ミシェル・ドネダ&山内桂デュオコンサート

野々村 禎彦

 BankARTは、みなとみらい再開発の一環として、昭和初期に建てられた旧銀行の石造建築を多目的スペースとして利用する横浜市のプロジェクト。やがて2棟のひとつが東京藝術大学大学院映像研究科の校舎として用いられることになり、代替スペースとして旧日本郵船倉庫に白羽の矢が立った。BankARTの旧ホールは石造の広い空間ならではの残響の長さが売り物のひとつだったが、この日の会場になったStudio NYKもこの特徴は継承している。大谷資料館採掘場跡に代表される、時間差で返ってくるような残響ではなく、直接音が約5秒かけてゆっくり減衰する「音楽的」な残響である。このスペースは、長方形のシンプルな形状で特徴的な内装もないため、美術展示にも使われている。この日は折元立身のパンを用いたインスタレーション(軽トラック3台と自転車数台の荷台にコッペパンを山積みにした、「パン人間」のパフォーマンスで知られる折元らしい展示)が行われており、シュールレアリスティックな風景の中での演奏になった。

 1954年生まれの山内桂は、長らく大分県で会社員生活の傍らサックスを演奏してきた。当時から、海外の即興音楽家が九州方面にツアーの足を伸ばす際に共演するなど、アマチュアの趣味にとどまらない活動を行っていたが、2002年の脱サラを機に音楽活動を本格化させた。翌年の最初の渡欧でミシェル・ドネダと出会い、2004年の2回目の渡欧ではデュオアルバム《La Drache 白雨》(IMJ-528)を録音した。ふたりの息音などのホワイトノイズが雨のように降り注ぐ、という詩的なタイトル通りの音楽だが、驚くほど多彩な音響を自在に生み出し続けるドネダに対し、当時の山内は手持ちの語法の順列組み合わせで何とかついて行っているという印象が強く、決して対等なデュオではない。だが、それから山内の音楽は大きく進化した。その一端は本サイトでもレポートしたが、彼の飛躍の契機になったドネダとの再会は、彼にとって大きな意味を持つ。from between trio初来日ツアー(彼らのファーストアルバムは本サイトでレビューした)に先立って山内の地元九州などで3公演、ツアー終了後にドネダが旧知の齋藤徹らとセッションを行う前にこの日の公演というスケジュール。

 即興の展開に関しては一切打ち合わせは行っていないというが、山内は客席(壁際に配されたパイプ椅子)のほぼ中央に仁王立ちで吹き続け、ドネダは展示の合間を縫って会場内を動き回るというシチュエーションと、CD1枚にふさわしい1時間程度の1セットで終えることだけは、事前に決められていたようだ。会場中央(客席の端)では、杉本拓が録音を行っている。2本のマイクの間隔を広く取った、音源移動を前提にしたセッティング。事前の告知はさほど行われず、会場の場所ももう一箇所のBankARTホールに比べてわかりにくいこともあり、壁際に疎らに配された椅子がちょうど埋まる程度の客入りだった。だが、入念な録音態勢を見ると、むしろ聴衆が入りすぎて残響が損なわれたり、演奏中に携帯を鳴らしたり私語を発するような聴衆が来ることを避けるための、予定の行動だったのかもしれない。杉本の位置では、会場の外のノイズが程よく混じりあって幻想的な音空間が出現していたという。この録音のリリースも楽しみだ。

 演奏が始まると、山内はA.Sax.を選び、息音を響かせ、一息の終わり近くで実音が浮かび上がるように吹くことの繰り返し。最初はタンギングは使わず、一息の間は音高も変化させない。ドネダはS.Sax.を選び、山内の側から出発して展示の間を反時計回りで周回し、一周ごとに奏法を変えてゆく。一週目はトレードマークの「息の柱」のみ。二周目も息音のみだが、客席の端まで行って山内と向き合い、互いに息音を吹き渡して干渉させる最初のクライマックス。三周目は実音で始め、山内と十分距離が離れたら高次倍音へ。四周目は、アクセル・ドナーのような強い息音。五周目でそれまでの奏法を振り返る。この間に山内は徐々にタンギングやキーを叩く音を入れ、音響変化の周期を早めてゆく。ここまでの40分弱では、ドネダのスピード感ある音響、山内のゆっくりした吹き渡し、ドネダが場内を巡る周期、山内の奏法が徐々に変化してゆくプロセスという4種類の時間の化学反応を存分に楽しむことができた。

 ここでドネダはソプラニーノに持ち替え、いきなり高次倍音を吹き始めた。ソプラノの高次倍音よりも1オクターブは高いのではないだろうか。このような音は姜泰煥もしばしば使うが、ここまでソフトでコントロールされた音ではない。次の周回ではドネダはしばらく音を出さずに歩き、山内のソロになる。一見普通の実音のようだが、耳の後ろがヒリヒリするのは、実は高次倍音との重音奏法なのだろう。やがて客席の端まで達すると、ドネダはリードを大きく震わせ、モーターノイズのような音を発し始めた。《白雨》でも聴かせていた、ソプラニーノ特有のオリジナルな奏法である。前半とはうって変わって、特殊奏法の展覧会になりかけたところで、山内は大音量のロングトーンを吹き始めた。あえて循環呼吸は使わずに澄んだ音を吹き渡せば、残響があるのでブレスを入れても音は持続する。音楽の主客はたちどころに入れ替わり、音空間を支配していたドネダの特殊奏法は大河の上を飛ぶ小鳥の囀りのような存在になった。ここに至って、この日の山内の地味なアプローチはドネダを引き立てるための意図的な選択であり、《白雨》の「他に選択の余地がない」状況とは全く違う次元に彼は来たことが明らかになった。もはやふたりは対等なのだ。

 このクライマックスから第3部を紡ぎ始めることも可能だったはずだが、ドネダは山内のロングトーンが緩やかにフェードアウトするのに合わせるように彼の側に戻り、静かに息音を交換して演奏を終わらせた。これは、予定のタイムリミットが来てしまったということなのだろう。クラシックの名演奏の終結時のような、長い沈黙と盛大な拍手。ふたりの対照的な動きが音素材の選択とぴったり一致し、インスタレーションが生み出した視覚空間の奥行きと長い残響が生み出した聴取空間の奥行きも音楽とちょうど噛み合った、「いま、ここ」でしか聴けない素晴らしい即興だった。ル=カン・ニン齋藤徹ら厳選された音楽家とじっくり音楽を育ててゆくドネダは、ドゥニク・ラズロアレッサンドロ・ボセッティらとたびたび共演してきたが、1時間以上ひたすらスタティックに、しかし「合わせ」には陥らない自発性を保ってサックスを吹き続けられる音楽家は世界でも山内くらいしかいない。同年生まれのふたりの、今後の共同作業への期待が膨らむ。

(2006年2月26日 馬車道・BankART Studio NYK

(c) 2006 Yoshihiko NONOMURA

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