湯浅譲二:葵の上、マイ・ブルー・スカイ第1番 (edition omega point, OPA-001)

谷口昭弘

 電子メディアを使った古典的作品が注目を浴びているのは全世界的な潮流なのかもしれない。しかし日本の作曲家にも近年熱い眼差しが向けられていることは大いに歓迎したい。ことに日本の電子音楽のみをシリーズとしてCDリリースする試みは画期的であり、Omega Pointによる今後のリリース情報からは目が離せない。ゆくゆくは彼らの自主レーベルによる「Archive Series」が副題にあるような「obscure」なものに留まらず、日本の戦後音楽史を見直す偉業となることを切に願うものである。

 さてその「Archive Series」の第1弾は、いまや日本の電子音楽史を考える上では避けて通れない作曲家、湯浅譲二の作品。最初期の《葵の上》 (1961) とアナログテープを使った最後の作品《マイ・ブルー・スカイ第1番》 (1975) の2曲を収録している。いずれもこれまで商業発売されていない貴重な音源だ。

 《葵の上》は古典文学の傑作『源氏物語』の同名の箇所に取材した能楽を題材にした作品。ミュージック・コンクレートというものが、日常に具体的に存在する音素材を使いながら、それらを抽象的なオブジェとして取捨選択し、絶対音楽的な作品として構築していくものだとすると、この《葵の上》、特にその冒頭部分をミュージック・コンクレートとして分類するには若干の抵抗があった。謡 (うたい) そのものは、確かにかなり電子的な処理を施されているが、とても抽象的なものには聞こえず、むしろその文意は物語を理解する上では必要不可欠であるとさえ思われたからだ。伝統芸能においては、音楽表現における言葉・歌詞の優位性ははっきりしており、もちろん能にしても歌舞伎にしても一定の形式に則って謡や囃子が配置されているとはいえ、例えばオペラほど音楽にウエイトがかかるようには思えない。おそらく、この作品が実際に舞台で演じられる能舞を前提に作られているということも、音楽の性格に大きく影響しているのだろう。

 しかし、ミュージック・コンクレートのように音をオブジェ的に扱う箇所は確かにある。例えば4分51秒以下の部分では同じ謡の文句が繰り返し声を変えて現れたりスーパーインポーズされたりする。このような重層的な声の提示というのは、例えばポリフォニックな発想をもった西洋的要素なのかもしれない。また9分18秒以下の部分では生の音で飛び出す「月」という言葉と変調された声の部分が独特の距離感となって現れ、言葉の意味性を保ちながら、声の音素材としての可能性も追求されている。

 もちろん謡だけがこの作品を司る音素材でないことは明白だ。特に能楽の重要な音楽的要素である囃子方に能管や鼓は現れず、加工された具体音やホワイトノイズが使われている。また、そこここに「イョー」「オォー」といった囃子方を暗示させる箇所もあり、特に21分31秒から22分44秒の部分は能舞を思わせる。テキストがここにはなく、展開のペースも他とは異なっているからだ。また11分32秒、20分19秒、27分43秒には沈黙の箇所がある。この場面転換とも思われる仕掛けは、もとの能楽にあるアイディアなのだろうか、それとも湯浅が独自に挿入した意図的なものだろうか。

 日本の伝統芸能は文学、美術、舞踊、音楽が親密な関係を保って一体化しているため、このCDの音源だけで作品を判断するのは、あるいは不公平なのかもしれない。せめて手元に謡本とその対訳があったらと、自らの無教養を恥じることになった。おそらくは、古典に則った創作能の演目として鑑賞すると面白い作品であるのかもしれない。いずれ機会があったら実演にも接してみたいものである。

 さてNHK電子音楽スタジオで制作された《マイ・ブルー・スカイ》第1番 (1975) は、音素材にホワイトノイズが全く使われていないためか、一聴した感じが《プロジェクション・エセムプラスティック》 (1964) や《イコン》 (1966-67) のような、長いスパンの中で壮大に展開するスケール感のある作品とは違う。短いパルス(ピッという音)やクリック(カチっという音)が作品展開の基礎となる音素材であることもその要因だろう。

 聴いたところ、この作品は三部構成のようだ。まずその第1部 (仮にこのように呼んでおく) では規則的に聞かれる短い発振音が全体を時間的に支配している。さらに短めに上下する様々な別の発信音も絡み合い、持続音とともに空間的な広がりを持たせていく。第2部 (4分18秒以下) では、今度は規則的に鳴るパルス音でなく、持続音の中にうなりとして聞こえるビート感を基本にして進んで行く。時々パルス音が打ち込まれる場合もあり、一種の対位法的な展開 (2つの楽想が同時進行するような形) になる。

 第3部 (8分11秒以下)は最も長い部分。8分30秒までの序奏的楽想の後、8分31秒からは (1) 近くに止まり左右に散るエコーなしの音 (A♭, A, B♭, B, C, C♯) と (2) エコーをかけながら後方に消えて行く音(G, A♭, B♭, B) が常に微妙な反応をしながら進んでいく。これら2つの音は、全く無関係に独立して発せられることもあるが、時に衝突することもある。この過程で、湯浅がCDの楽曲解説で述べるような「空間の深さ」や「エネルギーの運動」 (注1) を音として体感しているように思う。

 音楽における時間と空間の問題は、常に議論の的になってきたようだ。ことライヴ演奏のような時間・空間の共有が演奏家と聴衆の間に発生しないテープ音楽において、作曲者がこれらの要素をどのように考え、実作品として構築していくかは、あるいはこのメディアだからこそ開拓できる面白さであるのかもしれない。特に《マイ・ブルー・スカイ》第1番の第3部では、即興的で自由な時間が十全に実現されている。ここで私は作品がテープしっかりと固定されたものであることと、それを一聴したときの浮遊する音に身を任せる体験というのは別のものではないかと思い始めた (第1部はこれと対照的に、いかにも時間的にタイトに構成されているように聞こえる) 。つまりテープ音楽というと、音を磁気媒体に固定すること、あるいはその不自由さばかりが問題とされてきたのだが、そのテープ音楽が実際にどのような空間で再生されるのか、あるいは作品そのものにおける時間の扱い方をどのようにするのかで、実は簡単に「固定」といったことがいえないのではないかと思わずにもいられなかった。我々が普段家庭で聴くライブ録音やスタジオ録音のCDにしても、本当は「缶詰の音楽」としてすでに固定された音楽と言えるのだし。

 いずれにせよ、これらの2つの作品によって、湯浅のテープ音楽における表現の幅を改めて認識できたことはありがたい。また、スタジオ内の制作に止まらない舞台上での演奏を前提とした電子音楽作品が、他の作曲家にも多くあることを感じさせることにもなった。Omega Pointには今後とも、まだ私たちが聴いたことのない優れた作品を発掘していってもらいたい。なお、今回のCDのライナーノートの解説は作曲者湯浅氏による書き下ろしである。これも資料的に貴重なものになるだろう。

(1) 作曲者執筆によるライナーノート、第3ページ。

(c) 2004 Akihiro TANIGUCHI
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