アンサンブル・ボワ特別演奏会:フェルドマン《弦楽四重奏曲第2番》(1983) |
野々村 禎彦 |
現代音楽は演奏されなければ始まらないので、自分たちの作品を演奏するために作曲家が中核になって現代音楽をアンサンブルを結成する、という例は洋の東西を問わず多い。だが、自作演奏とは離れて現代音楽アンサンブルを始めようという奇特な音楽家は、現代音楽への助成が少ない日本では特に稀だ。譜面代に加えて相応の著作権料を払い、普段仕事にしているクラシック音楽よりもはるかに難しい譜面をさらっても収支は常に持ち出し、という状況でモチヴェーションを保つには並々ならぬ情熱が求められる。日本の現代音楽界におけるアンサンブル・ボワの位置をいくつかの現代音楽アンサンブルと比較しつつ、まずこちらにまとめておいた。
本稿で取り上げる演奏会は、彼らのハードコアなスタンスを象徴するものだった。曲目はフェルドマン《String Quartet II》(1983) 1曲のみ。Ives Ensemble盤 (hat hut, hat[now]ART 4-144) では5時間弱、Flux Quartet盤 (mode, 112) では6時間強を要するフェルドマン最長の作品であり、もちろん日本初演となる。この程度の時間のマラソンコンサートは珍しくないが、この作品が恐ろしいのは単一楽章休憩なしという点で、もちろん聴衆は出入り自由。第2ヴァイオリンは江副麻琴と川上裕司、ヴィオラは佐藤佳子と藤原歌花が交代で(前半/後半で一度:弾かない時は譜めくりを担当する)弾いたが、第1ヴァイオリンの竹内弦とこのコンサートを企画したチェロの多井智紀は全曲弾き続けた。ただしフェルドマン作品の1999年9月以降の演奏会リスト(ほぼ欧米に限定された不完全なリスト)とその統計を見ると、このモニュメンタルな作品は近年ではむしろ人気曲のひとつであり、録音した2団体以外にもレパートリーにしている常設弦楽四重奏団はいくつもある。
クラシックコンサートは夜の7時から9時まで、と型が決まっている日本では、この枠を外れる後期フェルドマンの長時間作品が聴ける機会は極めて少ない。筆者の記憶の範囲では、フルートとピアノのための《For Christian Wolff》(1986, 約3時間半) が2回演奏されただけである。80年代末の工藤重典と高橋アキの日本初演は、ウィスキー会社の助成を得て飯倉のサロンで行われ、ロビーに出れば各種ウィスキー飲み放題という、バブル時代らしいイヴェントだった。2000年の木ノ脇道元と中川賢一による演奏は、木ノ脇が当時しばしばソロリサイタルを行っていた門前仲町・門仲天井ホールという、東京の下町の慎ましい空間で行われた。
今回の会場は、千葉市美術館さや堂ホール。JR千葉駅から徒歩15分余り、オフィス街と住宅地の境界に位置する会場は、旧川崎銀行千葉支店のエントランスホールを美術館のエントランスホールに転用したという、洋館の吹き抜けの大広間を思わせる空間。高い天井・横長の空間の端ではなく中央に舞台を設けた音の広がり・石の壁に囲まれているが舞台の床はフローリングという特性が相まって、残響は豊かだがエコーにはならず、しかも立ち上がりは遅めなのでアタックの直接音をマスクすることもない、弦楽器には理想的な音響である。4奏者が円卓を囲むように座り、「正面」を作らない配置は、この音響だから可能になった。相当な覚悟を持った者しか聴きに来ない(逆に、マニアなら会場の場所によらず聴きに来る)曲目だけに、アクセスは犠牲にして予算の範囲で音響にこだわった選択は正しい。
ヴァイオリンとヴィオラの3人がひとつの音世界を作り、チェロだけが独自の動きをする場面が多く、なぜ多井が今回の演奏会を企画したのかよくわかる。しかもベースラインをゆっくり奏するのではなく、チェロだけが慌ただしく動き回るのである。残る3人の中ではヴィオラがやや特別で、ヴィブラートを効かせた歌を担当する場面がしばしば。これは《Rothko Chapel》や《The Viola in My Life》シリーズでも馴染み深いフェルドマンの嗜好だ。楽音以外の会場の音響に耳を澄ますと、コンサートホールのような密閉空間ではないので、窓から車の音や虫の声が入ってくる。それらが途切れると、今度は照明が発するノイズが微かに聴こえる。空調が要らない季節なのは幸いだった。さすがに聴衆は疎らだが、少数精鋭だけにマナーも良く、長丁場を聴き通すには絶好の環境が生まれた。
