「天狗と狐の野外音楽会」第1回 |
野々村 禎彦 |
杉本拓と宇波拓(ふたりは東北沢・現代HEIGHTSのbox gallery内に、主宰レーベルSlub Musicとhibari musicの共同ショップを構えている)が共同企画する野外音楽会の第1回公演が、2006年5月14日に多摩川の世田谷区側の中洲で行われた。二子玉川駅から程近い鉄道と道路の橋の中間地点、川沿いの道路からは遠く離れ、車の音は殆んど聴こえない。レジャーシートを広げた10組ほどの聴衆が見守る中、一番大きな音は家族連れ(聴衆の一組)の子供の叫び声や泣き声、次いで鳥の鳴き声と電車の通行音。楽音の大きさは、家族連れの話し声や、対岸にある高校の運動部の掛け声と同程度だ。また、川崎市側の河原は規制が緩やかなため、「春の生玉音楽祭」と銘打ったバーベキューパーティが行われており、PAに乗ったギターや歌声も聴こえてくる。
音楽会名は、「天狗」は杉本の某SNSでのハンドルネーム、「狐」は宇波の《狐》シリーズに由来し、妖かしの世界のおどろおどろしさではなく、肩の力の抜けた日常性を志向している。この日演奏されたのは、宇波《kitsune 5》、杉本《whole and notes》、Manfred Werder《20061》、Antoine Beuger《three drops of rain / east wind / ocean》。いずれも作曲作品であり、主催者が1曲ずつ、主催者と交流のあるヴァンデルヴァイザー楽派の作品が2曲。ヴェルダー作品は野外演奏を想定した新作の初演(委嘱作ではない)、ボイガー作品は2006年3月のロードリ・デイヴィス来日公演に際し、石川高とのデュオのために作曲された。ただし指定楽器はハープと笙ではなく、任意2楽器のための曲。
宇波作品は、杉本のレーベルからCD化された最初の2曲 (Slub Music, SMCD 08)と同じシリーズに属する。演奏者は向かって左から順に、杉本(El.G.)、大蔵雅彦(A.Sax.)、宇波(banjo)、角田俊也(tambura)、秋山徹次(Ac.G.)、さらに客席の左隅に服部玲治(太鼓)がしゃがんでいる。「弦楽四重奏」の和音と大蔵の持続音が入れ替わりつつ散発的に繰り返される部分に、杉本と大蔵のデュオを服部以外の3人が交替で装飾する部分が挟まれた三部形式。服部の打音はアンサンブルの中でも図抜けて散発的で、果たして演奏の一部なのか判断し辛いほど(注1)。同一の音高や和音を執拗に繰り返すことで、儀式的な雰囲気が作り出される。ただし音密度は低くビート感もないので、「ミニマル音楽」には聴こえない。
杉本作品も同じ6人編成だが、服部は杉本のすぐ左に位置し、音楽の中で果たす役割も大きい。音密度は一呼吸1〜2音程度の間で常にゆらぎ、「沈黙の音楽」には聴こえないが「音楽的意味」も生じないピンポイントを狙っている。宇波作品とは違って音高は一音ごとに変わり、「旋律断片の集積」として聴けそうに思えるが、残響のない屋外で頼りない音色で鳴る服部の太鼓が、偶然の線が聴き手の中で生まれてしまうことを妨げる。中間部は、奇しくも宇波作品と同じく杉本・大蔵デュオになるが、奏者が減った分音数も減って音響自体はスカスカになるにもかかわらず、途端に仄かな抒情が漂い始めるのは、アンサンブルの中での太鼓の意味を逆説的に示している。
ヴェルダー作品の譜面は「各奏者はその場を動かない」程度の1行指示のみからなり、「作品の意図」は連作の別な曲も聴いて/見てみないとなんとも言えない。宇波とメイルで雑談を交わすうち、「野外演奏会をやることになった」「じゃあこの曲初演して」というやり取りを経て曲目に加わったという。この日の演奏は、大蔵・角田・秋山によって行われた。大蔵はオーソドックスに時折、だが意図的に他作品よりも芯のない音で吹く。角田はもはや一音も弾かず、川の方を向いてポーズを取り、時折楽器を抱え上げる。秋山は最初のうちは小枝を拾って楽器を叩いたりしていたが、やがて指板上に黙々と石を積み始め、時折弦を緩めながら最後までこの作業に専念した。結局、3人のキャラクターを視覚化することがこの日の「解釈」になった。
ボイガー作品の譜面は、相対音高を黒丸で記したボックス・ノーテーション(60年代ベリオ流の)2段からなり、数10音と10音弱の各段が各奏者に対応する。任意楽器とは言っても、減衰の早い撥弦楽器と持続音の出せる管楽器という初演の編成は意識されており、減衰の早い楽器が音数の多い段、持続音を出せる楽器が音数の少ない段を弾いて同程度の時間で終わることが想定され、音数の少ない楽器がステージ奥に位置するように指定されている。この日は大蔵が左手奥の草叢にしゃがんで吹き、杉本・宇波・秋山が順に1回ずつ弾いて、譜面の可能性の幅をリアライズした。大蔵は、例の家族連れの子供が「音が聴こえないよ!」と騒ぎ始めるくらい微かな、だが芯のある音で風に色を付けるように吹き、ギターの3人は辛うじて「線」として認知できるくらいの密度で訥々と音を置いてゆく。演奏が始まる直前に「ストップウォッチを押してから5分後に音が出始めます」と宇波がアナウンスしたり、弾き終わってからも楽器を構え続ける秋山に、杉本が「もう終わりにしない?」と声をかけて終わらせたりと、ヴァンデルヴァイザー楽派の音楽につきまといがちな「精神性」を脱臼させる意図も垣間見えた。
