H&H Production レーベル (Easton, PA, USA) |
野々村 禎彦 |
[1] MAP: MAP (HH-1)
[2] Yukijurushi: Yukijurushi (HH-2)
[3] Tatsuya Nakatani solo percussion: Green Report 12 (HH-3)
[4] Tatsuya Nakatani / Kumi Nagao: Ayu Statimük (HH-4 / Hanapira-0003)
[5] Yukijurushi: Mott Haven (HH-5)
[6] Nakatani-Chen Duo: limn (HH-6)
[7] N.R.A: untitled (HH-7)
H&H Productionは、中谷達也(Perc.,Ds.)とClaire Elizabeth Barratt (dance,choreography)が同名の自宅スタジオをSouth Bronxに開設したのを機に、中谷が始めた自主レーベル。現在は自宅の移転に伴い、NYCの近郊都市Eastonに移っている。中谷の個人史と重ねながらレーベルの歩みをたどるために、まずは小幡英司(G.)、Todd Nicholson (Cb.)とのボサノヴァバンドYukijurushiの2枚のアルバムから始めたい。彼がボストンからNYCに移った当初は、即興音楽の仲間はすぐには見つからず、まず地下鉄駅構内で演奏するジャズバンド(いわゆるストリート・ミュージシャンではなく、審査に合格した上でスケジュールに従って演奏する)の一員として音楽活動を始めた。そこで出会ったのがこのふたりである。3人の普段の活動領域は、小幡はいわゆるスムースジャズ、ニコルソンはフリージャズ色の強いアンダーグラウンドジャズ(彼はVision Festivalの常連)だが、ブラジル音楽への愛を共有する3人の音楽性の違いは、このバンドではむしろプラスに作用した。流れるようなギターの甘いメロディを、時にワイルドな生き生きしたベースが支え、パーカッションは何をしでかすかわからないアンサンブルは、「本場」の音楽家たちの間でも十分に独自性を発揮できる。彼らの活動は、公式サイトに詳しい。
彼らの最初のアルバム[2]は、ジョビン<Waves><Little Suedo Shoes>、ジョアン・ジルベルト<Corcovado><Brazil>など、ボサノヴァの古典的名曲のカヴァー集。「趣味のバンド」として続けるのではなく、パーティーやパブで演奏することを前提にしたプロモーション盤という意識が強かったというだけに、各パート別録りでクリアに作られた名曲アルバムという以上のものはないが、Perc.はビートを刻まず、アルコベースが半音階的で不安定なラインを奏し続ける<Corcovado>には、個性の片鱗が見える。2枚目のアルバム[5]は、より個性的な構成。カヴァーとオリジナル(小幡が1曲、ニコルソンが3曲)を半々に含み、曲間には街のざわめきのフィールドレコーディングが織り込まれている(この編集が中谷の「作曲」部分)。カヴァーでも、中谷がヴォーカルを取ったり(そのバックでは小幡がG.を歪ませていたり)、あまりにポピュラーな<イパネマの娘>は街に流れるBGMという設定にして主旋律は意図的にチープな打ち込みにしたりと、工夫が凝らされている。ただし、フィールドレコーディングにチープな発振音を重ねた編集はいかがなものか。「音響派」初期に流行したこの手法の賞味期限は、90年代で切れていると思うのだが。
2005年9月14日、新橋・レッドペッパーでのライヴは、ポストプロダクション的な手法が使えない状況下で、彼らのバンドとしての現在を聴く格好の機会だった。アルバムでは最も目立っている小幡は、ステージ上では思いの他目立たない。演奏中にエフェクターを操作することはなく、1曲の中での音色変化はピッキングでコントロールする。アルバムよりもジャズ的な即興の占める割合が大きく、多くの曲でニコルソン、一部の曲では中谷がソロを取る。会場備え付けのドラムセットでタイトなリズムを刻む中谷は珍しいが、ハンドルのフレームをスネアドラムに置いて叩くだけで音世界が変わる。ニコルソンの曲のポリリズムも、即興的な揺れを含むライヴの方がリアルだ。ただし、ヴォーカル(主に中谷)だけはアルバムに軍配が上がる。ポルトガル語を理解して歌っているわけではないという照れは、編集で消すことができる。「録音でなければできないこと」を試みたこのアルバムは、この日のライヴまでの1年の間にバンド自身に追い越された。
