入間川正美:セロの即興もしくは非越境的独奏'06 vol.1/2 |
野々村 禎彦 |
本サイトで入間川正美のチェロソロ即興ライヴを取り上げてから、2年近くが過ぎた。この間にも彼はソロ即興ライヴを何度か行い、その中には2005年9月の、3日連続という大規模な企画もあった。この間のソロライヴには残念ながら足を運ぶことはできなかったが、2005年4月17日、EXIAS-J electric conceptionの一員として出演した三軒茶屋・Grapefruit Moonでのライヴでは、電気/電子楽器の若手音楽家たちのアンサンブルの中で水際立ったソロを聴かせ、2006年1月24日、豊住芳三郎ストリングトリオ(今井和雄のギターとともに、豊住は主に二胡を弾くというコンセプト)の一員として出演した新宿ピットインでのライヴでは、ゲストのSachiko Mとの共演の可能性を感じさせた。だが、3日連続ソロライヴの後、彼自身による企画は滞った。彼が運営するウェブサイトにも、なかなか音楽活動に踏み出せない苦悩が綴られていた。それだけに、久々に告知されたソロライヴには、並々ならぬ決意を感じて駆けつけることにした。
連続公演の1回だけ聴いても全部聴いても料金は殆んど変わらないという設定(注1)はこれまでのソロライヴと共通しているが、今回は2回の公演を夕食休憩を挟んで1日で行った。すなわち、両公演を続けて聴くことが企画の前提であり、途中で帰っても途中から来ても、当然料金は同じということになる。この方式だと、この日の筆者のように、まずマチネを聴いてみて、「これは!」と思ったらソワレも聴く、というスタンスも可能になり(ただし聴衆の多くは、最初から2ステージ分の料金を払うか、通常のライヴの時間に始まる第2ステージのみを聴きに来ていた)、音楽家の負担は大きいがモチヴェーションも高まるのではなかろうか。各ステージ2セット、各セット約40分とアナウンスして始められたが、時計を見ながら演奏しているわけでもないのに、計ったようにこの時間に収まった。演奏行為に入れ込みすぎず、客観的な視点を保った状態で行われた即興だったことが、この事実から窺える。
具体的な即興内容に移ろう。ソロでもアンサンブルでも、繊細に震えるようなフレーズを断続的に生み出すのが、入間川の従来の即興スタイルの基本線だったが、この日の演奏は大きく異なっていた。第1ステージ第1セットでは、まず弓を使わず、かといってピッチカートでもなく、弦の上に両手を滑らせる。左手は通常のポジションに置き、右手がその上下を動き回る。手の位置に応じて、指と弦の摩擦音や指を弦に置いたり離したりする音が微かに変化する。この微妙な音響を十分に精査した後、右手も通常のポジションに下ろしてピッチカートも若干弾いたが、あくまで指と弦から生まれるさまざまな音響の探査の一環としてであり、そこから「音楽的」な演奏が始まるわけではない。
用意した2種類の弓のうち、まず木の弓を取るが、普通に毛の部分で弾くのではなく、木部を弦に当てて擦る。ただし、強く押し付けて強烈なノイズを生み出すのではなく、音量は弦上で指を滑らせるのと同程度である。時々急に音量が増すのは、弓の角度を変えているうちに、毛の部分が偶発的に弦に触れてしまうから。毛の部分を押し付けて弦を擦る場面もあったが、この際も弦が振動して胴に共鳴しないよう、細心の注意が払われていた。カーボン弓に持ち替えて、ようやく音を響かせ始める。清潔な切れ切れの線が伸びてゆく彼らしい音楽が始まったが、実はこれは指慣らしだった。そこから音響は削りに削られ、やがて弓を持つ前以上の静寂に会場は包まれる。