かつての宇波がHOSEのための楽曲で見せていた脱臼志向が、杉本の新作に見え隠れしたことと、野外演奏の特性を生かした、本来のステージ演奏以上の魅力を持つボイガー作品の解釈が印象に残ったが、演奏会単体としては、GW前の飲み会で思いついて急遽ウェブで告知した、という開催の経緯以上のものはなかった。「第1回」を謳うからには、野外演奏を前提にして作曲作品が準備されるであろう次回以降に期待したい。ただし、今日の音楽状況の中では、この演奏会には興味深い点がいくつもあった。まず、主催者とヴァンデルヴァイザー楽派の親和性が明確に打ち出された。このグループに参加している作曲家の多くは即興経験を持ち、《Schlothauer's Maniacs》(Timescraper Jazz, TSCR 9801)という軽音楽アルバムすらリリースしている。彼らが現代音楽アカデミズムよりも即興音楽家たちと気が合うのも不思議はない。彼らの音楽を必要以上に「精神性」や「哲学性」と関連付けようとする誤解を避ける意味でも、彼らの作品の日本初演歴を調べるとアカデミズムとは独立な音楽家たちの野外音楽会が並んでいる、となるのはよいことだ。杉本と宇波の作曲志向も、彼らとの交流を通じて(鶏が先か卵が先かはともかく)理解できる。
また、この種の音楽が東京圏に根付くに至った「場」の変遷を思うと、野外というこの日の選択は感慨深い。代々木・OFF SITEは麻布十番・Deluxeと並ぶ、00年代前半の代表的な場だったが、住宅地の路地裏にある壁の薄い木造の民家を改装したギャラリーという特異な条件のため、中で出す音も外から入ってくる音も筒抜けで、音環境としては「野外」に屋根と囲いを付けただけと言っても大袈裟ではなかった。PAを持ち込むどころか、アコースティックギターをかき鳴らすだけでも近隣から苦情が来るような状況では、「弱音」「微音」「無音」などと形容された即興スタイルが生まれるのは必然だった。また、虫の音、雨の音、ビル風、バイクの爆音、酔っ払いの歌といった、あらゆるタイプの街の音の中に浮かぶ音響に聴き入っていると、耳の解像度を上げて音の縁に耳を澄ます行為はコンセプト先行のエリート主義ではなく、日常の延長から自然と生まれてきた。その後、OFF SITEで行われていたイヴェントは都内のさまざまな新しい場に拡散し、いくつかの伝統あるアングラスペースもそこに加わって、2005年4月にOFF SITEが活動を停止した後も、この種の音楽を支える場は保たれてきた。
だが、OFF SITEの「野外」性は、当時から特異なものだった。環境音がしばしば楽音よりも大きくなる場は少なくないが、それはもっぱら鉄道高架や幹線道路の、淡色で均質なノイズである。その後の傾向としては、運営方針はライヴハウスとは異なる(注2)が、遮音性が高くPAも備えた場で企画が行われることが再び増えた。Deluxeが後の六本木ヒルズのお膝元に位置する地下のクラブ的な空間に移り、Super Deluxeと改称したことは、この変化を象徴していた。本稿で扱ったライヴと前後してオープンが告知された、吉祥寺・GRID605という新しい場も、マンションの一室の窓を閉め切って解像度の高い(小音量での使用を前提にした)スタジオモニターを置いた空間であり、「密室」へと向かう流れの中にある。このような状況の中で、今回の野外音楽会という企画は非常にタイムリーなものだった。野外のさまざまな音響(通常の音楽会では有り得ない、子供が騒ぐ声も含む)に余分な意味付けを行わず、楽音と対等に聴くことができる耳が錆び付いていないことを確認し、思考も活性化されて有意義な時間を過ごすことができた(注3)。
(注1) 恥ずかしながら、初稿では演奏者に数えていなかった。服部氏のご指摘に感謝致します。
(注2) 通常のライヴハウスは、ライヴが行われなければ殺風景な地下室でしかなく、一定数の動員が見込めるライヴが頻繁に行われていなければ経営は成り立たない。まとまったレンタル料を設定するか、なるべく客層の被らないバンドを対バンで組み(従って、ライヴ全体の一貫性は乏しい)、各バンドにチケットノルマを課すかして、数ヶ月前からスケジュールを埋めていかざるを得ない。しかし、このような制度下では実験的な企画は採算が取れない。
(注3) その反面、昂揚した気分の中で書かれた初稿には不正確な記述や誤解を招く記述があり、岩井主税・杉本拓・宇波拓各氏にはご迷惑をおかけ致しました。この場を借りてお詫び申し上げます。