101年目からの松平頼則 I |
野々村 禎彦 |
2001年の秋に松平頼則が世を去ってから7年近くが過ぎた。1907年生まれの松平は、咋2007年に生誕100年を迎えていたが、これといった追悼企画もないまま通り過ぎた。日本人でISCM最多入選記録を持ち、新古典主義と戦後前衛書法の双方で世界のトップレベルに達した唯一の作曲家(ペトラッシやB.A.ツィンマーマンですら、こう呼ぶことはできない)への遇し方としては、あまりに冷たい。生前にはまだしも、節目の年には何らかの演奏会が企画されていたというのに。
このような日本現代音楽界の松平への冷淡な姿勢を目の当たりにして、石塚潤一は自分の手で演奏会を企画することを決意した。松平頼則論で柴田南雄音楽評論賞奨励賞を受賞して音楽批評を始めた彼にとって、この作曲家は特別なのだ。この企画が生誕100年の翌年から始まったのは、このような事情による。楽譜出版社が管理するスケジュールに従って、数年先まで詰まった委嘱を片付けてゆくのが今日の「国際的作曲家」の普通の姿だが、「芸術至上主義」の松平はこのようなあり方を潔しとせず、たとえ大編成作品でも創作意欲の赴くままに作曲していた。『源氏物語』に基づく室内オペラ《宇治十帖》(1998) も、そのような作品のひとつである。徐々に編成を拡大して室内楽作品の全体像を描き出し、松平の創作史の集大成とも言うべきこの作品を世界初演することが、この企画の最終目標だという。
今回取り上げる第1回公演は、ミニマムな規模からの出発であり、セットリストは以下の通り:
継続的な企画を行うには会場選択も重要である。交通の便も良く音響も良いが、招待券を乱発してどうにか格好が付くような規模のホールを用いていては、公演は続かない。『eX.』シリーズや『claviarea』シリーズの選択は示唆的だが、企画の性格上なるべく同一会場(同一の音響条件)で公演を続け、静謐な作品が多いので遮音性も必要とあっては、条件はより厳しい。音響には定評があり、規模も適切(200席弱)で、新宿方面からのアクセスは実は飯田橋・トッパンホールや上野・東京文化会館小ホールと変わらない荻窪・杉並公会堂小ホールは妥当な選択だと思う。しかもこの会場は、松平の終の住処となった中野からも近い。
前半1曲目《ソナチネ》は、プーランクの《オーボエ、バッソン、ピアノのためのトリオ》(1926) をモデルにしており、六人組の中でも際立った発想の冴えを持つこの作曲家への傾倒ぶりが見て取れる。プーランク自身がこの編成で作品を書くのは20年余り後のことで、単純な模倣ではないのは言うまでもない。この日の演奏で特筆したいのは、木ノ脇の歌い方の上手さ。第1楽章はやや遅れ気味に悠然と、第2楽章はインテンポで切々と、第3楽章は前のめりに駆け抜ける。この水準でコントロールされている演奏を聴くと、音楽の背後にあるものがよくわかる。松平はこの時点で既に洋楽演習(崇拝にせよパロディにせよ)から卒業し、世界のライバルたちと同じ土俵で競おうとしていた。
転換の後、続けて《ピアノ・トリオ》。日本のフランス系アカデミズムの本流をなす池内友次郎門下では、ラヴェルのトリオ(1914) が音楽の理想とされていると聞くが、これはそのようなお行儀の良い音楽ではない。第1楽章は同じラヴェル作品でも、群を抜いて異様な《ヴァイオリンとチェロのためのソナタ》(1920-22) を思わせ、そこに無理矢理ピアノのオブリガートを付けたような音楽が続く。第2楽章はピアノの裸の和音に弦が非常に遅いテンポで絡み、同時期のメシアン作品の緩徐楽章を通常の調性で書けばかくや、という時間体験。第3楽章ではピアノと弦楽器が異なるリズムを奏するが、オスティナート中心なので絡み合うアンサンブルにはならず、思い思いの独り言を端から聴いているような印象。空間を音で埋めた音楽だが、進むにつれて軽みを増し、コーダに至ってはサロン音楽のごとし。書法は実験的でも、難渋さを嫌う姿勢は明確だ。阪中のヴァイオリンは、近代音楽以降の演奏で一般的な生真面目なアプローチ。他方多井のチェロは、曲想を汲んだ奔放なアプローチ。現代音楽演奏での顔よりは、「セレブ弦楽四重奏団」での顔に近かったかもしれない。萩森のピアノは、異物感を漂わせつつアンサンブルを背後から支えるスタンスは曲想に合っているものの、蓋全開でもなお弦にマスクされてしまう音量バランスには問題を感じた。繊細なタッチが身上の井上でも、蓋を閉じ気味で十分フルートと拮抗していただけに、会場の問題ではない。終楽章は抑え過ぎと感じられたのも根は同じだろう。変転する楽想に追随し、音楽をまとめてゆく手際に、作曲家でもある萩森の音楽性は確かに感じられたが。
