2007年のベスト10

野々村 禎彦

(01) [Live] 黒田京子トリオ plays 富樫雅彦@大泉学園・in F 07/08/25, 07/12/30
(02) [Live] 川島素晴&山根明季子企画「eX.
(03) [Disk] taku unami: malignitat (skiti, sk03)
(04) [Live] ジャン・サスポータス齋藤徹西陽子@中野富士見町・plan B 07/10/06
(05) [Live] 山内桂吉村光弘デュオ@千駄ヶ谷・Loop Line 07/12/16
(06) [Live] 今井和雄中谷達也デュオ@合羽橋・なってるハウス 07/10/15
(07) [Disk] Bhob Rainey, Ralf Wehowsky: I don't think I can see you tonight (Sedimental, SEDCD047)
(08) [Comic] 渡辺ペコラウンダバウト1 (集英社クイーンズC)
(09) [Live] 鈴木治行「語りもの」全曲公演@文京区立小石川図書館 07/09/16
(10) [Live] 松平敬大井浩明シェーンベルクリサイタル@代々木上原・けやきホール 07/06/10
(次) [Book/CD] Yasunao Tone: Noise Media Language (Errant Bodies)
(外) [Book/CD] 大竹伸朗「全景」展カタログ (grambooks)

 2007年はまず音楽の年だった。シュトックハウゼンと富樫雅彦という、現代音楽とジャズの境界を大きく広げながら、各々のジャンルの指標であり続けた巨大な存在を相次いで亡くした年として記憶されるだろう。同時に、特定のジャンルに留まった上での「新しさ」の探求への疑問符が大きく突きつけられた年でもあった。流行として消費されない「新しさ」は、個に徹する中からしか生まれない。

(01) Sachiko M&ユタカワサキデュオをはじめ、足を運べなかった即興ライヴは少なくないが、足を運べた中では群を抜いて印象深かった。ソロ即興以外で、富樫の音楽の真髄に出会えたと感じたのは黒田トリオの解釈が初めてなので、彼の訃報が伝えられた2日後の張り詰めたライヴも、ジャズ関係者による追悼ライヴも済んだ後の、年の瀬の寛いだ雰囲気のオール富樫プロも、彼の音楽は今後も生き続けるという確信を与えてくれた。少なくとも、8月のライヴはレビューする予定。なお、黒田トリオの通常のライヴも高い水準を保ち続けており、ピアノデュオ企画「くりくら音楽会」も2年目に入ってますます充実していたことと合わせて、この特別な出来事がなくても2007年の黒田の活動はランキング上位に来ていた。

(02) ケージ《ユーロペラ5》や高橋アキ+サバト+デ=サラムによるフェルドマンのピアノトリオをはじめ、アルディッティ弦楽四重奏団による西村朗個展、アンサンブル・ボワによるアルド・クレメンティ個展、望月京の管弦楽作品個展、ヴァンデルヴァイザー・ウィークエンドのマルファッティ個展以外の日など、現代音楽の演奏会では足を運べない無念が例年になく多かったが、辛うじて足を運べた中ではこの一連の企画が質量とも突出していた。eX. 2 (シュトックハウゼン《自然の持続時間》初演者コプラーによる、演奏済部分の日本初演), 3 (川島自身によるパフォーマンス:本サイトでもレビューした), 4 (ファーニホウ個展), 5 (大井浩明リサイタル) に足を運んだが、ファーニホウ個展が圧巻。多井智紀の渾身の演奏による、アナログ機材3人分の音情報を有馬純寿が的確に捌いた《Time and Motion Study II》に加え、《イカロスの墜落》と《想像の牢獄》ツィクルスのソロ2曲の解釈を通じて、装飾音符の奔流の底に流れているのは思いのほか伝統的な語り口であることを暴き出し、演奏機会の少ない大家を紹介しつつ引導も渡す、批評的意図が垣間見えた。

(03) ディスクはベスト10を別にリストアップしたので少なめに選んだが、これの上位は揺るがない。この全3曲各15分の電子音楽の素材は、ヘリコプターの羽根の回転音を中心に、ギターのサンプリング、ラップトップライヴでも多用されているチープな発振音、レコードの空溝の針音といった、ありふれたものばかり。だが、それらの速度と定位を変えつつ、十分な沈黙を挟んで時空上に配置すると、素材の固有性は背景に退き、音と音との連接が生み出す、音楽としか呼びようのない持続が残った。これはレビューする予定。

(04) ライヴの現場で乗りに乗った音楽家たちの即興あれこれ。最初は、齋藤がサスポータスを迎えたツアーの一日。即興音楽家としての西の存在の確かさがこの日を特別なものにした。詳細は既にレビューした

(05) こちらは吉村が続けている企画"(h)earrings"の一日。山内のソロは相変わらず強烈だが、吉村とのデュオにおける息の輪郭が見えるような繊細なプレイに、もう一段進化した姿を見た。このところコンセプチュアルなプレイに向かっていた吉村も、この日は全力でヘッドフォン・フィードバックを制御した。近々レポートしたい。

(06) 最後の即興ライヴは中谷の日本ツアーの一日、今井との初共演。両者が完全に我が道を行きながら互いの音には耳を開いている、ヨーロッパ自由即興的な音楽が久々に日本で聴けた。スネア上の小物の鳴りを完璧にコントロールし、ドラの倍音列を縁の弓弾きでどこまでも上ってゆく中谷のプレイはますます神がかってきたが、自らのすべてをさらけ出し、音響としてはむしろシンプルなマナーで正面から対峙する今井のプレイが、ただならぬ事態を実感させた。こちらも近々レポートしたい。

