2003年のベスト10

鈴木 治行


  • [Live] 04/15 ミシェル・ドネダ、斉藤徹、沢井一恵、今井和雄、(ゲスト:千野秀一)@中目黒・Studio Es
  • [Movie] フレデリック・ワイズマン監督『肉』@アテネ・フランセ文化センター
  • [Movie] アッバス・キアロスタミ監督『10話』@渋谷・ユーロスペース
  • [Comic] 岡崎京子『ヘルター・スケルター』(祥伝社)
  • [Disk] 平山三紀 筒美京平ウルトラ・ベスト・トラックス (コロムビア, COCA-14815)
  • [Play] 09/22 ヴォイツェク(演出:ロバート・ウィルソン)@有楽町・東京国際フォーラム
  • [Live] 10/19-28 リュック・フェラーリ再来日<PARIS-TOKYO-PARIS>他、一連のフェラーリ企画@北区滝野川会館、Super Deluxe他
  • [Exhibition] さわひらき@オオタファインアーツ
  • [Movie] 「聖なる映画作家、カール・ドライヤー」@東京国立近代美術館フィルムセンター、渋谷・ユーロスペース他
  • [Exhibition] ガウディ かたちの探求@東京都現代美術館

  • 順位なし、遭遇した順に配列。

     全ジャンル共通事項として、昨年は自分自身の活動で常に追い立てられている状態だったので、例年に比べ見聞きできたものがかなり少なかったという個人的事情がある。従って、他に重要なものを取りこぼしている可能性は非常に高いということをお断りしておく。とはいえ、他に何がこぼれていようと、ここに 挙げたものの価値が下がることはない。また、元来新作、話題作にいち早く飛びつくという習慣がないため世間に何歩も遅れを取っており、ここにリストアップされているものの中にも古めのものがいろいろ混じっている。しかし、このベストはあくまで個人的に体験したもののベストと割り切り、新旧を問わずここに挙げた。以下、ジャンル別にかいつまんでコメントしてみる。

     音楽に関しては、自分も関わっていたフェラーリを挙げるのはどうかとも思ったが、自分の関わりとは別に、やはりこれは挙げておくべきだと判断し、あえて入れる。一昨年の初来日の時は、あのフェラーリがついに・・・というところに一つの大きな意味があったが、2度目の今回は内容的にも規模の上でもレベルアップできたと思う。現代音楽の生演奏に関しては、他にアンサンブル・ノマド(01/28 松平頼則《振鉾三節による変奏曲》、シュトックハウゼン《マントラ》他@東京オペラシティ・リサイタルホール)、アルヴィン・ルシエ(07/19 川崎市民ミュージアム)、作曲家の個展2003・北爪道夫(10/06 サントリーホール)を次点として挙げておきたい。12月のラッヘンマンは日本にいなかったので全く聴けなかったが、もし聴いていたらここに入ったのだろうか。その他の音楽に関しては、上記のドネダの文句のないオリジナリティを高く評価。秋山徹次(07/27 Super Deluxe)は、彼のルーツと今を結ぶ線が明確に示された企画として興味深かった。他に加藤英樹、大友良英、石川高、巻上公一、Sachiko M、吉田アミ他(04/08 新宿ピットイン)など。

     CDに関しては、新譜情報には基本的に疎いのだが、昨年最も限りなく繰り返し聞いた1枚は間違いなく、70年代歌謡曲テイスト満載の「平山三紀 筒美京平ウルトラ・ベスト・トラックス」であった。いろいろ創意溢れる収録曲の中では特に、一見地味な<私の場合は・・・>は聴く度に身の毛がよだつ。才能とはこういうことを言うのである。他に、待望の松平頼則作品集 (NAXOS, 8.555882J)、クセナキス<クリュニーのポリトープ>を含む電子音楽2枚組《CCMIX: New Electroacoustic Music from Paris》(mode, 98/99)、ルシエ《Navigations》(mode, 124)、ベルンハルト・ラング《Differenz/ Wiederholung 2》(KAIROS, 0012112KAI)、もっと古典ではゴンベール《カール5世の宮廷の音楽》(SONY, SRCR 8953)、エネスコのピアノ五重奏曲他 (NAXOS, 8.557159)、チェリビダッケのブルックナー第5 (EMI, 7243 5 56691 2 4)、その他、ルラル《トカイノトナカイ》(Tinker Label, KJCS-5001)、Sachiko M《Derive》(Noise Asia, NAIM15CD)など。

     美術については、比較的収穫のあった年のような気がする。ただのガウディ展なら今更ここに挙げなかったのだが、今回のガウディ展は、CGを駆使した形象造形の解説が丁寧かつ非常に具体的で、特にものを作る人間にとってかなりの刺激になる内容だったと思う。この影響は今後自分の音楽の中に徐々に現れてきそうな気がする。全く偶然に発見したさわひらきの次回作には強く期待を寄せずにはいられない。スタイルとしてはヴィデオアートなのだが、その人を喰ったユーモアと独特の浮遊感覚との邂逅は強烈な印象を残し、小躍りしながら帰途についた。「合田佐和子・影像」展(渋谷・松濤美術館)は要するに回顧展なのだが、この人の作品をこれだけまとめて見れたのも久し振り。自分の内的ヴィジョンのみを見つめ深化させてゆくのが彼女の基本姿勢だが、商業美術などの他者とのコラボレーションになるとそれだけではすまなくなり、そこに嵌入してくる外部と内的自己との調停具合が興味深い。古典では「浮世絵アヴァンギャルドと現代」展(東京ステーションギャラリー)がかなり面白かったが、時間が足りなくなってしまったのが心残りだった。他に、リベスキンド(ICC)、若林奮(川村記念美術館)など。写真勢としてジョイス・テネソン(赤坂写真文化館)、森山大道(川崎市民ミュージアム)、中平卓馬(横浜美術館)、松江泰治(タロナスギャラリー)、橋本典久(INAXギャラリー)。鈴木理策(ギャラリー小柳)の桜を撮ったシリーズは、通常の平凡な桜の写真とはピントの当て方がずれているのだが、彼が見ているものは実は桜ではなく目の前の中空をぼやけた輪郭で乱舞する白、なのだろう。かと思うと次の一瞬それはやはり桜であることにふと気づくという、この虚と実がたえず曖昧に反転してゆく宙吊り状態。

