Kid Ailack作曲シリーズ第2回 |
野々村 禎彦 |
2005年11月6日、杉本拓の作曲作品特集から始まったKid Ailack作曲シリーズの2回目は、オーストリアのGunter Schneider & Barbara Romen夫妻デュオを招いた企画。シュナイダー《niji-do》、杉本拓《Notes and Flageolets》、ラッヘンマン《Salute für Caudwell》の3曲が、1曲ごとに休憩を挟んで演奏された。シュナイダーと杉本の作品は、夫妻のクラシック2台に、秋山徹次のアコースティック(12弦から6弦を外したものだという)、宇波拓と杉本拓のエレクトリックが加わったギター尽くしの編成である。左からロメン−宇波−秋山−杉本−シュナイダーの順に、緩やかな弧を描くような配置。
シュナイダー作品は、弓弾きのみを用いた緩やかな展開をテキスト譜で記したもの。ブリッジ近傍のノイズ成分が出やすいポジションに弓を当てる。この曲の 「ストーリー」は、1ストロークの持続音を、まずひとりが弾き終わってから次の奏者が弾き始める形で受け渡し、次は弾き終わりと弾き始めを重ねて受け渡 す。やがて弓を押し付けて鋭く弾いたりブリッジの真上を弾いたりして、短いノイズを投入し始める。さらにトレモロに移行し、フレーズの断片が浮かび始めた ところで、それまでの全要素を使ったコーダに流れ込む。《虹道》というタイトルは、虹はフランス語では「天の弓」であることに由来するのだろうか。
杉本作品は、ストップウォッチに合わせて指定された音を弾く。協和音とユニゾンのうなりが多用されるため、音合わせを慎重に行ってから演奏開始。 約15分の中、曲頭と曲尾を含めた5分ごとに1分近い全休止が入る以外は、ほぼいつも誰かの音が鳴っている状態が続く。各自は単音を弾く(普通に指で弾 く)がシュナイダー作品のような単純な受け渡しではなく、沈黙が入る場面もあれば2、3人が同時に弾いて和音が浮かぶ場面もあり、音密度には濃淡がある。 基本音程は1オクターブ程度の全音階に収まっているが、音どうしは時間的に孤立しており、協和音が偶発的に連続することもないので、調性感は生じない。さ らに程よい密度でハーモニクスを挟むことで、コンセプチュアルなオートマティズムとは一線を画した、立体的な「音楽」が生まれてくる。
最後のラッヘンマン作品の演奏に先立って、シュナイダーが英語で簡単な解説を行った。「作曲は1977年だが、今日でも最もエキサイティングなギ ターデュオの作曲作品」「即興ではないかとよく質問されるが、すべての音が詳細に指定されている」「英国20世紀初頭のマルクス主義哲学者クリストファー・コードウェルの独語訳テキストが引用されており、『芸術家は因習のみならず、社会制度からも自由にならなければ自由だとは言えない』という部分」等々。作品の詳細はギタリスト金谷幸三氏のサイトをご参照下さい。佐藤紀雄氏 がレパートリーにしていることもあり、日本でもライヴで聴ける機会は比較的多いが、ステージのない小ホールで、数メートルの距離で聴くのは格別だ。フレッ トよりも高い音を正確に出すために、透明プラスティック板に目盛を刻んだ仮想フレットを貼り付けてある様子もよくわかる。
初演者の録音(col legno, 0647 277)からも明らかなように、ラッヘンマンが意図していたのは豊かなホールトーンを含んだ響きだが、シュナイダー&ロメンデュオは乾いた響きを志向して いる。ボトルネックの代わりに、音程の正確さや衝撃音の鋭さでは勝るが、弦と共鳴した響きの豊かさでは劣る金属板を選んだことからもわかる。彼らの録音(Durian, 018-2)でもこの志向は変わらず(むしろ、極端なオンマイク録音で実演以上にドライ)、この日のホールの問題ではない。テキストをふたりが交互に読む と、男女のデュオなので自然とコントラストが生じる。「狙撃」の場面(コードウェルがスペイン戦線で命を落とした状況の描写)のユニゾンの鋭い打ち込み や、曲尾の弦を掌で擦る場面で指定されたフラメンコ・コードをしっかり鳴らし、手の動きと相まってフラメンコのリズムが浮かんでくるあたりが、この日の解 釈の聴き所だった。救急車のサイレンなどの大きな外音が、盛り上がる場面のみに重なったのも幸運だった。
終演後は大きな拍手が続いた。現代音楽演奏と音響的アプローチが分かち難く結びついているオーストリアの即興シーンを象徴するプログラムだった が、正月明け早々、演奏中は暖房を切るため1曲ごとに休憩を入れざるを得ない状況にもかかわらず、これだけの聴衆が集まったことは感慨深い。伝統の異化よ りも特殊奏法の探求に重点を置いた70年代のラッヘンマン作品は、音響的即興に馴染んだ聴衆に違和感なく受け入れられていた。杉本の関心がもはや沈黙それ 自体にはない(客観視できるようになったからこそ、文章化も可能になったのだろう)ことも、この日の作品から感じ取れた。今後も続けられるこのシリーズが、さらに豊かな発見を与えてくれることを願いたい。
(2006年1月8日 明大前・Kid Ailack Art Hall)
(c) 2006 Yoshihiko NONOMURA