(07) もう1枚のディスクは、フィールドレコーディング+ラジオ+ラップトップの発振音という、音響的即興で使い尽くされたかに見える素材を用いながら、常套的なテクスチュアを逃れ続ける綱渡り。各素材の意味性に半ば沿い、半ば裏切る微妙なバランスを維持し続けることで、自由即興に匹敵する緊張感を保ち続けている。「RLW流石だな」と言いたくなるが、ラップトップはメイン楽器ではないレイニーがここまでやるとは。ボストンシーンを引っ張る彼はやはり徒者ではない。

(08) YOUNG YOU誌の雰囲気に合わせた前作『東京膜』では「ポストいくえみ綾」などと評されてしまった渡辺だが、コーラス誌でくらもちふさこを強く意識しつつ描いたこの短篇連作で、彼女は一挙に時代の最前線に立った。壮大なストーリーを構築できる作家は少なくないが、日常が輝く瞬間を切り取るセンスを持った作家は限られている。特定の出版社に拘束され、常にスタイリッシュであることを求められていたくらもちよりも、新人AV監督が主人公の青春マンガ『キナコタイフーン』(エロティックスf誌連載中)を本作と並行して描ける彼女は恵まれており、マンネリズムに陥ることは当分ないだろう。南Q太の次の10年は彼女のものだと思う。

(09) 鈴木治行作品中で最も独創的な「語り物」シリーズの、現時点での全作公演。本サイトでもレビューしたので詳細は繰り返さないが、即興音楽界の多様な世代の顔役たちが現代音楽演奏界の若手ホープたちと当たり前のように共演し、新たな出会いがいくつも生まれたことは、演奏会自体以上に重要な出来事だったのではないか。

(10) シュトックハウゼン作品の演奏/分析/紹介で知られる松平敬は、学生時代にはシェーンベルクの歌曲を研究していた。伴奏者に大井浩明を迎え、その成果を問うた演奏会。作曲家の生涯を同一編成で辿ることを重視し、《架空庭園の書》のような評価の定まった作品よりも、《月に憑かれたピエロ》《ワルシャワの生き残り》のピアノ伴奏独唱版という珍品をあえてメインに据えたプログラムは、尻上がりの演奏に支えられて確かな説得力を示した。

(次) 刀根康尚という音楽家の全体像を、テキスト・写真・音源を通じて概観できるガイドブックがようやく現れた。内容は、ヴォルシード、アシュレーらの警句的な批評から米国実験音楽の若手研究者による誠実なモノグラフまで、刀根へのインタビューも交えた多面的な構成。紙媒体の編集能力では音楽界は美術界に遠く及ばず、本書の質の高さもサウンドアートという切り口で作られたからこそだろう。

(外) インパクトは2007年随一だが、展覧会は2006年中に終わったので番外扱い。展示作品は小学校時代の作文まで全部カラー印刷、1000頁超え6kgのハードカヴァーという分量は、2段3段は当たり前で壁面を埋め尽くしていた作品点数から予測はしていたが、コラージュを多用して量が質に転化する瞬間を狙った作風と極めて相性がよく、縮小印刷で失われたものよりも、大量の情報をザッピング感覚で吸収し、空間の制約を超えて自在に見比べられるフォーマットのメリットの方がはるかに大きい。1年近く刊行が遅れても、これなら文句はない。遠隔操作音響オブジェ「ダブ平&ニューシャネル」のライヴ音源CD2枚組という付録も、サウンドの制限を逆用して既発ディスクをはるかに上回る内容で画龍点晴を添えた。

 これだけでは書き足りない分は、ディスクのベスト10とマンガのベスト5をこちら(後日掲載)にまとめた。それ以外では、音楽書で興味深い動きがあった。高柳昌行の遺稿をまとめた『汎音楽論集』と大谷能生のEspresso時代の原稿を中心にまとめた『貧しい音楽』がまず出版され、北里義之が両者への応答としてmixi日記に連日アップした原稿が、『サウンド・アナトミア:高柳昌行の探究と音響の起源』として出版された()。blogの出版は近年の大きなトレンドのひとつだが、それが音楽批評にも波及したわけだ。内容的にもそれぞれに読み応えのある書籍だが、高柳本と大谷本は著者の音楽の現場での活動が読解の前提になっており(北里もその方向で解釈を行っている)、北里本も彼が「音場舎通信」などで行ってきた批評活動を前提にしてこそ意味を持つ。というわけで、文脈に依存しないものに重きを置いたこのベスト10には入れていない。

() 厳密には、北里のmixi原稿が書かれた時点では、対象となった大谷の文章はImprovised Music from Japan誌と三太紙で発表されたものの、まだ書籍としては出版されていなかった。これらの経緯を時間順に並べると:大谷がIMJ誌の若手特集号を編集→北里が音場舎通信におけるIMJ誌該当号の書評で大谷の巻頭言「Improv's New Waves」に言及→月曜社より『汎音楽論集』刊行→音場舎通信のIMJ誌書評を北里がmixi日記にアップ→大谷は北里評への応答として三太紙に論考「ジョン・ケージは関係ない」を発表→北里は大谷の論考への応答としてmixi日記に「ケージではなく、何が」を発表→この過程で北里は高柳論の切り口を掴み、「汎音楽論集ノート」をmixi日記に発表→大友良英が北里の一連の原稿の単行本化を青土社に推薦→大谷の上記文章を収録した評論集『貧しい音楽』が月曜社より刊行→北里の一連の原稿を加筆・再構成する作業の末、『サウンド・アナトミア』刊行

(c) 2008 Yoshihiko NONOMURA
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