2009年のベスト10 |
野々村 禎彦 |
(01) [Live/Disk] 「天狗と狐」の新展開@千駄ヶ谷・Loop-Line; slub music, SMCD 16
(02) [Art] 梅田哲也個展『迷信の科学』@勝どき・オオタファインアーツ
(03) [Art] Ensembles 09「休符だらけの音楽装置」展@東京都内各所
(04) [Live] 音楽の複数次元2009:コーネリアス・カーデュー@アサヒアートスクエア 09/07/05
(05) [Live] 松平頼暁の新作初演(《24のエッセーズ》09/04/25+07/25・木下正道企画 09/11/14)
(06) [Disk/PV] sasakure.UK《ラララ終末論。》および収録作品のPV
(07) [Disk] Beethoven: Complete sonatas for vn & pf [Isabelle Faust & Alexander Melnikov]
(08) [Live] 101年目からの松平頼則II@荻窪・杉並公会堂小ホール 09/07/16
(09) [Live] コンポージアム2009:ヘルムート・ラッヘンマンを迎えて@オペラシティ 09/05/26,28
(10) [Art] マーク・ロスコ:瞑想する絵画@佐倉・川村記念美術館
(次) [Book] 夏井睦『傷はぜったい消毒するな:生態系としての皮膚の科学』(光文社新書, 2009)
このベスト10はどこまでも個人的なものであり、筆者がこの1年何に興味を持ってきたかの記録以上のものではない。ただし、重み付けを行って「ベスト」と謳っていることにはそれなりの意味はあり、単なる購入/鑑賞記録ではない。購入数で言えば、2009年で最も多かったのはマンガであり、ここ20年で読み落としていた作家の補完を中心に個人的には有意義だった(特にTONO作品と出会えたことは)が、新作に限ればあらためてこのベスト10に残したいと思うものはなかった(こうの史代『この世界の片隅に』は、2008年の1位であることに注意)。
(01) 杉本拓と宇波拓は、「Loop-Line / Kid Ailack ポスト音響シーン」(とあえて呼ぶことにした)場の中核をなす音楽家であり、2008年のベストでこの場を高く評価するにあたっても大きな役割を果たした。その彼らを翌年もこの順位に選ぶのは、彼らのデュオが2009年にさらに異様な方向に歩みを進めたからである。ラップトップ制御されたモーター打撃音&電子メトロノーム、及びマンドリンと手拍子という2008年のライヴがCD化され、「ポスト音響」の最先端を繰り返し聴けるようになったのも素晴らしいが、そのレコ発ライヴから始まった「段ボール影絵」スタイルは、ポスト音響の文脈も飛び越えて即興パフォーマンスの臨界点を日々更新し続けている。彼らがこのスタイルに飽きる前に一度は体験してほしい。
(02) 本サイトでも詳しくレビューした、梅田の東京初個展。ほぼ日用品のみで作られたワンダ―ランドは霊屋敷のいかがわしさに満ちているが、動作の機構をじっくり読み解いてゆくと、完全に合理的な理解が可能な設定になっている。しかも手品の種が明かされても作品の魅力が失われることはなく、視覚的な謎に覆い隠されていたサウンドインスタレーションとしての本質が前景に浮かび上がってくる。
(03) 本サイトでも詳しくレビューした、大友良英のサウンドインスタレーション・シリーズ『Ensembles』の2009年版。今回は〈without records〉を裏原宿の元古着店のスペースで、それと対になる新作〈with records〉を高円寺の路地裏の小ギャラリーで、サブタイトルにもなった新作〈休符だらけの音楽装置〉を末広町の元中学校の屋上でと、東京の新オルタナティヴスペースを巡回する展示になった。あえて比較すると、構造がすべて可視化されている梅田個展に筆者の趣味では軍配が上がるが、2009年の出来事ではここまでの3つが突出していた。
(04) 本サイトでも詳しくレビューした、足立智美が2008年から始めた実験音楽シリーズ企画のクライマックス。カーデュー作品の政治性に振り回されず、かといって目を瞑ることもなく、音楽としての妙味をありのままに享受できる現状は、実験音楽の暗黒大陸だった作品群にようやく旬が訪れたのだろうか。現代音楽/実験的ポピュラー音楽/パフォーマンス/演劇の人脈が程よく混じり合った現場の緊張感も、演奏にはプラスに働いた。シリーズの今後の展開にも注目したい。
(05) 前衛の時代の現代作品の再演が並ぶランキングになってしまったが、では新作は…と振り返ってみると、松平頼暁作品が群を抜いていた。中村和枝のために書かれた《24のエッセーズ》がついに完成し、ショパンやドビュッシーと並ぶとまでは言わずとも、ショスタコーヴィチやミュライユの小品集には勝るとも劣らぬ佳品が並んだ。吉村七重(二十絃箏)、鈴木俊哉(リコーダー)、多井智紀(チェロ)というユニークな編成のトリオのために委嘱された《Evocation》は、このトリオを常設団体にする理由として十分なほどの、熱気と若々しさにあふれた傑作だった。
