アート夏まつり@旧千川小学校 |
足立 智美 |
東京都豊島区の旧千川小学校を稽古場、アトリエ、事務所として使用しているグループ、アーティスト、芸術NPOが校舎を一般に開放しておこなっている3日間の夏のイヴェント。地域還元というか地域住民との交流を目的とするこの種のイヴェントは、「やりたいこと」と「分かりやすさ」という二極をどうバランスをとるかが問題になってくる。『アート夏祭り』は総体として見るならば「分かりやすさ」にかなり傾いたイヴェントだと思えたが、もちろん答えが与えられている訳ではなく、たとえどんなに先鋭的なものであれ、公共団体や市民、企業が芸術をサポートする態勢が既に機能しているヨーロッパやアメリカとはまったく違った環境では、手探りで試行錯誤を積み重ねていくしかない。 ただこの種のイヴェントでは質はさておき規模や集客ばかりに関心が向きがちである。その二日目、8月30日を見た中で個々の質を中心に述べてみたい。
全体としては各々のアーティストやNPOが自分の守備範囲を見せるというやり方で、そこが限界といえば限界だが誠実なやりかたでもある。数十の展示、上映、上演でも突出していたといえるのは、海津晃子の『ストロマトライト』とクロード・ランズマン『ショア』の上映だろう。ストロマトライトとは巨大な円形の布を用いて観客を包み込むドームを即席で作ってしまう作品(アメリカなどでは教材として良く使われているらしい)で、海津はシチュエーションを変えながらパフォーマンスを続けている。空気圧を利用した単純な観客参加型のインスタレーションといえるものだが、実際に見せられるとちょっとした驚きを感じる。単にドームを作るだけではなくそこで何ができるか、が海津の目論見らしく、この日はNESTで活動するダンサーの小杉裕美とのコラボレーションという形で趣向の異なる三度のパフォーマンスがおこなわれた。ストロマトライト自体が観客を強く引きつける要素を持っているので、それをダンスの舞台美術として使うのか、ストロマトライトに対する観客の能動性を引き出すためにダンスがあるのか、その位置づけが曖昧なまま進行してしまったのは残念だが、さまざまな可能性を秘めたインスタレーションだと感じた。うまくいくかは分からないがとにかくやってみる、という姿勢はいさぎよい。
9時間以上に及ぶクロード・ランズマン『ショア』の連日上映は快挙といってもよいだろう。主催者が手持ちのソフトを見せただけとはいえ、硬軟とりまぜたプログラムの中で「硬」の極が開場から閉館近くまで一室で上演され続けていたのは重要なことである。多いときで10数人、少ないとき、というかほんとどの時間は2人しか観客がいなかったものの、この映画が見せる世界は衝撃的だ。ホロコーストの真実に資料映像を一切用いずにインタヴューだけで迫ろうとしたこの映画は、おそらくはユダヤ人側にはっきりと立つ監督の意志すら裏切って、私たちのホロコーストを映し出す。ユダヤ人移送の特別列車は団体料金であったこととか、一見どうでもいいようなディテールを執拗に追いつめたあげく、正義や真理は果てしない証言と矛盾のうちに霧散してしまう。迫り来るのはホロコーストの恐ろしさではない。私があの時代に生まれなかったということ、あのユダヤ人が殺され私が生きているということ、虐殺したのがユダヤ人ではなくドイツ人であったということ、そういう歴史の根源的な恐怖が最後に残る。抽象的な相対化ではなく、具体的な転倒がここで起きている。これはパレスチナについての映画であってもおかしくない。
個々のアーティストの展示では伊賀陽祐の『made by wind』がユニークであった。自転車用のポンプを押すと吊るされた大きな風船が膨らむ。空気の流れはホースとつながったディスプレイのアニメーションで表示されるのだが、時々それがハサミでちょんぎられたりする。すると空気が抜ける。他愛がないといえば他愛がなく、風船のふくらみ、しぼみが見た目に分かりにくいが、アナログ・インターフェイスを用いたコンピュータ・アートの可能性をユーモラスに示した作品で、これからが期待されるアーティストだ。
実はこの日のメイン・イヴェントは、200人ほどの観客を集めて体育館でおこなわれた、振付家・ダンサーの山下残と子どもたちによるダンス『おもいで』の上演だった。夏休みの間、8人の小学生と山下はワークショップを重ね、30分ほどの作品をつくりあげた。もちろんほとんどの子供は特別な訓練を受けているわけではなく、素人に他ならないわけだが、にもかかわらず、というか素人であるが故に、ユニークな動きをいくつか見つけることができた。子どもたちが語る「思い出」と動きとの、時にちぐはぐな関連も魅力的である。山下は子どもたちに振り付けたのではなく、子どもたち自身に振付を考えさせるのだが、このやり方は山下がダンサー達と作品を作る際の通常の方法である。これはアーティストの指向と子どもたちとの幸福な出会いであっただろう。とはいえ、観客を席に並べて見せるという劇場的なスタイルでは間が持たず、それを埋めるかのように大音量の音楽や派手な照明が幅を利かせるのはどうか。もっとも子どもたちを訓練してしまう、というやり方ではプロのダンサーにかなわないのは明白だが、劇場でのダンス・パフォーマンスの枠組みをとっぱらってしまうという手があったのではないか。そうでないと、「子供だから」というアマチュアリズムから脱却できない。それと演出の一部として海津のストロマトライトとまったく同じことをやっていたが、意識的なのだろうか? 一瞬、海津が演出で参加しているのかとも思ったが違ったようだ。
他のプログラムでも、一見いかにもな教育映画風だがプライベートな手触りと健康な光に満ちた大重潤一郎の映画『光の島』や、山川冬樹の超絶的なホーメイなど見所が多く、寄せ集めのイヴェントにありがちな質の低さはほとんど感じさせなかった。もし山下の作品を見に来た観客がたまたま海津や伊賀の作品、『ショア』に出会えたとしたらなんと幸福なことだろう!(逆にいえば出会わなかったらなんと不幸なことだろう!)そんな幸福な場所は残念なことに今の東京ではそんなに多くない。
(2003年8月29日〜31日 東京都豊島区立旧千川小学校)