異変は、まず右手に起こった。左手のフレージングはそのままに徐々に弓圧を弱めてゆき、どこまで音が認識できるか試すかのよう。交通量の少ない住宅地の、道路からは二重の扉で隔てられた会場のため、楽音と入れ替わりに際立ったのは、入間川が録音用に持ち込んだハードディスクレコーダーの回転音だった。楽音が環境音に完全に埋もれるといったん弓を離し、今度はゆっくりと弓を動かしながら、どこまで弦を振動させると胴に共鳴して楽器が鳴り始めるかを探る。ここに至って左手もポジションを固定し、弓を返しながら微小持続音を保つ。この行為を左手のポジションを変えながら数回繰り返し、ふと音が止んで入間川が頭を下げると、アナウンス通り40分が過ぎていたのには驚いた。一連の演奏の中での「休止」の瞬間はあっても、記号的な「無音」「沈黙」の時間はなく、感覚的にはせいぜい10分程度しか経っていなかったのに。
第2セットに入っても、非妥協的な音響探査という方向性は変わらない。第1セット終結部を受け継いだミニマルな弓弾きから入るが、フレージングに伴って左手を滑らせたり指を離して音程跳躍したりするたびに、第1セット冒頭と同様の音が鳴り、楽音との「重音」が実現される。本サイトでもレポートした、山内桂(Saxes)の息音と実音の「重音」が連想されるが、音量的にはこちらの方が微小であり、第1セットで個々の奏法が生み出す音響を「予習」しておいたからこそ、このプレイが楽しめるという仕掛けになっている。このライヴは「即興」と銘打ってはいるが、実際には構成や展開は事前から練っていたのではないだろうか。第1セット終盤、そこまでの展開とは異質な持続音が現れたのも、次セットで音程変化に伴う「影の音」を強調するためならば納得できる。
次のセクションでは、弦に毛の部分を押し付けて擦る。第1セットでは胴に共鳴しないように慎重に擦っていたが、今回は委細構わず盛り上がって共鳴が始まり、やがて弓の往復運動に伴うビートも混ざり始めると、ここにフレーズを乗せて「音楽的」なプレイが始まりそうな雰囲気が漂う。だが、この盛り上がりも、次なる音響探求の準備運動にすぎなかった。弦と毛の摩擦音も胴鳴りも十分な音量に達すると、両者を独立にコントロールする「重音奏法」が可能になる。ポップなビート感から、ある閾値を超えた途端に前代未聞の音世界が開けた瞬間はこの日のハイライトだった。
再び、第1セット終盤のような持続音の弓弾きが始まったが、今度は音量のリミッターはかけない。胴が鳴り始めても弓圧を上げてゆくと、あるところから音量は指数関数的に大きくなり、弓が端まで行くと鳴り止む。あえて耳に頼らず、手の感触に基づいて弾くと、「通常の演奏」はいかに狭い領域で行われているかが逆照射される。続けて、通常の奏法による多少の指慣らしを挟み、微小持続音をひたすらキープする。耳を澄ますほどに、楽音と沈黙の境界に吸い込まれそうになるが、持続音の音量を徐々に絞っているわけでは決してなく、むしろSachiko Mがサンプラーの正弦波発振音を伸ばす時のように、均質な音響を極力保つ。楽音だけを選択して聴いていた耳が、時を経るにつれて環境音にも開いてゆく結果なのだろう。何度も弓を返しながら、このレベルの均質な音響を保つのは、非常に地味な超絶技巧である。
最後は、弓の当たる位置よりも駒留側を押さえて音響をコントロールする試み。さらには弓を親指と中指で挟むように弦を押さえ、胴との共鳴を消して他の開放弦との共鳴のみを聴かせた。この奏法はまだ未完成だが、第1セットよりもさらに音響実験に傾斜したこのセットを象徴する終わり方だった。入間川が従来のソロとは隔絶した領域に足を踏み入れたことは、コアな聴衆の当惑したような疎らな拍手にも表れていた。