滑り出しは実に表現主義的。旋律はゆっくり歌い、沈黙も余韻が消えるまでじっくり取る。弓は目一杯に押し付け、ピッチカートもバルトーク風に深い。途中でトイレに立たなくても済むように気をつけてはいたが、既存の録音と比べてもはるかに長い演奏になりそうだと気を引き締めた。このテンションは1時間半にわたって持続したが、バルトークが急速楽章で用いるような高速ピッチカート以降は、あまり表情をつけない弾き方に変わった。まだ単純反復は行われず、既出の音型に音程圧縮・反行・カノン的シフトなどの古典的変形を施した上で、続々投入される。半音階的な音型を音域をずらしながら重ね合わせ、不協和な衝突が至る所で起こる、3時間目の印象的なイヴェントを経て、今度は複数の既出音型の重ね合わせ。
この日のテンポ設定では約1時間半ごとに音楽の節目が出現したが、4時間半目でそこまでに現れた急速な音型をまとめて回想し、それが済んだところで第2ヴァイオリンとヴィオラが交代。折しも午後6時を回ったところで、この交代に向けて陽が落ち、交通量も減り、代わりに虫の声が大きくなり、聴取環境の変化が時間経過を一層強く感じさせる。音楽も、ここで一挙にモノトーンなものに変化し、以後は増4度のくすんだ和声が保たれる1時間と長2度をひたすら繰り返す30分間が続く。6時間目に、長3度のトリルを音域をずらしながら重ね合わせるクラスターという新しい要素が投入され、その後は作品全体を圧縮して振り返るプロセスが1時間半にわたって続き、午後9時を回ったところでついに大団円を迎えた。
7時間半にわたる演奏にもかかわらず、緊張の糸が切れる瞬間がなかったことをまず特筆したい。メンバー交代と曲想の変化が一致していたので、奏者ごとの微妙な解釈の違いはあまり気にならなかったが、"ensemble bois string quartet" 名義で舞台に上がったこともある4人のみでの演奏も聴いてみたい。フェルドマン作品演奏では常に問題になる細かいリズム指定の処理も、演奏を重ねるうちにより正確になっていくだろう。ただし、この作品ばかりを名刺代わりに繰り返し演奏するのは、彼ららしくないことも確かだ。既に《Piano, Violin, Viola, Cello》(1987) を取り上げた彼らが今後も後期フェルドマン作品に取り組むならば、《For Philip Guston》(1984) をはじめとする日本未初演作品の演奏に期待したい。
日本におけるフェルドマン作品の受容は、武満徹・高橋アキ・近藤譲らの尽力によって、70年代から80年代にかけては米国本国と同程度の水準で行われていた。だが80年代に始まり、CDフォーマットの普及とともに90年代に爆発的に広がったヨーロッパでの米国実験主義音楽再評価の潮流は、日本の現代音楽界には全く影響を与えなかった。日本にはケージ信奉者は少なくないにもかかわらず、ナンバーピースが取り上げられる機会は殆んどないことは象徴的である。アンサンブルの運営では「日本の伝統」を踏み越えた彼らは、どのようなアプローチを見せるのだろうか。
なお、この日の公演に唯一苦言を呈するとしたら、「約5時間」と告知していたことである。7時間半という規格外の演奏時間自体は問題ではなく、この会場ならばこの解釈がむしろ適切だと思うが、新幹線や航空機の最終便にあたる時間帯に、名残惜しそうに帰って行く聴衆が数人出たことは企画として問題ではないか。告知前に同じ会場で通しリハーサルを行うことは不可能な曲目とはいえ、この日の演奏が6時間程度では収まりそうにないことは最初の数分でわかった。今後の企画の糧にしてほしい。
(2006年10月15日 千葉・千葉市美術館さや堂ホール)