リリース順では先になるのが、Mary Halvorson (G.), Clayton Thomas (Cb.)とのトリオMAPのアルバム[1]。ギターとベースだけを聴いていると、フリーもフュージョンも通過し、80年代NYシーンや90年代シカゴシーンも横目で見ていた今日のNYCのジャズバンドという印象を受けるが、そこにリンやシンバルの弓弾き、あるいは金属スティックでスネアドラムの皮や金属枠を擦る中谷のプレイが侵入することで、予定調和を目指していたはずの音楽が歪んでゆく。程なく、ハルヴォーソンとトーマスは伝統的なプレイと音響的なプレイを交互に行い、中谷が両者を仲介するような音楽に落ち着く。リンどうしをゴリゴリと擦り合わせたり、リンをフロアタム上に何個も並べて揺らしたりといった独自の打楽器奏法が聴けるが、両者が伝統的なプレイに向かう瞬間には、中谷も伝統的なドラミングに向かう。彼がボストンからNYCに移った大きな原因のひとつは、ドラムセットを叩きまくる伝統的なドラミングも続けたかったからだというが(彼がボストンで即興音楽を始めた当初は即興シーンとアンダーグラウンドロックの距離が近く、彼の欲求は満たされていた)、弓弾き系奏法の完成度の高さと比べると、フィルインが単調なこともあって物足りない。この方向のドラミングが進歩するのは、Assif TsaharやBilly Bangら、ロフトジャズの流れを汲む音楽家たちと頻繁にセッションを行うようになってからである。このユニット自体は短命に終わったようだが、このユニットで始まったアンサンブルの探求は、Blue Collarで実を結びつつある。
最初の2枚のアルバムは、当初はCD-Rでリリースされたが、自らのソロアルバム[3]以降はCDのみのリリースになった。《Green Report》は、ボストン時代から録音し続けてきた打楽器ソロ(ボストン時代のカセットリリースでは、しばしば共演者が入った)シリーズで、これが最終作。過去11枚はライヴ会場での手売りのみの自主制作(再発の予定はないとのこと)だったが、初めての一般向けリリースだけに、端正な紙ジャケットの気合の入った作りになったのだろう。各トラックには<1. Reincarnation: Magnetic Orchestra for gongs and bells><2. Notes and Silences: Distance between depth and MA>などのタイトルが付いているが、演奏内容もいかにもタイトル通り。1曲目ではリン、シンバル、ウォーターフォンなどの弓弾きがひたすら続き、アクセントにドラも鳴らす。2曲目では鳴子を揉みほぐし続ける背景で、バスドラムやリンを間欠的に鳴らす。果たしてこれでよいのだろうか? という気もするが、「従来の活動の総決算」として、録音時点でのソロの語法をあえてカタログ的にまとめたということなのだろう。ドラムセットの乱打で型通りに締めくくったかに見せて、最終トラックは電動歯ブラシをドラムに当てたホワイトノイズとモーターノイズの饗宴というあたりも心憎い。
ナガオクミとのデュオアルバム[4]は、彼女の自主レーベルとの共同リリースで100枚限定という形態もさることながら、内容的にも異質だ。クミは、中谷が大阪時代にドラムを叩いていたバンド「ハナサカ」のヴォーカリストだった。2004年11月の日本ツアー(東京圏では主にかみむら泰一との共演、関西ではFestival Beyond InnocenceでのUAとのセッションなど)での10年振りの共演に合わせて、音源交換という形で制作された。≪Green Report≫シリーズの総決算に続けて、このあたりで渡米以前の活動の総決算も行っておこう、という意識があったのかもしれない。録音日は中谷が先だが、必ずしもクミが中谷のパーカッション(演奏スタイルは、ソロとさほど変わらない)に合わせているわけではい。7曲中4曲がクミの曲、1曲がピアノで参加している島田篤の曲、中谷と島田のソロが1曲ずつ。鼻に抜ける年齢不祥な歌唱が彼女の持ち味だが、金切り声だったり囁き声だったりハミングだったりと、曲ごとに唱法も工夫している。ソロアルバムでもバックバンドと独立に歌う曲を入れたりする彼女だけに、音楽の大きな流れ以外はお互いに我が道を行っている。
Vic Rawlings (open-circuit electronics)、Ricardo Arias (balloon kit)とのトリオN.R.A.のファーストアルバム[7]が、今のところこのレーベルの最高の達成だ。そもそもLocustレーベルからリリースされる予定だったのに立ち消えになってしまったというが、この内容では無理もない。このレーベルは、Objectシリーズなど音響的即興を積極的にリリースしてきたが、The BSCのメンバーでもあるローリングスと中谷のボストン風即興にエイリアスの物音が乗ったような音楽を想定してオファーしたのだろう。だが、本作はそんなヤワなものではない。ローリングスはノイズ混じりの発振音に専念し、中谷も弓弾きや摩擦によるノイジーな音響を出し続ける。ゴム風船を膨らませ、表面を擦る音を拡大するエイリアスの音響は、小音量の時は息音を多用した管楽器の「音響スタイル」演奏のパロディのように、大音量の時は他のふたりを圧倒する、帯域の広いノイズマシンのように鳴る。この音楽には「展開」のようなものはないが、かくも強烈な音響で音空間が埋め尽くされていればそれだけで十分だ。独立系FM局でのスタジオライヴの記録も発売されている(free103point9, Audio Dispatch 023)。
