101年目からの松平頼則 II |
野々村 禎彦 |
松平頼則の室内楽・器楽作品を集めた演奏会が昨年に引き続いて行われた。この演奏会が行われた経緯やその意義については昨年の演奏会評で既に触れたので本稿では繰り返さない。昨年は、ピアノトリオ1曲以外はソロまたはデュオという最小の編成で行われたが、松平の本領はより大きな編成でこそ発揮されるのではないかという印象は否めなかった。その想いは主催者も共有していたのか、今回はソロからカルテットまで1曲ずつ、トリは10楽器のアンサンブルという意欲的な編成の企画になった。まず、セットリストと演奏者は以下の通り:
松平は戦争の深みにはまり行く日本の状況を嫌悪し、特に太平洋戦争が始まってからは表立った音楽活動を止めて翼賛体制に巻き込まれまいとした。この日最初に演奏された《セロ・ソナタ》は戦中に書かれた例外的な作品だが、初演は大規模な改訂を経て戦後に行われた。《盤渉調越天楽による主題と変奏》(1951) という創作史の特異点を境に、彼はヨーロッパ戦後前衛の諸技法を雅楽のフィルターを通じて転生させた独自様式へと突き進んでゆくわけだが、同じフィルターを通じてフランス新古典主義を受容したそれ以前の作品に「もうひとつの前衛」としてスポットを当てることが、この日のプログラムの眼目だった。これらの作品はいずれも、早坂文雄、清瀬保二、伊福部昭らと結成した非アカデミックな作曲家集団「新作曲派協会」の例会で発表され、《セロ・ソナタ》の改訂は第1回例会での初演に向けて行われた。
《セロ・ソナタ》に、新古典主義後期の松平の「前衛性」は確かに現れている。新古典主義において複調がしばしば用いられたのは、無調ではないが単純な古典回帰でもない、という状態を作るのに都合が良かったからだろうが、松平が偏愛したのは機能和声における「悪魔の音程」=増4度だったため、彼の「複調」は異様な音楽をもたらした。第1楽章ではチェロとピアノが対等に歌うが、両者は全く合っていないように聴こえる。控え目な解釈では、単に「難渋」「音程が悪い」と受け取られかねない音楽だが、多井と萩森は朗々と音楽的に歌い切るので、意図的にそう書かれているのだとわかる。第2楽章はチェロが主でピアノはオブリガート、第3楽章では両者の役割が反転するのは、雅楽の素材をこの編成に落とし込んだ時、アダージョ楽章とアレグロ楽章は各々そうならざるを得ないのだろう。全曲にわたってふたりの演奏は溌剌としており、前回のピアノトリオでは気になった音量バランスの問題も感じられなかった。
続いて《フルート・ファゴット・ピアノのためのトリオ》。編成からして、プーランクの《オーボエ・バッソン・ピアノのためのトリオ》をモデルにしていることは明らかだが、プーランク作品はリード楽器2本で安定した響きを作るのに対し、こちらは音色的にも音域的にも溶け合わない管楽器の取り合わせでなんとも不安定だ。むしろ、この齟齬感が作品の本質になっている。フルートとファゴットは対等に取り上げられているが、第1楽章ではファゴット、第2楽章ではフルートがソロ的に扱われ、両者が同時に対等に吹くのは越天楽に和声付けした第3楽章のみ。両者の食い合わせの悪さは、作曲上も意識されている。実際終楽章は、さっさと風呂敷を畳んで逃げるに限ると言わんばかりのせわしなさで、拍子抜けするほどあっさり終わった。松平作品はプーランク作品を特徴付けるエスプリのようなものは持ち合わせておらず、両者の魅力は別物だ。前回の演奏会の主役だった木ノ脇と井上に、コンテンポラリーαなどで現代音楽経験を積んだ塚原が加わった演奏は盤石。
