイズ以上に暴力的な音楽に唖然とする客席に、「これでA面はおしまい」という大友のMCがぴったりはまって大受け。
単独公演ならば最初の休憩が入る場面だが、この日は映画やテレビの寛いだ音楽を挟んで代わりにした。最初は、長崎俊一の若き日の伝説的な自主制作作品『闇打つ心臓』を抜本的にリメイクした意欲作のエンディングテーマ。カヒミの語りを、アンサンブルが和声を変えつつ伴奏する。New Jazzプロジェクトでは聴けない、大友のストレートなアルペジオ伴奏が沁みる。次は横山秀夫のベストセラーをNHKがテレビドラマ化した『クライマーズ・ハイ』のオープニングテーマ。サックスが旋律楽器として活躍する、前作以上に劇伴らしい熟達の仕事。このセッションを締めくくったのはONJOのオリジナル曲<Lost in the Rain>だが、2種類の「音響セッション」が繋ぎに入った。最初は大蔵・宇波・芳垣トリオ。PAで拡大された大蔵の微妙な息音を中心に、宇波が慎重に合わせ、芳垣は最小限の音を差し込む。ここでも「ジャズ側」の芳垣が参加していることに注目すべきだろう。続いて石川・Sachiko M・高良という定番の組み合わせ。ただしルーティンワークには陥っておらず、高良は普段の弓弾きを控え、石川とSachiko Mのユニゾンのうなりに、和音を選んで絡めてゆく。<Lost in the Rain>はもはや、カヒミの朗読が精妙なアンサンブルを導く音楽ではなく、最初からひと続きの精妙なアンサンブルに、カヒミが朗読を乗せるバランスに変化した。
カヴァーに戻って<Out to Lunch>。これまでのライヴやアルバムでは、「ブロック構造の指揮者付即興」を基本線に、全休止で力を溜める瞬間を多用していたが、今回は同時に2種類(時にそれ以上)の音楽を鳴らし、緻密にキューを出してひとつずつ変化させてゆく。全休止の代わりに大蔵・宇波デュオを響かせ、カットアップ的な転換は、ここぞという場面のみに絞り込む。最後の<Straight up and down>も基本的には同じ路線のアレンジ。オリジナル曲<真夜中の黒い川の上に浮かび上がる白い百合の花>も途中に挟まれた。指揮者の役割は<Out to Lunch>以上に大きく、フレーズの入りごとにキューを出し、テーマの途中にフリー演奏を一瞬挟んでトラッキングエラーのような効果を出したりと、「作曲」の占める割合が従来以上に高まっている。今回の公演においては、緻密なオーケストレーションが自由なプレイも可能にした。例えば、ONJEではしばしば問題になっていたハルトが独走してソロを取る傾向は、アンサンブルの方を固めれば「問題」ですらなくなる。
アンコール1曲目は、お馴染みの<Eureka>。カヒミが冒頭で歌った後は芳垣のトランペットが活躍し、アイラー的なユニゾンが現れるのは終結部のみ。終始ポリフォニックに拡散する、6月の公演を踏襲した方向性だが、今回は<Hat & Beard>同様、大友のギター・フィードバックが乱入しても引きずられない。その余韻が残る中、ハルトがT.Sax.を朗々と響かせる。『クライマーズ・ハイ』のエンディングテーマ。ソロのテーマを全員が引き継ぎ、アイラー色が漂い始めたところでスパッと終了。大作ひとつの演奏会のアンコールはジャンルを問わず難しいが、この日はジム・オルークが客席に姿を見せた(日本映画への興味が嵩じて、日本語を学ぶために日本滞在中なのだという)ことも手伝って<Eureka>を演奏することに違和感はなかった。続けてもう1曲演奏したのも、いつまでも<Eureka>に頼るつもりはないという決意表明なのだろう。
2005年1月に始まった"New Jazz Orchestra"の、現時点での最高の演奏だった。2005年1月のフェスティヴァルでの《Out to Lunch》は初めての大編成での演奏の初日でもあり、宇波のオブジェ演奏の異物感以外は、「このメンバーでセッションすればこうなる」を超えるものではなかった。本サイトでもレビューした同年6月の公演は、総じて玄人受けに向かいすぎていたと思う。同年9月の"Asian Meeting Festival"2日目の演奏(前半は実質的には音出しの練習、後半1曲目はONJEメンバーによる杉本拓の作曲作品(注)、後半2曲目がONJOレパートリーの断片を用いた本番)は、特徴的な音色のグループを作って大友がキューで制御することで、トゥッティでも各メンバーの音が聴こえ、予備知識なしに楽しめる音楽が一応実現されていた。この日の演奏は、9月の公演で示された方向性をジャズの枠内に引き戻して精緻化したものだった。