最後に、録音順では最後になるAudrey Chen (Vc.,Vo.)とのデュオ[6]。地元ボルティモアの即興音楽界では2003年のHigh Zeroフェスティヴァル初登場以来、引っ張りだこの彼女だが、即興音楽に出会ったのは2002年、Peabody音楽院在籍中のことだった。中国系米国人の彼女は3歳からクラシック音楽を学び始め、8歳からチェロ、12歳から声楽を始めた。キャリアはクラシック音楽一筋だが、専攻は近現代音楽と古楽であり、音楽的志向は当時からさほど変わっていないのかもしれない。「創造的な音楽を求めていくと、音楽学校からははみ出さざるを得なかった」と彼女は述懐している。彼女を即興音楽に導いた、Red Roomを核とするボルティモアシーンは、特定のバックグラウンドに偏らずあらゆるタイプの音楽を受け入れる、若く可能性にあふれた即興シーンである。
このアルバムは、2004年5月と2005年2月のスタジオ録音と、2005年4月の米国ツアーのライヴ録音を組み合わせたもの。10分近い2トラックを含むライヴ音源が圧倒的に聴き応えがあるのは、時期的に後の録音の方がデュオとしてもチェンの即興経験としてもこなれていることに加え、スタジオ録音では新奇な技術のカタログを作る方向に向かいがちなのに対し、ライヴでは手の内にある技術を用いた音楽表現に焦点が絞られていることに由来するのだろう。このようなスタジオ録音とライヴ録音の違いは決して自明ではない。両者の志向は入れ替わってもおかしくない。このデュオではライヴの方が「自然」な音楽になったのは、ライヴを「本来の姿」とみなすクラシック音楽がチェンのバックグラウンドだからだろう。音色への繊細さと肉体的な表現性を併せ持つ彼らの音楽は、「ポスト音響」の行方を予言している。
低音弦楽器と声を併用するチェンのスタイルはレアンドルに近い。低い地声を中心に据えた声の表現もレアンドルを思わせるが、レアンドルの表現の核心はあくまでコントラバスなのに対し、チェンはチェロと声を均等に使う。特にスタジオ録音では、60年代前衛的な「拡張された声」を駆使する。バーベリアンのような強烈な表情(しかし、感情の爆発に流されることはなく、終始コントロールされている)を持った声は常に音楽の中心に位置しているが、これは中谷が常に彼女を引き立てるようなバッキングを行っているということでもあり、まだふたりは対等ではない。時折中谷が表現の幅を広げて音楽の前面に立った時は、彼女はそれに応じられず黙ってしまうことが多い。
ふたりの日本ツアー初日、2005年12月2日の稲毛・Candyでのライヴは、彼らがこの課題をクリアしたことを伝えるものだった。呼吸や曲想の変化はシンクロしているが、個々の音は独立性を保った「自由即興」らしい音楽に向かっている。ふたりの関係性もどちらが主ということはなく、30分を超える流れが自然に作り出された。12月4日の千駄ヶ谷・Loop Lineでのライヴでは、チェンはエクストリームな声のソロから入り、床に寝かせたチェロの胴をスーパーボールで擦りながら徐々に起こして調弦し、エンドピンを立てて位置を調整し、おもむろに弾き始める、このプロセスのみに数10分を費やす壮大な流れを組み立てた。個々の瞬間を見ると、フロアタムと小物のみのシンプルなセットで奮闘する中谷を、むしろ彼女が支えていた。彼らの次のアルバムを早く聴きたい。
中谷への国際的評価が高まるにつれて、彼はヨーロッパや日本にツアーを行う機会が増えており、参加音源のリリースも増えてきた。だが、GROBレーベルやerstwhileレーベルの盛衰に見られるように、音楽レーベルを商業的に運営するのは難しい。即興音楽の最先端を歩いていると、今回のN.R.A.のようなことは今後も起こるだろう。まして彼の楽器は、ただでさえソロリリースが難しいパーカッションなのだ。Günter MüllerのFOR 4 EARSレーベルやJason Kahnのcutレーベルのように、H&H Productionレーベルも息長く続けてほしい。自らの音源のリリースに不安がなくなったら、優れた音楽家を紹介するという次の段階もある。このレーベルが、Mattinのw.m.o/rレーベルや宇波拓のhibari musicレーベルと並ぶ、「ポスト音響」を代表するレーベルとして認知される日は近い。
(c) 2006 Yoshihiko NONOMURA