後半は《蘇莫者》から始まった。ニコレやガッゼローニも録音している、松平作品中でも際立って演奏頻度の高い佳品。管理された偶然性で書かれ、選択肢は極めて多い(石塚のプログラムノートによると1016通りを超える)が、木ノ脇の解釈は「無限の可能性のひとつ」という風情のものではなく、絶対的な存在感を持って響き渡った。単に過去2回実演しているという以上の、この作品に生命を吹き込めるのは自分しかいないという確信のもと、前半の新古典主義作品以上に古典的な佇まいの音楽を吹き鳴らす。立ち姿も実に格好良く、この日一番の拍手を受けたのも当然だろう。
続いて《3つの調子》。井上の委嘱により、《2台ピアノのための6つの調子》(1987) をピアノ独奏のためにリダクションしたものだが、1曲目以外はこの日が初演となる。音を可能な限り拾うタイプの縮小編曲ではなく、むしろ音は原曲の各パート以上に刈り込まれており、音列が容易に見通せる。雅楽の旋法に基づいて音列を作るが、特定の音高に長い音価を与えて中心音として機能させる、という松平の作曲技法を体感するには良いサンプルになりそうだ。一柳慧と高橋アキによるオリジナルの初演のテンションは凄まじく、これが松平との出会いになったことが筆者のその後を決めたが、本作はそのテンションの残り香を漂わせつつも、ヨーロッパ前衛音楽というよりは米国実験音楽に接近した音楽。空間に浮かぶ残響の色合いの変化に耳を澄ます時間が続く。井上の真骨頂はこのような表現にあり、松平は初演者の芸風を意識して曲想を決めていたことを示している。
最後は《音取、品玄、入調》。雅楽の基本構成をタイトルにしているので、同一タイトルの複数の作品が存在する。〈音取〉は基礎音列を提示する序奏。〈品玄〉は、鞨鼓を模した膜質打楽器のリズムパターン上でピッコロが跳躍の多い名技的な音型を吹き続ける、この曲の基本構造を提示する間奏曲。そして〈入調〉が本番。図形楽譜を用いた打楽器のパターンは徐々に不規則に加速し、ピッコロと切り結び続ける。この難曲を勢いで乗り切るのではなく、練習を積み上げて音楽を身に着けた解釈が示された。途中、片方が譜面を1頁めくり飛ばすという、あわや致命傷の事故もあったというが、指のもつれのフォロー程度の出来事に聴こえたのは、相手のパートまで体に入れた譜読みが行われた証拠だろう。
総論としては、今回の演奏会では迫力よりも正確さを重視した解釈が行われた。演奏機会が極めて少なかった新古典主義時代の魅力を伝えるには、このアプローチは適切な選択である。前衛時代の作品はもっと熱い演奏の方が、という見方もありそうだが、これは難曲を気合いで乗り切っていた時代の演奏様式への悪慣れに過ぎないとも思う。少なくともファーニホウは、「複雑性」を迫力でクリアするような解釈よりも、堅実なテンポで細部まで琢磨した解釈を録音には望んでいた。編成の縛りの中で、初期から奈良ゆみのための歌曲が創作の中心になる直前まで網羅した選曲も、松平の全体像を伝える演奏会の1回目としては適切だった。
松平は日本の作曲家としては例外的に、編成が大きくなるほど本領を発揮するタイプである。ソロからトリオまで、作曲家の個展としては最小限の出演者でまかなった今回の演奏会は、松平のピークを実感するにはまだ遠いが、「現代音楽コンサート」の一般的な水準ははるかに超え、その作風の変遷を資料的な意味合いではなく、音楽の色合いの変化として常に内実を伴う形で体験することができた。今後もこの水準の演奏者が確保され、運営にも慣れによる向上が見込めるとすれば、回を重ねるごとにさらなる感銘が望めそうだ。次回の公演を期待して待ちたい。
(2008年7月16日 荻窪・杉並公会堂小ホール)
(c) 2008 Yoshihiko NONOMURA