Reich: Three Tales (1998-2002) (Nonesuch, 79662-2)

谷口昭弘

 ベルリン、ニューヨーク、パリ、ロンドン、ウイーンなどで上演され、すでに大きな話題を呼んでいるスティーヴ・ライヒの近作《Three Tales》がCD+DVDという興味深いパッケージでリリースされた(注1)。

 私はまずDVDを一度通して観た。そしてライヒの音楽と、彼の妻でもあるビデオ・アーチスト、ベリル・コロット制作による映像の持つ力に圧倒された。彼らがこのコラボレーションで取り上げたテーマは、人間とテクノロジーとの関係(注2)。しかも、そこにはテクノロジーが人類の「進歩」に必ずしも結びつくものではないという主張さえあるようだ。例えば<ヒンデンブルク>では、同名の飛行船が起こした爆発事故(1937年)を取り上げている。テクノロジーが失敗したことによる悲劇だが、それでも技術の進歩とより明るい未来を信じて疑わない当時のニュース映画のアナウンスが鮮やかにそれと対比される。<ビキニ>では同名の環礁で米軍が行った水素爆弾の爆発実験が主題となっている(注3)。これはテクノロジーが「成功」したことによる人々の悲劇かもしれないし、「ハイテク王国」であるアメリカの行った破壊的行為を世に知らしめる役目も担っているのかもしれない。<ドリー>は、ニュースでも話題を呼んだイギリスのクローン羊に付けられた名前。クローン技術や人工頭脳について科学者たちが無邪気に語る一方で、それに警鐘を鳴らすような音楽が訴えかけてくる。

 一方でライヒの音楽表現は、《雨が降りそうだ》 (1965) や《ピアノ・フェイズ》 (1967) などの初期作品からは考えられないほどに、あるいは近年の作品と比べてみても、ドラマ的でロマン的である。反復される音型はそこここで分断され、テンポは縦横に変化する。特に<ビキニ>の場合は、水爆実験までに至る時系列的な流れが明確に感じられる。<ヒンデンブルク>においても、事故の衝撃的映像とそれに対する「テクノロジー肯定による未来」という時代的メッセージが提示され、<ドリー>においても、ちりばめられたメッセージは周到に選ばれ、意図的に配置されている。

 もちろん新しさもある。例えば、我々と同じ現代を生きるライヒのものと明白に分かる和声、電気的増幅を通した歌唱や楽器の音、コンピュータ・ソフトによって編集された話し言葉や効果音の音楽的使用、そしてこれらの音素材を使った音楽を映像とシンクロさせビデオとして提示する「舞台作品」という表現形態などである(注4)。さらに生き物のクローンを扱う<ドリー>に時事性もある。ライヒが嫌っていたオペラというジャンルに着手したのにも、このような同時代的要素があったからなのだろう(注5)。

 ドラマやロマンティックな表現という19世紀的要素にしても、ポピュラー音楽のフィルターを通してここまでやってきたものがあり、《Three Tales》の場合には、その流れも明らかに汲んでいる。だからこの作品を単純に「過去への回帰」とは裁けないところもある。しかし19世紀的表現からの脱却が「現代音楽」の課題であったのならば、ライヒのこの作品に「退行」というレッテルが貼られかねない可能性も、やはりある。それを(例えば多ジャンル音楽の「融合」に注目するなどして)「ポスト・モダン」と捉えるかどうかは、聴き手の立場によって大きく変わるだろう。

