Walking in Space:平石博一の空間音楽 |
野々村 禎彦 |
平石博一は、キャリアのほぼすべての時期にわたってミニマル音楽の可能性を探り続けてきた。かつての米国のミニマル音楽第一世代の作曲家たちのように、彼もアカデミズムとは距離を置いて音楽活動を続けており、アレンジ等を通じてポピュラー音楽の録音現場と関わり、現代音楽とも写譜を通じて関わることで生計を立ててきた。また、Sonic Arts社を運営する彼は、松平頼則・松平頼暁・近藤譲をはじめ、当時は出版の機会に恵まれなかった作曲家たちの楽譜を出版していた時期がある。現在ではマザーアース社がこの役割を担っているが、デジタルデータとして大量の譜面を製作し管理することが困難な時代に、上記のような国際的に重要な作曲家に絞り込んだラインナップに、平石の音楽観の一端が窺える。
他方平石は、奏者の空間配置などによって実現される音楽の空間性にも初期から関心を持ち続けてきた。この日の演奏会タイトルにもなった《Walking in Space》(1978) は、60名を超える吹奏楽団で聴衆を取り囲む作品である。1996年、Music Merge Festival 出演を機に結成された「P-ブロッ」は、「現代音楽」の境界領域を広げながら活動を続ける野村誠が率いる鍵盤ハーモニカアンサンブル。彼らにとって平石は、「現代音楽」的な密度の高い音楽をこの編成に合わせて書ける稀有な作曲家であり、彼にとってP-ブロッは、「空間音楽」を生演奏でコンパクトに実現できる場だった。デビューライヴ以来、両者の共同作業は続いている。
また、近年のコンピュータの性能向上により、8ch信号をラップトップ上のDTMソフトからアンプ付きスピーカーに直接出力すれば多チャンネル再生がコンパクトに行えるようになったことを受けて、平石は作曲の中心をコンピュータ音楽に移した。吉祥寺の古書店「百年」(本棚にコンパクトスピーカーをはめ込み、営業時間中にサウンドインスタレーション的に再生)や渋谷の多目的スペースUplink Factoryでのデモンストレーションを経て、この日のホール公演が行われた。会場が手狭なため、P-ブロッで奏者の空間配置を行うためには8chスピーカーを撤去しなければならないという事情もあり、前半がコンピュータ音楽6曲、後半がP-ブロッのために書いた全7曲を作曲年代順に並べるプログラムになった。2部構成で3時間近い長大なコンサートであり、セットリストは以下の通り:
| P-ブロッ: |
野村誠、鈴木潤、しばてつ、吉森信、林加奈 [以上正規メンバー]、 赤羽美希、正木恵子、渡邉達弘(鍵盤ハーモニカ) |
映像作品に音楽を付けた《少年と海》以外のコンピュータ音楽に転換は不要。P-ブロッのための作品は1曲ごとに配置や編成(奏者は曲によって4人から8人まで増減)が変わるが、2台のトイピアノを伴う《風光る》以外は各奏者が椅子を運べば済むので転換の手間はさほどでもない。予定以上の長時間コンサートになったのは、予想をはるかに上回る聴衆が訪れて通路を補助椅子が埋める状態になり、途中入場者が来るたびに椅子を並びかえていたことが大きい。プログラムノートに加えて1曲ごとに平石の解説(後半は野村との対談)が入る。アカデミックな堅苦しいものではないが、妙にジョークに流れるでもなく、3時間を長く感じさせない。
前半のコンピュータ音楽でまず印象に残ったのは、midiピアノ音源の旧作と、全音響をコンピュータで合成している近作の違い。音響が高速で移動する際の定位に大きな差があり、位相まで完全に制御しないと、生音のようなリアルな存在感は得られない。また《少年と海》は、平石の音楽はいかなる情感も持たないだけに、映像に寄り添うとあらゆる微妙な情感の器として機能することを教えてくれる。後半のP-ブロッのための作品群では、ピアノ曲を編曲したアップテンポの作品よりも、《緑色のガラスをぬけて》のような和音の推移を聴かせる作品の方が、編成の妙味が生きていると感じた。《石は足につまづく》では足踏みが多用されるが、ステージがなく演奏者と聴衆が同じ床の上に座っているこの会場では一層効果的だ。《この風は新たな光を保つだろう》の素材の雑多さと明確なディスコースを持った展開は、後述する平石作品がポップ化した一時期の典型例である。
