Fennesz, Vainio, Zanési: GRM Experience (Signature / Radio France, SIG 15001) |
野々村 禎彦 |
十分に予想していても、実際に形になったものを見るのは感慨深い。これは、まさにそういう種類のアルバムである。Christian Fenneszは今日のエレクトロ・シーンの最重要人物のひとり。Mika Vainioも現在ではPan Sonicの片割れ、という注釈を要さない存在になった。ふたりの共演は1999年に遡り、デュオの記録もディスク化されている(sub rosa, AS02)。Christian Zanésiは、パルメジアーニと並んで今日のGRMの水準を支える電子音楽の作曲家であり、近年の作品にはエレクトロ・シーンからの影響が垣間見える。この3人の共演自体はもはや驚くに値する出来事ではない。歴史的な電子音楽作品と今日のエレクトロ・ミュージックのコンピレーションアルバムは現在ではありふれたものになっており、クセナキス《Persepolis》やプッスール《8 Etudes Paraboliques》のエレクトロ音楽家たちによるリミックスアルバムが話題になったのも記憶に新しい。だが、一期一会の出会いではなく、滞在型の共同制作プロジェクトをアカデミズム側が企画することは新たな段階と言えるだろう。2003年の晩夏にザネジが企画した《GRM Experience》は、そのような事件だった。
このディスクは、3人が2週間にわたってGRMに滞在して制作された。最初の1週間は、まずお互いの音響素材を交換した後、独立に音源制作を行った。フェネスとヴァイニオにとってはGRMの機材に慣れるため、ザネジにとってはふたりの音楽言語に慣れるための準備期間でもあったのだろう。ジャケット写真にもなっている、3人が同時にスタジオに入って共同制作を行ったのは2週目のことである。このプロセスはこのディスクにも反映されており、前半6曲は独立に制作されたもののように思われる。長尺の1曲目<Iraq's song>はフェネス作品だろう。《Endless Summer》(MEGO, 035)以降の彼の音楽のポピュラリティを保証してきたギターループに、イラク戦争を伝えるドイツ語のナレーションを加工して重ねたもの。ただし聴き所はむしろ、この舞台設定にデジタルノイズを差し込むタイミングにある。続く<Dark landscape>もフェネス作品だろう。初期作品の実験性がデジタル化以降のGRMを特徴付ける音響空間で復活した。アルバムの流れの中で主観的に聴くと、戦争を対岸の火事として感傷的に眺める1曲目に、戦場の不穏な沈黙を突きつけたかのようだ。
3曲目の<White landscape>は今度はヴァイニオ作品だろう。発振音で奏される、憂いを帯びた旋律と分厚い和音の連なり。4曲目の<Premonition>では、3曲目と同質の音楽がよりカラフルな素材を用いて展開される。ここまでのアルバムの構成は、各音楽家があらかじめ用意した音源とGRMで単独制作した音源1曲ずつを並べており、続く2曲はザネジの手になる同様のペアになることが予想される。5曲目<First shadows>は、どぎつい音色選択と急速な音像移動でその期待に応えた。そして6曲目<Transfers>は、フェネスとヴァイニオが用意した素材をザネジが自作と交えてミックスしたように響き、3つの個性が独立な層を形成して流れてゆく。これら前半6曲だけでも「興味深いミニコンピレーションアルバム」にはなっているが、これだけならば各自が自分のスタジオで制作しながら音源交換すれば十分だとも言える。「GRMの音」はいまや秘伝ではなく、ダウンロード購入もできるソフトウェアなのだから。
後半6曲は、前半6曲とは様相が異なる。そもそも個性の違う3人なので、個々の素材の制作者を同定することは不可能ではないが、それらはほぼ均等に現れ、互いに関係しあいながら生起していくので、もはやどれが誰の曲とは決められない。個々の曲に立ち現れた独自の個性をまず尊重し、それを発展させるために各自の個性を寄り添わせていく。成功した即興セッションのような佇まいをこれらの曲は持っており、ひとりではいくらでも作り込めてしまうエレクトロ・ミュージックの世界で「時間をかけた即興」としての「作曲」を実現するには、むしろ共同制作という形態が適切なのかもしれない。このディスクは、現在もコンスタントにリリースされているGRMで制作された音源の中では上質な部類に属する。
だが、このディスクの達成を過大評価すべきではない。ここで聴かれる音楽は聴き手の予想の範囲に留まり、本サイトでレビューする予定の幾つかのラップトップ・ミュージックのディスク(いずれも2004年にリリースされた)のように、実存に深く食い込んでくる瞬間はない。それはひとつには、高度な音響合成ソフトを駆使した「複雑」な音響ほど聴き手に既聴感を与えてしまうという逆説のせいであるが、少なくともザネジの創作は、この逆説を乗り越える強靭さを持っていた。「音響派」が成熟期を迎えた今日ではなく、さらに3、4年前にこの企画が実現していたらまた違った展開も期待できたのかもしれないが。電子音楽の作曲家とエレクトロ音楽家の共演盤という狭い枠の中でも、Alvin Curran + Domenico Sciajno: Our Ur (Rossbin, RS015)の方が音楽的には豊かだと言わざるを得ない(注)。
とは言っても、アカデミックな電子音楽とエレクトロ・ミュージックを本質的に隔てるものはもはや何もないことが、具体的に示されたのは意義深い。このディスクは、現代音楽志向を推進原理のひとつにしてきた「音響派」の到達点ではなく、「芸術音楽」の再定義によって今後生じるであろう豊かな可能性の出発点だと捉えたい。その際に重要なのは、この企画がアカデミズムによるアヴァンギャルド・ミュージックの成果の収奪として行われたのではなく、GRMの現状に飽き足らない優れた作曲家が、アカデミズムの外部に謙虚に向き合う中から生まれたことである。
(注) 《GRM Experience》が曲がりなりにも今日の音楽状況を伝えているのに対し、このディスクの音響は明らかに古い。同様の音世界は四半世紀前でも作れたはずだ。語法の提示が音楽の目的ならば、この種の「古さ」は致命的である。だが、語法の選択が音楽表現のための手段にすぎない作品では、語法の新旧を問題にすべきではない。
(c) 2004 Yoshihiko NONOMURA