The BSC: Good (GROB, 543) |
野々村 禎彦 |
The BSCは、Bhob Rainey (curved S.Sax.)を中心に2000年秋に結成された、ボストンの若手即興音楽家8人によるユニット。BSC=Boston Sound Collectiveらしいが、AMMやSPKと同じく、アルファベット3文字は略称ではない。このディスクは結成から約1年後、Axel Dörner (Tp.)とAndrea Neumann (inside Pf.)がボストンに立ち寄った際に、彼らをゲストに迎えて10人編成で行われたライヴの記録である。ゲストのふたりも、ベルリンの即興音楽家を中心とする8人編成のユニットPhosphorのメンバーだが、The BSCはこの時点で既に、彼らとは方向性の違う独自の音楽を作り出していた。
まずメンバーは、Rainey, Greg Kelley (Tp.), James Coleman (theremin),Howard Stelzer (tapes), Elizabeth Tonne (Vo.), Mike Bullock (Bs.), Vic Rawlings (Vc.,electronics), Chris Cooper (prepared G.,electronics)。RaineyとKelleyのデュオユニットnmperignは既にヨーロッパでも知られる存在で、アルバムも8枚(さらに、ノイズレーベルからのコンセプチュアルなリリースも2枚)を数える。Coleman, Kelley, Tonne, Rawlingsのthe undr quartetは、 Colemanのソロ名義アルバム《Zuihitsu》(Sedimental, SEDCD30)で聴くことができる。Intransitive Recordingsを運営するStelzerをはじめ、数名は個人レーベルを持ち、各メンバーのディスクを挙げていくだけで相当な数になる。このあたりの詳細は、ボストン即興シーンを本サイトの連載で取り上げる際に包括的に扱うことにして、本稿ではこのディスクを通じて各メンバーとユニット全体の音楽性を概観したい。
最初に聴こえてくるのは、ドナーの強い息音とケリーが金属板でベルを擦りながら出す息音。ジャズからノイズとの境界まで、各々ベルリンとボストンの即興シーンで最も幅広く活動する、各シーンで最も名の通ったふたりのTp.奏者の音楽性の違いは、この録音のポイントのひとつだ。ドナーは常に一定以上の音量を循環呼吸で保ち、その中で息音の多彩な音色変化を聴かせるが、ケリーはむしろ弱音の限界にスポットを当て、それと地続きで実音も混ぜながら演奏する。伝統的なジャズ演奏の場以外では、息音メインの「独自なスタイル」で通すドナーに対し、ケリーは演奏スタイルはおろか、Tp.という楽器にもこだわらない。彼の活動の中には、変名でスピーカーのフィードバックを聴かせるユニットすら含まれている。
そこにまず絡んでくるのはノイマン。インサイドピアノの弦を打楽器的にはじく。ボストン滞在時にThe BSCのライヴに頻繁に通った筆者には、このような形で彼らの音楽にビートが混じってくるのは新鮮に感じられる。このユニットが結成された時には中谷達也(Perc.)は既にNYに移っており、彼らの音楽性に見合った打楽器奏者は現在のボストンには見当たらないのも確かだが、ビートの排除もこのユニットの特徴のひとつだろう。ノイマンを追うように、クーパーもプリペアドギターをはじく。ノイマンと比べるとなんともとぼけた音だが、このユニットに「現代音楽の亜流」に留まらない奥行きと開放感を与えている。
さらに加わってくる正弦波発振音、に聴こえるのは実はライニーのロングトーン。彼はnmperignでは特に、息を吹き込む音、マウスピースを外して息を吹きかける音、ベルを膝頭で押さえた破裂音などさまざまな奏法のヴァリエーションを聴かせるが、彼の音楽の一番の特徴は、この正弦波発振音のようにフラットなロングトーンである。サックスという肉体性の強い楽器では、ジャズ的なブロウを避けたところで、E.パーカーや姜泰煥のような循環呼吸を用いた強靭な倍音奏法に向かうか、ドネダやボセッティのような息音のヴァリエーションに向かうくらいしか選択肢はなさそうに見える。両者を自然に統合すればブッチャーになり、技術至上主義で畸形的に統合すればStéphane Rivesになる。