(06) 深いものを体験したければ狭い世界を掘り進めるしかないというのは普遍的な真理だが、貴重な例外こそ楽しみ。日本ではマンガになる場合が多いが、2009年はポップスの新ジャンルで出会えた。音楽ゲームのBMSファイル作家として斯界では知られていたsasakure.UKが、ヴォーカロイドを用いた打ち込みポップスのPVをニコニコ動画に投稿し始めたのは2008年。当初は人間に近い調声を主に探求していたが、2009年に入って「整った人工的な声を作る」方向に作風を転じ、それに合わせた世界観を持つ連作としてPVを発表してゆく過程で、幅広い注目を集めた。その世界の全貌は、4種類(物語中での性格付けが明確なので、4人と言うべきか)のヴォーカロイド2曲ずつをプロローグとエピローグで挟んだ自主制作コンセプトアルバム《ラララ終末論。》で明かされたが、音源のみでは作品の真髄に迫れないので、DVDにPVも収録される2010年3月の商業発売を待ってレビューしたい。
(07) 録音もののもう1枚は、ソリストとしても室内楽奏者としても、現在最も期待の持てるふたりによるベートーヴェンの大作の全曲録音。名のある奏者なら誰もが全曲録音している感のあるチェロソナタに比べ、ヴァイオリンソナタは全曲録音に恵まれないが、これは《春》《クロイツェル》の2曲のみが突出して知られていることに加え、作曲年代や書法が似通った曲が多く、音楽様式の表現と個性の表現の擦り合わせが難しいからだろう。ふたりの解釈は、《春》は徹頭徹尾スタティックな語り、《クロイツェル》は徹頭徹尾ダイナミックな歌に貫かれたロマン派を予言する音楽として鮮烈に提示し、その他のソナタは音楽様式に忠実に寄り添って音楽史の参照点に個性を語らせる。スーク&パネンカ盤以来久々のリファレンス録音が生まれた。
(08) 本サイトでもレビューを続けている、松平頼則の新古典主義時代の知られざる佳作の蘇演と前衛時代の代表作の再演を合わせて行う企画の2回目。アドルノやゴレアの時代から、新古典主義をセリー主義よりも低く見る音楽観が現代音楽業界では根強いが、新古典主義こそモダニズムの本質であり、優れた新古典主義の作曲家ほどセリー主義に転じても優れた作品が書ける(ストラヴィンスキーがまさにそうだったように)、という信念が一本通った企画は強い。編成が大きくなるほど魅力が増すのも松平頼則の特徴であり、今回の水準が続くなら今後も期待したい。
(09) 日本の現代音楽業界(正確には、海外の動向に専ら関心がある一派)にとってサントリーサマーシリーズと並ぶ一大イヴェントが、オペラシティでのコンポージアムである。国際公募による武満徹作曲賞と、単独審査員の作品を紹介する演奏会からなるが、不況のため企画は縮小傾向にあり、演奏会が管弦楽と室内楽で2回行われるのも2009年のラッヘンマンが最後になりそう。武満賞選考会の低調さにも歯止めがかからなかったが、演奏会は大きな収穫だった。海外の著名演奏家に丸投げするのではなく、協奏曲のソリストや室内楽演奏には日本人の若手〜中堅が起用され、作曲者をも感嘆させる名演が生まれた。特に、岡静代&飯森範親/東響による《アッカント》は、録音されていれば代表作の代表録音となり得た演奏。辺見康孝、亀井庸州、安田貴裕、多井智紀による《グリド》も、ヨーロッパの団体ならルーティン的になぞりがちな構築感をあえて放棄し、音響的即興と同時代の音楽であることを前面に打ち出した、新たなラッヘンマン像の誕生に出会えた。
(10) 残る一枠は、ステラとロスコのコレクションで国際的にも知られる美術館ならではの企画。「シーグラム壁画」シリーズの川村記念美術館・英国テートモダン・米国ナショナルギャラリーのコレクションを集めて、作者の構想をほぼ再現した。筆者は川村のロスコルームは何度も、テートモダンのロスコルームも見ているので感動はそれなりだったが、初見のナショナルギャラリーのコレクションから、最晩年の陰鬱なブラック・ペインティングを予告する黒一色の作品を並べた小部屋に見入った。この展覧会がお披露目となった常設展示室の改装も、それまでは増築と収蔵作追加の経緯を引きずって雑然と並べられていた展示を、美術史の流れに沿って作家ごとに整然と並べ直し、コレクションの価値をさらに高めた。
(次) ランキング外で気になるものを挙げる枠には、3年ぶりの『Improvised Music from Japan』誌も有力候補だったが、演奏会用アンコールピースマニアにはお馴染みの(謎)夏井氏の創傷湿潤治療が、ついに新書になったことを取り上げたい。家庭で治せるような傷は毎日水洗いしていれば化膿することはない、「消毒」すると傷口の細胞も死んでしまうので治癒は遅れる、傷はラップで覆ってジュクジュクした状態を保てばすぐ治る、という「常識」破りだが科学的には真っ当な治療法である。非科学的な「常識」が医学会では依然根強い理由をパラダイム論で読み解き、界面活性剤は皮膚に悪いという知見から化粧品やシャンプーも一刀両断し、皮膚の役割に関する大胆すぎる仮説まで披露して読み物としても実に愉しい。