休憩を挟んで《弦楽四重奏曲第1番》。これは傑作と言うよりは問題作だが、この日の白眉だった。第1楽章はラヴェル作品そのもの。松平は《セロ・ソナタ》と同時期に最初の弦楽四重奏曲に着手したが完成に至らず、例会に穴を開けるわけにはいかない状況の2作目では、まずリスペクトする鋳型に雅楽の素材を流し込もうとしたようだ。音響の表面的なトレースではなく、素材の展開方法を踏襲した模倣なので、ネタは見え見えでも音楽は充実している。全楽器が異なる調性で弾く第2楽章では、直接の関連を持たないさまざまな音型が空間のあちらこちらから立ち上がっては消えてゆく。たとえバルトーク5番の第2楽章を知った上だとしても、驚嘆すべき音楽だ。第3楽章は越天楽のヘテロフォニーだが、弦楽器の特性を生かし、フレーズの途中からズルズルとずり下がるポルタメントが異様な音空間を生み出している。松平の最晩年、奈良ゆみのための歌曲群でこの書法は盛大に使われたわけだが、90年代でも新鮮だった書法が、本来の声の伝統から離れたより「進化」した形でこの時期に既に現れているのも驚きだった。終楽章の畳み掛けるオスティナートは、バルトーク作品の終楽章(特に4番や5番)を強く想起させる。民族的素材の処理法は一見正反対だけに、松平とバルトークの関係は意識されなかったのだろうが、ラヴェルが最も先鋭的だった時期の作品をモデルに選ぶ確かな嗅覚を持つ松平が、バルトークの弦楽四重奏曲の重要性を看過していたとは考えにくい。
このような予言的な作品は、それに相応しい演奏メンバーが集まって初めて真価を発揮する。この日のメンバーのうち3名は、eX.7で湯浅譲二《弦楽四重奏のためのプロジェクション》を作曲者に激賞され、CD化されたメンバーである(残るひとりは辺見康孝:この編成では甲斐がヴィオラに回る)。さらに辺見を含むそのうち3名は、コンポージアム2009でラッヘンマン3番を弾き、安易に前衛ルーティンに乗らず、米国実験音楽と音響的即興を繋いだような精緻な持続の音楽として捉え直した解釈で作曲者に絶賛された。この松平作品の演奏は、決して単なる60年前の回顧ではない。このメンバーをして、当日のリハーサルまで通るかどうか危ぶまれたほどの難曲であり、本番でも緊張したアイコンタクトと思わず漏らす笑みが交代し続けるような状況だった。この笑みは安堵というよりは、こんなとんでもない音楽が今生み出されているのだ、という恍惚感の現れだったのではないか。
ここからポスト前衛の後期作品に入り、まずは《律旋法による3つの即興曲》。前回演奏された《呂旋法による3つの調子》と合わせて、《2台ピアノのための6調子》(1987) のソロピアノ編曲が完結したことになる。前回の3曲は、総じて音を刈り込んだ中期フェルドマン的な持続が支配する曲だったが、今回の3曲はまず原曲の密度で始まり、徐々に音が減って半ば過ぎには単音反復になる。松平のセリー書法では12音が均等には出現せず、雅楽の原曲の構成音を伸ばしてそれ以外を装飾音のように扱うことで両者を融合させている。この「伸ばす音」をひとつにして他の音を削ってゆくのが本作の基本コンセプト。ラヴェル《夜のガスパール》の〈絞首台〉のように、この音は曲頭から変わらぬテンポで反復される。これが1曲で起これば「面白い趣向」だが、3曲繰り返されるともはや「コンセプチュアルな構築物」と呼ばざるを得ない。この編曲は井上の委嘱で1991年に行われ、初演もされたが、この日まで再演の機会はなかった。今回の3曲はフェルドマンすら追い越してボイガーらヴァンデルヴァイザー楽派の最も過激にコンセプチュアルな作曲家たちの領域に足を踏み入れており、井上ですらクンス・シム作品などの演奏経験を経てようやく、再びステージに上げることができた。松平は晩年まで前衛であり続けた。