だが、澄んだ音色を重視するクラシックサックス奏者でもここまではやらないのでは、というライニーの濁りを徹底的に排除したロングトーンは、この楽器の新しい側面を開いた。ベイリーの圧倒的な遺産の前で苦闘していた即興ギタリストたちにとって、ギターの素の響きを無防備に提示する杉本拓の出現は衝撃だったように。アンサンブルの中での彼の役割は、むしろSachiko Mのそれに近い。この録音でも、コールマンの発振音やトーネの裏声との干渉が頻繁に起こっている。初期録音に見え隠れする原体験としてのレイシーと、知られざる重鎮Jack Wrightとの共演を通じて身に着けた自由即興の真髄。米国即興音楽の最良の伝統を受け継いだ彼だからこそ成し得た独創である。
ヴォイスのトーネが参加しているのも、このユニットの特徴のひとつだ。吉田アミを思わせる物質的な声の彼女だからこそ、「歌伴」からは最も遠い音楽性を持つこのユニットの一員になったわけだが、彼女の発声は吉田よりは人間的で、生楽器のひとつという位置を保っている。特にコールマンのテレミンとの相性は良く、音のかすれ具合など、両者のサウンドは一体化して文字通り区別が付かなくなる場面も少なくない。このふたりに限らず、誰がどの音を出しているのかわからなくなる局面がさまざまな組み合わせで頻繁に現れるのも、このユニットの魅力である(注)。持続音主体のアンサンブルでは急速なグリッサンドは出せないので、コールマンの持ち味は完全には発揮されていないが、微分音程の精緻なコントロールともども、テレミンは本来こういう楽器だったはずだ、と認識を新たにさせるインパクトが彼の演奏にはある。
音響的即興の精華という表現にふさわしい肌理細かいアンサンブルに、ステルツァーの携帯カセットデッキの早送りとローリングスの自作回路ノイズという、いかにもローファイなサウンドが絶妙の間合いで差し込まれる、「ありえない」音世界がこのユニットの最もユニークな点なのは疑いない。 ボストンは米国アンダーグラウンドロックの中心地のひとつでもあるが、近年は即興音楽との接点は殆んどない。むしろ、米国ノイズの発信源RRRレーベルが、ボストンの近郊都市ローウェルを拠点にしていることもあって、音響的即興とハーシュノイズの世界に類を見ない結びつきが起こっている。
音色もセンスも最もノーマルなブロックの紹介が最後になってしまったが、音が厚くなるほど高音域に偏りがちなアンサンブルのバランスは、彼のベースに懸かっている。それに限らず、このユニットが特殊奏法の展覧会にならないのは、彼とクーパーのおかげだ。ノイズ側の常識人がクーパーだとしたら、ジャズ出身の即興音楽側の常識人がブロックである。批判的視点を保ちつつ現代音楽から即興音楽へシフトしたコールマンとトーネがそこに加わって、いずれの音楽的出自にも偏ることのない、見事な均衡が生まれた。「ボストン音響集団」というユニット名に偽りはない。
このアルバムの美質を列挙してきたわけだが、活動初期ならではの問題もある。この録音では、さまざまな音響を提示した後の展開の道筋は、もっぱらドナーとノイマンが決めている。2002年初頭に聴いた彼らのライヴも、さまざまなセンスの良い音響の組み合わせを紙芝居的に提示するものだった。この限界は、ちょうど筆者のボストン滞在中に、シュトックハウゼンの直感音楽を組み込んだライヴを月1回行っているうちに、自然と乗り越えたようだ。最小限の成り行きを規定したテキスト譜を音にするうちに、作為は感じさせないが常に前に流れていく音楽のありようが染み付いたのだろうか。このリリースを機に、彼らのその後の姿もディスクで聴けるようになってほしい。このディスクも含め、この界隈のライヴはライニーが網羅的に録音しており、マスタリングも彼の手になるものが多い。音源はいくらでもあるはずだ。
(注) All music guideのFrançois Coutureによるレビューでは、誰がどの音を出しているのかがはっきり聴き取れる点が特に賞賛されている。だが、ユニットの楽器編成にこれだけ幅があれば、聴き取れること自体は当然だろう。特殊奏法を多用しても、彼らの目的はあくまでその楽器の性能を拡張することにあり、「その楽器らしからぬ音響」を狙った結果、似たようなホワイトノイズに落ち着いてしまう、という事態には陥らない。「誰がどの音を出しているのかわからなくなる」ということは、他楽器と音色が重なり合う部分のみを抽出した中で即興を行っているということであり、彼らが楽器を拡張した範囲を正確に把握し、コントロールしていることを意味している。
(c) 2004 Yoshihiko NONOMURA