女声合唱団・暁 第4回演奏会 |
野々村 禎彦 |
合唱団と新作委嘱の関係は、特に日本では複雑である。合唱団の活動自体を主な収入源にするプロ団体の場合、活動時間の多くは初等・中等教育機関の巡回公演に充てられる。そこに前衛的ないし実験的な新作が入り込む余地はない。他方、合唱の世界では学生コンクールが果たしている役割は大きく、そこでの課題曲や、その延長で創作を行っている作曲家の作品への需要は高い。自主公演といえども、しがらみから全く自由にはなれない。プロの声楽家が自主的に結成した団体ならばそのような問題はないが、各メンバーが主な収入源とする仕事の合間に予定を摺り合わせての活動だけに、公演数も練習時間も限られたものにならざるを得ない。
そこで、日本において前衛的ないし実験的な合唱新作の多くは、この種の音楽に熱心に取り組む指導者を持つアマチュア合唱団の委嘱で書かれることになる。アマチュアとは言っても、学生コンクールを目指した経験者のうち、部活動という強制がなくなっても続けている人々だから意欲は高い。また、専門的な訓練を受けながら声楽を生業にはしなかった人々も区分上は「アマチュア」になる。社会人の勤務形態は比較的似通っているため、プロの声楽家の団体と比べてまとまった練習時間が取りやすく、大学生ならばなおさら。ソロの歌唱力や初見に近い状態でも音楽をまとめる力はプロに及ばないとしても、豊富な練習量を確保して集団で作り上げた音楽は、しばしばプロに勝るとも劣らない。
今回取り上げる女声合唱団・暁は、このような背景の上で興味深い位置にある。都立芸術高校音楽科の卒業生が、同科講師であり多くのプロ・アマ合唱団の指揮者を務める西川竜太を指揮者に迎え、2007年に結成された。専ら日本の現代合唱曲からなる演奏会を年1回のペースで行い、新作委嘱も始めている。現在は芸高卒業生であることを入団条件にはしていないが、結果的に全団員が音大で専門的訓練を受けており、プロ声楽家としての活動を始めた団員も在籍する(註)。ただし、アマチュアという看板は尊重して、歌唱や朗読のソロはなるべくプロ活動開始前の団員に回しているようだ。以下、演奏順に曲目を簡単に振り返る。
湯浅譲二《ふるさと詠唱》(詩:三谷晃一, 1982/99) は、作曲者の故郷郡山の、安積女子高校(現・安積黎明高校)合唱団の委嘱作。学生コンクールでは全国大会金賞常連の強豪校で、近年取り組んでいる鈴木輝昭作品では、彼女たちによる録音が一般発売されている。「暁」はこの曲に、西川が企画した湯浅合唱作品個展で担当した機会に取り組み始めた。ピアノ(河島真悠)が先導するドビュッシーないしメシアン風のフレーズ(旋法の共通性に留まらず、むしろオマージュと言うべきか)に合唱が追随する。舞台中央のピアノを囲みステージいっぱいに扇形に広がった15名が、輪唱をベースに4群で複雑に絡み合う。アマチュア合唱団最高峰を意識した筆致ながらも、カラフルな普段着で歌うのにふさわしい曲想の音楽。
木下正道《書物との絆I》(詩:エドモン・ジャベス, 2010-11) は、そもそも前回公演の委嘱作だが、作曲が遅れたため初演は今回に持ち越された(註)。木下は演奏前のトークで、練習期間が1年になったので遠慮なく難曲を書けたと開き直っていたが…一見調性的な楽想はアマチュアに配慮したかに見えるのも束の間、ソプラノがグリッサンドし始め、ようやく落ち着いたかと思ったらアルトがベースの役割を放棄して波打ち始め、といっこうにハモらない。シェーンベルク《地上の平和》の現代版と言えそうな、宙吊りの和声があてどなくさまよう音楽。ピアノ(松田琴子)の佇まいも通常の伴奏からは程遠く、クラスターを打ち込んだり無調的な断片を散らしたりして音楽の向かう先を示すかに見えて、合唱はその脇をすり抜けて行く。音像の定位を揺らしながら全パートが沈黙に溶け込んでゆく終結部で、ようやく全員がひとつになった。今回公演の委嘱作である湯浅譲二作品の作曲もやや遅れ、当初のアナウンス曲目から西村朗《花紅》(2010) がキャンセルされた(註) が、木下作品の入魂の初演を聴くと、この演奏水準を保つためにはやむを得ないと思えてくる。