通常のレビューでは各作品をさらに詳しく眺めてゆくが、今回はあえて最新作2曲に対象を絞りたい。P-ブロッの2奏者ずつを会場の四隅に配した《Walking in Space》は、30年前の同一タイトルの作品と直接の関係はなく、平石は正面左手で客席を向いて指揮する。持続音中心の穏やかな音楽だが、隣り合う2奏者のユニゾンは鍵盤ハーモニカ特有の音程の不安定さのために微分音的にズレて干渉した味わい深い音響になり、空間を受け渡されてゆく。《Purple Passing into Purple》や《少年と海》では「メロディ」としてまとめていた音楽要素が、生楽器の存在感のおかげで単独の音響でも十分間が持つようになり、抽象性と透明感が増した。この音楽をまだ「ミニマル音楽」と呼べるとしたら、反復と推移という従来の意味ではなく、音楽におけるミニマルアートの対応物という意味になる。
コンピュータ音楽《小説:ショパンを聴いて戦争へ行こう!》は、平石の創作のラディカルな転回をさらに強く示した。松井茂の詩をさかいれいしうが朗読した声が唯一の素材。原詩はその一〜その三に分かれており、作品もテキストに沿った三部構成。その一&その三は2007年4月のUplink Factoryでのイヴェントで初演され、今回はその一の再演とその二の初演。全曲演奏にしなかったのは、現時点では続けて再生するとソフトがフリーズしてしまうからだそうで、情報量はラップトップ(MacBook)のスペックの限界にあたる。その一は音像を移動させながら朗読を再生する小手調べだが、音像移動を効果的にするために、言葉の間は細かく調整されている。その二以降では変調などの加工が行われ、しばしば声を素材にしたノイズミュージックのような激烈な音響に至る。NHK電子音楽スタジオで制作された《回転する時間》(1993) では、具体音を素材として用いた楽章でも常にパルスが刻まれ、ミニマル音楽の特徴は明瞭に保たれていたが、この作品に至ってはもはやミニマルアートとしての音楽ですらない。
平石の音楽は、主にミニマル音楽の文脈で語られてきた。その流れは、《回転する時間》を含む作品集 (fontec, FOCD3193) における近藤譲のライナーノートにコンパクトにまとめられている:「対位法の奥義」に象徴される、近代西洋音楽の秘教性の「脱魔術」を図ったのが20世紀の前衛運動であり、初期ミニマル音楽はその終着点に位置する。平石は先駆者ライヒの追随者のひとりとして歩み始めたが、ライヒですら《変奏曲》以降は秘教の側に回帰しつつあるのに対し、今日でもただ一人「脱魔術」の荒野を行くのが平石の独自性である、という論旨。だが彼も、近藤による平石論が書かれた90年代前半頃から、一時は秘教側に向かっていた。それは70年代後半から80年代初頭にかけてグラスやライヒが向かった近代西洋音楽化の方向ではなく、彼らミニマル音楽第一世代も90年代以降向かった、ポピュラー音楽化の方向である。特に打ち込み要素の導入においては、平石は現代音楽界の誰よりも屈託がなかった。実際、当時の彼は「《回転する時間》は本当はテクノレーベルからリリースしたかった」と語っていた。
だが、21世紀に入ってコンピュータ音楽を創作の中心に据えてから、平石の作風には新たな変化(端的には初期ミニマル音楽的な「脱魔術」への回帰)が再び起こった。それは、音響の空間移動が特に有効に機能する音楽は、ホールやディスクで有効に機能する(必ずしも純音楽的な意味だけではなく、受けの良さも含めて)音楽とは違うということでもある。また、初期ミニマル音楽を多チャンネル再生で機能させるには、テープループや生演奏では推移の結果として自ずと生じる音響現象を、逐次的に管理しなければならない。ミニマル音楽に拘る限りは、この方法論は無駄な手間を増やしただけに見える。しかし、いったんこの方法論を手の内に入れれば、ミニマル音楽以外の素材にも拡張することができる。《小説:ショパンを聴いて戦争へ行こう!》と2008年版《Walking in Space》はまさにそのような音楽であり、未踏の肥沃な大陸が眼前に開ける瞬間を目の当たりにする圧倒的な体験だった。
パイオニアたちは30年前に見切りをつけた初期ミニマル音楽と、マーラーやアイヴズまで遡れば一世紀以上、シュトックハウゼンらの厳格なパラメータ操作に限定しても半世紀以上前には確立していた空間音楽という、時代遅れとみなされがちな語法に拘り続けてきた平石は、60歳を迎えた年に、両者の交点の先にある豊かな鉱脈を探り当てた。思えばヤナーチェクも、対位法への反感に由来するオスティナート書法と日常会話の採譜に導かれた調性からの離脱という、無調の組織化と新古典主義に向かっていた潮流の中では時代遅れに見えた発想を突き詰める中で、20世紀を代表する作品群に60歳を超えてたどり着いた。音楽史の扉が開く現場に居合わせた幸運に感謝し、平石の今後の歩みを見守り続けたい。
(2008年2月17日 門前仲町・門仲天井ホール)
(c) 2008 Yoshihiko NONOMURA