ピアノ組曲《美しい日本》(1970) で、日本の伝統音楽の諸形式を彼なりに総括して肩の荷を下ろした松平は、《循環する楽章》(1971) に始まる、創作の絶頂期を迎える。戦後前衛のシステム指向と自由な感覚的修正が共存した、クセナキスの60年代半ば以降の10年に相当する幸福な状態が、彼の場合は死の直前まで続く。その中でも《音取、品玄、入調》(1973-74) の頃までは、悠久の時間と厳しい瞬間が融通無碍に混ざり合った境地に遊んでいた。だがその時、晩年の持病となる糖尿病を発症し、その後数年間は満足な創作活動ができなかった。ようやく病と折り合いをつけて作曲を再開すると松平の作風は幾分変化し、極限的なテンションを込めた瞬間が連なる音楽になった。長時間集中して作曲することが難しくなり、一度に書ける範囲で密度を求めた結果だろうが、このような持続こそ戦後前衛が目指していたものであり、海外での評価はむしろ高まった。例えば《振鉾三節による変奏》(1978-79) のMusic Todayでの演奏を聴いたケージは「これほど厳しく、美しい音楽は聴いたことがない」と激賞し、エリザベス・クーリッジ財団に作品の委嘱を推薦した。こうして生まれたのが《10楽器のためのラプソディ》である。
従来の演奏の記録を聴く限り、この作品も《振鉾三節》や《6調子》と並ぶ極限テンション系の音楽だと思っていたが、今回の演奏を聴いて多少見方が変わった。木管四重奏+弦楽四重奏+コントラバス+ピアノという編成はバランスが良く、各奏者への負担はさほど大きくない。雅楽の素材はピアノがほぼ一手に引き受け、残りの楽器がそれ以外のセリーの構成音を分担する格好だが、小編成作品では名技的な跳躍に至る音域の広さは編成に吸収され、各楽器は限られた音を吹き渡していればよい。水準の揃ったアンサンブルが石川の見通しの良い指揮に導かれることで、技術的限界や先の見えない不安感を打ち消そうとテンションが上がっていた従来の演奏記録とは対照的な、悠久の時を感じさせる音楽が生まれた。だが、一概にそれが良いと言い切れないのが難しいところ。この演奏会でも、ギリギリの状態だった《弦楽四重奏曲第1番》の方が聴き応えがあったことは否定できない。現代音楽演奏の熱気の少なからぬ部分は、技術的限界とのせめぎ合いの中から生まれる。
この壁を乗り越えるためには、作品を完全に手中に収めて独自の解釈を打ち出せるところまで、すなわち古典音楽の優れた演奏と同じレベルまで、演奏水準を高めるしかないだろう。この企画では若手ないし意欲的な中堅奏者に演奏を委ねているのは、「現代曲ならこの程度やれば十分」という慣行の先にあるものを求めるがゆえだろう。松平は、古典として向き合うにふさわしい内実を備えた、日本で最初の作曲家なのだから。また近年、現代音楽企画の状況は厳しさを増している。〈東京の夏〉音楽祭が2009年限りで幕を閉じたことは、この音楽祭の関連公演として協賛を得てきたこの企画にも影響を及ぼす。この企画では通常の演奏会の準備に加え、少なからぬ曲で手稿譜のマイクロフィルムから総譜を起こし、パート譜を作成する手間と費用を余分にかけている(今回は前半の2曲、《3つの即興曲》以外の後半2曲も譜面の所在と整合性に関する入念な調査を要した)。一回限りの演奏会の準備としては明らかに割が合わない。むしろ、この企画全体を松平の未出版作品を譜面化するプロジェクトとして位置付け直し、演奏会はその成果を公開し、演奏伝統を生み出す場としてプロジェクトに組み込んだ方が、この企画の意義が広く伝わるのではないだろうか。
(2009年7月16日 荻窪・杉並公会堂小ホール)
(c) 2009 Yoshihiko NONOMURA