chino shuichi: eM (self-made CD-R) |
野々村 禎彦 |
《eM - electrified soundscape for invisible dancers: june-december 2003, chino shuichi》と印刷された封筒のスコッチテープを剥がし、保護パックから手焼きCD-Rを取り出してプレイヤーに入れた時、まず感じるのは違和感だろう。細かく震えるホワイトノイズ、音像移動を繰り返す単純な発振音のビート、耳を刺す正弦波発振音。およそ「ダンスミュージック」ではないし、ケージ&カニングハム的な「反応しない」コラボレーションにしては音楽の存在感が強すぎる。この音楽を見極めるために、千野秀一のバックグラウンドを振り返るところから始めたい。
千野はまず、卓越したピアニストである。彼のソロや演奏性の高いセッションを聴いたことがあれば、アート・テイタムもかくやと思わせる瞬間を思い出すだろう。トップスピードの速さ、左右の手の完全な独立性、強靭な打鍵。彼はその一方で、叙情や微妙なニュアンスの表現にも優れていることは、ふちがみとふなとカルテットや大友良英の映画音楽での演奏に明らかである。だが、ピアニストとしての顔は、彼の才能の一面でしかない。彼は多くの映画音楽を手がけてきた作曲家であり、DTMソフトもエレクトロニクスも自作してサウンドインスタレーションを作り上げてしまう、文字通りのマルチメディア芸術家である。彼はまた、これらのソフトやオブジェを使いこなす多楽器奏者であり、サンプラーやラップトップを演奏の現場に導入した、日本におけるパイオニアのひとりでもある。
彼のこのような立ち位置は、このディスクで用いられた音響の背景を物語る。アカデミックな世界のコンピュータ音楽は、複雑な倍音構造を持つ「想像上の生楽器」を作り出す方向で研究が進められたが、優れた多楽器奏者である彼にとっては、それよりは自分で楽器を弾いた方がよい、ということになる。世間で「コンピュータ音楽らしい」と思われているカラフルな音響は、エレクトロニクスに精通した彼にとっては、アナログ回路でも実現可能な表面的なものと映る。コンピュータを用いたデジタル音楽の最大の特長は音響を波形レベルで制御できることにあり、スペクトル成分の連続変形のような音響効果よりも、いかなる合成音の定位も完全に指定できることの方が本質的だ、と彼は考えたのだろう。単純な発振音と自在に動き回るホワイトノイズという素材の選択は、彼にとってのラップトップ・ミュージックの「本質」を端的に示している。
このディスクがさらに素晴らしいのは、そのような思考を小難しい能書きの形で提示するのではなく、単純な発振音(とは言っても、正弦波発振音の微妙な歪みをコントロールして定位感のグラデーションをデザインするなど、芸は細かい)という「電化サウンドスケープ」の上で踊るホワイトノイズの「見えないダンサーたち」、という詩的なイメージに結実させたことである。もちろん、「詩的」なのは舞台の設定だけで、個々の音響にロマン主義的な甘さは微塵もない。現代の優れたダンサーたちと同じく、このダンサーたちもダンスの成り行きが言葉に回収されてしまうことは好まないはずだ。あとは各自の耳で確かめてほしい。千野のライヴ会場で直接購入する他、バーバー富士やImprovised Music from Japanの通販でも入手できる。
(追記)このディスクは千野&齋藤徹デュオのライヴ会場で購入し、一聴するやいなやレビュー予定に載せていたが、入手が容易ではないことも手伝って、なかなか筆が進まなかった。今回、興味深いラップトップ・ミュージックのディスクを一挙に入手した機会に考察もまとまり、ようやくレビューを掲載することができた。
(c) 2004 Yoshihiko NONOMURA