長めの休憩を挟んで、元々は児童合唱のために書かれた松平頼暁の編曲2作品。《さくら》(1999) は誰でも知っている曲なのをいいことにやりたい放題。1番は《ふるさと詠唱》をさらに複雑にしたようなカノン、2番は微分音混じりの不協和な和声付け、3番に至ってはメロディすら変形する。《5つのフォルクロールス》(1990-91) はアイヌ民謡〈サロルン・リムセ〉に始まり、〈わらび折り〉(青森)、〈藍こなし唄〉(徳島)、〈芦花部一番節〉(奄美大島)、〈白保節〉(沖縄) と、この種の民謡編曲の常道には囚われず、知名度の高さは無視して音響的な面白さを基準にした選曲。1曲目でムックリ(アイヌの口琴)を模した特殊唱法が活躍するのを皮切りに、手拍子、足踏み、口笛…等々が縦横に使われる。民謡を隠れ蓑にした、とんだ前衛合唱曲という見方もあろうが、子供たちはゲーム感覚でこなしてしまうのかもしれない。曲ごとにパートを飛び超えて立ち位置を入れ替えてゆく趣向もゲーム的で、団員たちも童心に帰り、ダイナミックかつ楽しそうに歌っていた。
だが、ゲームつながりで言えば、楽しそうに見えてもHPは確実に消費されていた。湯浅は普段から委嘱に備えて谷川俊太郎の詩数篇をストックしているというが、今回の委嘱ではどれを使うか考えている時に瀧口修造唯一の童詩にたまたま出会い、即決したという(瀧口は実験工房の精神的支柱だった)。この《カヒガラ》(2011) は、平易で透明だが仄かな哀しみをたたえた詩をそのまま音楽に変換したような作品だが、それだけに歌い手の体調の差が如実に現れる。西川が指揮する演奏会では恒例の、委嘱初演前に作曲家を壇上に上げたトークを挟んでも、体力を十分に回復できた団員ばかりではなかったようだ(単に丁寧に歌った結果ではなかろう)。合唱曲に少々慣れすぎた感が否めない湯浅の近作の中では、新進前衛作曲家兼童謡作曲家だった頃を思い出させる瑞々しい作品であり、今後の演奏会でアンコール曲として歌い継がれてゆくことに期待したい。
主に選曲への関心から、西川が指揮する合唱団の演奏会にはプロアマ問わずたびたび足を運んできたが、今回は特に興味深く聴けた。湯浅譲二・松平頼暁・木下正道という組み合わせは、単に前衛的な作風の作曲家であるのみならず、電子音楽に深い造詣を持つ(木下の場合はむしろ、インキャパシタンツを深くリスペクトするエレクトロニクス奏者と書くのがふさわしい)作曲家であり、合唱を器楽の限界を超える音響素材と捉えている点でより深く結びついている。湯浅合唱作品個展を聴いて以来、西川の活動全体が、現代音楽界とは異なる独自の基準で動いてきた合唱界とあえて距離を置き、現代音楽界の動向を踏まえて合唱界を再編しようとする、大いなる野望への布石に見えてきたことも興味の一因である。
(註) 初稿には、(1)アマ・プロ混成団体になった経緯、(2)木下作品の初演が持ち越された経緯、(3)西村作品の上演がキャンセルされた背景、に関して事実誤認があるとのご指摘を西川竜太氏より頂きました。事実関係を訂正し、お詫び致します。またこの機会に、誤解を招くおそれのある箇所の表現を修正しました。
(2011年12月24日 虎ノ門・JTアートホール)