この日の公演のポイントは、「緻密に編曲した方が最終結果は自由になる」という事実だろう。自由即興では素材や音色を絞り込んだ方が良い結果が得られることが多いのは、「何でもあり」の状況では常套語法に流れがちな人間の本性に由来し、ある程度の制限があった方が創造的な発想が生まれやすい。この日のアンサンブルは、素材と和声は大幅に拡張されているが、組織論としてはむしろデューク・エリントンを思わせる。このスタンスはONJOに限らず、今後大友が組織するアンサンブル全般に影響を及ぼすのではないか。また、ジャズ・アンサンブルと「音響プレイ」の垣根が取り払われたことも、この日の大きな進歩だった。ここでのキーパーソンはSachiko Mであり、アンサンブルに「音響プレイ」が現れるたびに彼女は鋭い発振音でフレームを付け、無時間的な音響と進行する楽音の間に橋を渡し続けた。次のステップは、彼女がこのような黒子役を果たさなくてもアンサンブルを機能させる方法論を見つけることだろう。
一方、現時点での問題点も見えてきた。まず、カヒミの存在感が希薄だ。彼女抜きでも音色のコントロールが十分可能になった現在、彼女はアンサンブルに乗って時折語る「ゲスト」以上のものではなくなってしまった。石川の存在意義も曖昧になってきた。石川・Sachiko M・高良トリオだけが見せ場では困るので、「笙の和音」セッションもプログラムに含めたのだろうが、このような格別の配慮は逆に、単に石川が吹くだけではもはや目立たないくらい、アンサンブルの内部構造が複雑になってきたことを意味している。この日の高良も、オリジナルで活躍するヴィブラフォンのパートを担当している、という以上の役割は果たしていなかった。充実しているからこそ浮かび上がってきた問題点とも言えるが、緻密な編曲という方向性を生かして、ヴォーカルを含むようなスタンダードなジャズもレパートリーに加えることで、これらの問題点は解決するのではないか。ビッグバンドを活動の基本にするのであれば、「あり得たかもしれないフリージャズ」という、ONJQ結成当初のテーマにこだわる必要もないだろう。このテーマは、「あり得たかもしれないジャズ」という、より大きな理念の一部にすぎない。
この日は前座として、sighboatとLittle Creaturesのメンバーの合体ユニットが演奏した。両ユニット共通のベーシストが参加できないため、ギタリストが急遽ベースを弾くような状況では彼らの真価が聴けたとは思えないが、「いまどきのジャズ」を「あり得たかもしれない現代のジャズ」と組み合わせた企画は、真剣なのか皮肉なのか。また、1月に録音した素材に編集作業を施して6月のライヴの水準に引き上げた、ONJO版《Out to Lunch》アルバムも十分に興味深いが、この日のライヴと同列に論じることはできない。このアルバムの問題点はこの日のライヴでほぼ解消されており、ONJOの歩みは現場で音を聴かなければ捉えられない。願わくば、このメンバーによる録音を早急に行ってほしい。ONJOは音響的即興の有名人を集めた企画ものではなく、レギュラーメンバーによる常設ユニットとしてさらに先に進んでいることを世界に知らしめる必要がある。《ONJQ Live》(DIW, 942)を録音しなければ、ONJQ時代のピークは日本の一部のファンの記憶の中にしか残らなかったのだから。
(注) この日の杉本作品は、散発的な音の連なりは普段通りだが、音密度はかなり高い。単音の交替ではなく音を重ね、立ち上がりや交替時の音色に配慮した演奏が続く。ただし、曲の終わりはストップウォッチで無骨に切る。現在ディスクで聴ける杉本の作曲作品は、《Chamber Music》(Bottrop-Boy, 019)、《principia sugimatica》(a bruit secret, ABS11)など、音数の極めて少ないコンセプチュアルな作品で占められているが、最近の彼は着実に「音楽的」な方向に向かっている。これはこの日に限らず、2005年5月29日、Klaus Filip & Radu Malfatti日本ツアーで演奏された作品にも共通する傾向である。この先に、90年代末に杉本が聴かせていた、磨き抜かれた音を紡ぎ続ける演奏との接点が存在するのではないだろうか。楽しみだ。
(2005年12月10日 渋谷・duo MUSIC EXCHANGE)
(c) 2006 Yoshihiko NONOMURA