第2ステージ第1セットはカーボン弓による弓弾きから始まり、従来の彼のソロ即興を踏襲した演奏が続いた。弓圧を機械的に増やして音量を急激に発散させたり、毛で弦を擦る音と胴の共鳴音の重音を響かせたりと、第1ステージで探求した奏法をところどころに挟みつつ、最後は弓を両側から挟むように押さえる奏法で幕。第1ステージを聴いていなければ、これらの奏法の特殊性は意識に留まらないくらい、従来のソロ即興のスタイルに自然に溶け込んでいた。その反面、第1ステージの緊迫感も洗い流されてしまった。 続く第2セットでは、一転してあからさまに第1ステージの要素を取り込んでゆく。弦を木部で擦り、指を滑らせた音響を聴かせ、若干のフレーズを急激な音量変化で断ち切り....ここまでは第1ステージのカタログのよう。ここで演奏を中断し、エンドピンの調整を始めたのは何事かと思ったが、駒留の反対側を擦るノイズを続ける準備だったようだ。自由即興音楽的なフレーズが戻ってきてこれで大団円かと思いきや、それを断ち切って、持続音をどこまでも伸ばす奏法に強引に持ち込んで終えた。
振り返ってみると第2ステージは、従来奏法の隙間に新奏法を溶け込ませる/新奏法を従来奏法で繋いで一続きの流れを作る、という二部構成を意図していたようだが、打ち上げでも自認していた通り、この意図が実現されたとは言い難い。第1セットでは溶け込ませることに傾いて異物感が失われ、第2セットでは単なる並置に留まって一体感には到らなかった。だが、第1ステージの諸奏法は、「自分の音楽を一度壊す」「音楽とは言えないところまで立ち戻る」ために今回初めて導入したものだという。むしろそれが、2時間弱の休憩を挟んだだけで従来の音世界と齟齬なく一体化するようでは、「周回遅れで《音響スタイル》に乗っただけの予定調和」という批判を免れなかっただろう。この日の第1ステージは、その種の安易な「流行りもの」とは次元の違う、近年疲弊が目立つ「音響的即興」の原点を思い出させてくれる緊張感に満ちたものだった。また、彼がこの日の第2ステージのような模索を続けている限り、第1ステージで試みた諸奏法が常套語法に落ち着いてしまうこともないだろう。この模索は、結果的に従来奏法への回帰という形で決着したとしても、これまでの彼には越えられない壁になっていた、ソロ即興の音楽性を保ってアンサンブルの一員になることを可能にするように思われる。
さらに付け加えるとしたら、山内桂のプロ転向後の東京圏デビューは大友良英のプロデュースで実現し、その後の山内の東京圏における企画の共演者も、音響的即興シーンの周辺から選ばれることが多い。彼の音楽の展開と、このような演奏環境は無関係ではないだろう。他方入間川は、少なくとも表面的には(注2)音響的即興シーンとは関わってこなかった。「個体発生は系統発生を繰り返す」に相当する現象が、インディペンデントな活動を貫いてきた優れた音楽家の中で起こっていることは、「音響的即興」というムーヴメントは一過性の流行ではなく、即興音楽の歴史における「歴史的必然」だったことの傍証にもなっているのではないか。
(注1) この日は、マチネのみで帰ると300円安くなる設定だったが、これはソワレの後に会場での打ち上げが用意されていたからである。特売の発泡酒と若干の乾き物という、値段に見合った質素な内容だったが、聴衆どうしが勝手に盛り上がっている脇で静かに佇む、主役然としない入間川の振る舞いは印象的だった。
(注2) とは言っても、入間川は意図的に情報を遮断してきたわけではない。豊住トリオでの初共演以前から、彼はSachiko Mの音楽に興味を持っていたというし、このところ共演する機会が多かったEXIAS-Jの音楽家たちにも、言葉の上での反発とは裏腹に、音響的即興の影響が見え隠れしている。
(2006年6月17日 高田馬場・プロト・シアター)
(c) 2006 Yoshihiko NONOMURA