     映画はというと、昨年はここ20年ほどの間で最も見れなかった一年だったのではないか。かろうじて通ったドライヤーが最重要イヴェントだったのは間違いないが、昔見ていてもう一度見直したかった作品はすべて断念した。「崇高」の作家としてドライヤー、そして小津が特集されたのなら、次はブレッソンをやるっきゃない! もしブレッソンを特集するのなら、併せて『シネマトグラフ覚え書』の復刊もよろしく。例によって新作には2歩も3歩も遅れているわけだが、その見た数少ない新作の中では、近年今一つだったキアロスタミの『10話』はダントツで、実はキアロスタミもまだまだ捨てたものではないかもしれない。ワイズマンの『肉』は、牧場の牛が屠殺されて食肉になってゆく過程を、いつものワイズマンの冷徹な眼差しで瞬き一つせずに凝視しきった恐るべきドキュメンタリー。同様の眼差しで動物実験の様をただただ見つめてゆく『霊長類』(アテネ・フランセ文化センター)もまた、目を背けずにいるのが難しいおぞましさに満ち溢れているが、この2本から我々は何を受け取るべきなのだろうか。眼前の明快な画面の彼方に、簡単に動物愛護を叫ぶだけではすまないこの世の得体の知れない不条理が横たわっている。その一方で、長時間にわたる膨大なカット、イメージの連鎖が言いようのない幸福感へと昇華されてゆく、メカスの新作『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』(アテネ・フランセ文化センター)の存在は何事か。

     古典では、タチの『プレイタイム』70mm版(渋谷パンテオン)の体験には、この映画はヴィデオの小画面では全く何もわかりはしないという事実を改めて実感させられた。大昔に一度見たきりすっかり忘れていた『熊座の淡き星影』(シネ・リーブル池袋)を久しぶりに見直してみると、ヴィスコンティの最高作は、これまで『揺れる大地』だろうかと思っていたけれど、実はこっちなのではないかという気がしてきた。完璧な映画。やっと見ることが叶ったデュラスの『アガタ』(渋谷・ユーロスペース)においては、繰り返し出てくるブラームスのワルツのあの緩慢なテンポがこの映画の空気を決定している。ここで取り上げる映画の中で唯一まだ上映している李纓の料理ドキュメンタリー『味』(渋谷・シアターイメージフォーラム)のすばらしさは、是非一人でも多くの人にじかに確認しに行ってもらいたい。その他の特集上映として、深作欣二(三百人劇場)、中平康(渋谷・ユーロスペース)、トルンカ(渋谷・ユーロスペース)も快挙。

     舞台表現(コンサートを除く)では、結局ロバート・ウィルソンの『ヴォイツェク』を挙げた。極度に様式化、記号化された色彩の使用はウィルソンの十八番だが、熱を帯びた氷の演出とでも形容したくなるウィルソンと有機的なトム・ウェイツの音楽のコンビネーションは新鮮。他に、モレキュラーシアター『イタドリ』(09/07 国際交流基金フォーラム)、ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団『過去と現在と未来の子供たちのために』(11/15 新宿文化センター)、寺山修司『奴婢訓』(12/25 新国立劇場)など。『イタドリ』は、菅木志雄作品を模倣し再解釈した舞台美術を軸に、ほぼABAの3部形式で構成されている。完全に駒と化したパフォーマーたちの存在はいつものことだが、行為の無目的性と動きの厳格さの融合が積極的な「空虚」を生成していた。 クアトロガトス『in/out-there』(11/23 中央大多摩キャンパス)にもどことなく似た空虚さを感じたが、後者の方が言語イメージの比重は高かった。逆に駒としてのパフォーマーの扱いからほど遠い地点に立つピナ・バウシュは、近年かつての『カフェ・ミュラー』や『ヴィクトール』の頃の「世紀末ヨーロッパ」的世界観から遠ざかりつつあり、その傾向はこの新作でもますます強まっていた。現在日本に長期滞在して制作中の新作がどうなるか楽しみ。『奴婢訓』は20年以上前の古典だが、今回初めて見た。僕の乏しい演劇体験からすれば、ここまで美術装置(小竹信節)の存在が全体を強く統べている演劇は見たことがない。

     最後にマンガに関して少しだけ。岡崎京子の『ヘルター・スケルター』は、「一見軽やか、実は悲痛」な系譜として、『pink』や『リバーズ・エッジ』 に連なるものといえるだろう。発言その他を総合するに、彼女はそうした指向を60年代ゴダール、就中『気狂いピエロ』から継承したのは間違いあるまい。 そもそも映画界まで視野に入れても、60年代ゴダールの最も優れた継承者は岡崎京子なのだ。90年代後半に再公開された『はなればなれに』を彼女は見たことがあるのかどうか気になっている。その他、正確には一昨年末のことだが、個人的に清原なつの、ついでふくやまけいこの発見を重大事件として挙げておきたい。現在連載中の作品についてはチェックしてないので不明である。

    (c) 2004 Haruyuki SUZUKI
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