 このような些細な問題はあるにせよ、《Three Tales》は、おそらく幅広い聴衆の支持を得る作品だろう。その理由の一つは、前述した作品のテーマにある。ライヒは《テヒリーム》 (1981) 以来、自らのユダヤ人としてのアイデンティティーに根ざした自伝的作品を書いており、それが《ザ・ケイヴ》(1993)くらいになると、やや食傷気味になっていた。《Three Tales》にも自伝的要素はあるが(注6)、やはり20世紀テクノロジーを現代の視点で顧みるのが主になっており、このテーマに関しては多くの聴衆が共感できると考えられるのである。もう一つの理由は当作品における音楽の充実度だろう。ライヒ自身《Three Tales》においては、音楽が言葉への従属物にならないよう、音楽的完成度に力を注いだことを強調しているが(注7)、それがうまく結実していると考えられるからだ。CDとDVDを比較すれば、DVDには映像でしか得られない情報も確かにある(CDには作品の冒頭部分が収録されていないことも含めて)。しかし、だからといってライヒの音楽による表現力を否定する訳にもいかない。その音楽がこの作品ではビデオと一体化した立体的表現へと有機的に繋がっているように思えるからだ。

 近年アメリカではポスト・ミニマルの旗手ジョン・アダムスが脚光を浴びているが、ミニマル・ミュージックの古典的作品を数多く生み出してきたライヒの評価も除々に高まりつつある。かつて一番人気を誇っていたフィリップ・グラスがしばしば陳腐な大規模作品を大量生産してきたツケもあり、これからライヒが《Three Tales》のような優れた作品を発表し続けるならば、人々の関心がライヒに移り行く可能性も充分にあるだろう。

(1)アメリカから直接購入したDVDはリージョン・コードが1に設定されているが、日本語字幕を表示させることもできる。

(2)《Three Tales》は、もともと20世紀的なものを扱う作品としてウイーンのクラウス・ペーター・ケーアから委嘱されたもの。ライヒはこれにもとづき人類の歴史とテクノロジーという主題を選び、時代別に前期・中期・後期の3つに分けて表現した。3つの「話」--ヒンデンブルク、ビキニ、ドリー--はそれぞれの時代から1つずつ選ばれたという趣向である(ライナーノート参照。なおこのライナーはDVDにも収録されており、ライヒの公式サイトにも英文で掲載されている。また、この公式サイトには、ライナーに収録されていないリブレットも掲載されているし、英米のメディアによる同作品のレビューもある)。

(3)ライヒとコロットは広島や長崎についても知っていたが、それらは広く知られているので、あえてビキニ環礁の方を選んだという(ライナーノート参照)。

(4)ライヒは話し言葉のピッチを変えずにスピードのみを落とす技術を同作品に使ったという(ライナーノート参照)。

(5)彼は西洋のオペラにおけるベル・カント唱法や19世紀的オーケストラに疑問を抱いていた。しかし、PAの使用は自然な発声による歌唱を可能にし、クルト・ワイルに影響された小編成のアンサンブルは、彼の作品に固有の歯切れの良いリズムを犠牲にすることがなかったのである。これについてはSteve Reich, "Kurt Weill, The Orchestra, and Vocal Style--An Interview with K. Robert Schwarz (1992)," "Two Questions about Opera (1999)" inWritings on Music 1965-2000, edited by Paul Hillier (Oxford University Press, 2002), 166-68ページ、211-212ページなどを参照。

(6)例えば科学万能主義 vs. 宗教的アプローチ、『旧約聖書』の「創世記」への言及など。また、DVDに特典映像として収録されている<ヒンデンブルク>のカット部分ではワイマール共和国の長としてのヒンデンブルクとヒトラーの台頭が扱われており、ライヒのユダヤ人としてのアイデンティティーが、より前面に押し出されている。

(7)Reich, "Steve Reich in Conversation with Paul Hillier (2000)", in Writings on Music 1965-2000, 238やライナーノート参照。なお《Three Tales》のうち<ヒンデンブルク>(カット部分を含む)を観たバーナード・ホランドはこの作品に比較して《ザ・ケイヴ》を批判している。映像や舞台装置による表現の力量に比べて音楽が負けていたというのだ。Bernard Holland, "Caught Up, Eye and Ear, In a Tale of Disaster," The New York Times 17 October 1998, section B, page 7.

(c) 2003 Akihiro TANIGUCHI
Top Page