ジャン・サスポータス×齋藤徹デュオツアーより |
野々村 禎彦 |
ジャン・サスポータスは、かつてはヴッパタール舞踏団の看板ダンサーであり、現在でも旧作の上演では欠かさず舞台に立っている。ジャンルに囚われず、少数の芸術家と地道な共同作業を続ける齋藤徹との共演は、2006年秋のツアーが最初だった。筆者は初日のアサヒアートスクエアでの公演に足を運んだが、前半はダンスというよりはパントマイムと呼びたくなる、シチュエーションごとに服装も化粧も音楽も変える、小さくまとまった数分の踊りが細切れに続き、後半はライヴペインティングも入れた壮大な、だが大仕掛けに呑み込まれたようなダンスで、以後の公演に足を運んだり、公演をレポートしたりする意欲は湧かなかった。
しかし、半年以上前から周到に準備され、大会場も押さえて全国を回った前回のツアーとは対照的に、来日2ヶ月を切った段階で打診され、東京圏の小会場のみを巡回する今回の方が遥かに強い印象を与えるのだから企画は難しい。今回のツアー日程は齋藤のblogで告知されているが、西陽子がゲスト参加することや田中泯らのダンス公演で知られる会場であることを加味して、plan Bでの公演に足を運んだ。開演時間を過ぎた頃にようやく開場し、控室で待っていた観客がホールに移ったら直ちに公演が始まる。控室の収容能力が客席と同程度なので、ぎりぎりまで調整に時間をかけている、と肯定的に捉えるべきかもしれない。
入場すると、サスポータスと齋藤は既に位置についている。客電が落ち、齋藤がピッチカートの最弱音でゆったりとコントラバスを鳴らし始めても、サスポータスは左の壁に寄りかかって佇んだまま。ただし、演奏開始と同時にバレエの爪先立ちポーズに移行し、鍛えられた華奢な肉体で、裸足でトルソのようにポーズを保つ。やがて齋藤が弓を持ち、タンゴを支えるジュンバの力強い2ビートが響き渡り、ピアソラ《忘却》のメロディが見え隠れし始めたところで、サスポータスはようやく動き始める。最初は壁に身を預けながらおずおずと、徐々に操り人形のような身のこなしで舞台中央に移りながら。齋藤は半ば意図的に音程を外し、音を軋ませる各種特殊奏法も交えて荒々しく弾くが、サスポータスは着かず離れず、音圧をかわすように反対側の壁に向かう。10月1日の公演後は髭を剃らず、髪もまとめず憔悴した雰囲気を作ったのは、アンゲロプロス監督『1936年の日々』に想を得た、獄中でタンゴ演奏を求める囚人という設定なのだという。
会場のplan Bは地下にあり、床は板敷きでコンクリート壁に囲まれたステージと、階段教室のような客席の面積は同程度。ステージ右側の壁には換気のためか、窓のような開口部がいくつかある。爪先立ちポーズを崩さず、ようやく壁にたどり着いたサスポータスは、壁をよじ上って窓から逃げようとするが果たせない。絶望し、下降グリッサンドとともに頭から崩れ落ちるが、辛うじて片手で窓枠につかまり、体勢を立て直す。音楽の流れとは全く無関係なグリッサンド、一歩間違えれば頭を打ってそのままになりそうな身のこなしは、即興ではなく入念に作り込んだ部分だろう。今度は窓を固定するチェーンを用いて2回首吊りを試みるが、結局思い留まる。この場面ではタンゴのリズムは背景に退き、ヨーロッパ自由即興音楽風の無調フレーズが漂っている。この引き出しの多さが、ペーター・コヴァルトを2002年に亡くした後、齋藤をソロダンスのパートナーに選ぶ契機になったのだろう。今後は、年2回程度のペースで来日公演を考えているとのこと。
再びタンゴが始まり、生きる気力を取り戻したサスポータスは反対側の壁に向かう。音楽的にもダンスの身振りにもそれまでと変わったことは起こらないが、爪先立ちポーズは一貫して保つ。最後はスタート地点に戻り、動きも音楽も消え入るように終わった。客席には、齋藤の即興音楽公演によく足を運んでいる人々の顔は殆んどなく、ほぼダンス関係者のみで席は埋まったが、融通無碍に変転する音楽に着かず離れずのダンス、という関係性に戸惑っているようにも感じられた。
サスポータスが退場すると、西陽子が客席最前列から飛び出し、齋藤とのデュオが始まる。今回彼女が用意したのは、13絃と17絃の二面の箏。齋藤の曲は、終始ひとつの和音を執拗にパラフレーズするもの。アルペジオのリズムをずらしたり、和音を繰り返しながら構成音を微妙に変えたり、和音から派生した旋律断片が浮かんでは消えたり…… 途中、西がアルペジオを断片化する中、齋藤のパートが同音反復にまで切り詰められた場面など、サスポータスがステージ後方の扉から入ってくる絶妙のタイミングにも思われたが、結局最後までデュオで通した。情感は豊かだが、何かが欠けている音楽。後のMCによると、太田省吾の未完の新作のために準備した音楽だという。いわば追悼演奏だけに、サスポータスも参加を遠慮したのかもしれない。この演奏を通じて、齋藤と西の音楽が客席にも受け入れられた。
一度全員が退場し、今度は3人で登場。1曲目ではTシャツをスラックスの上から垂らしていたサスポータスは、今度はYシャツの裾をスラックスに入れている。ベルトを締める必要のない、体に張り付いたスラックスでは、下半身の大きな動きは無理。おのずと堅実なステップと上半身の動きで見せるダンスになるが、このような制限をあえて加えておくのが彼のスタイルなのだろう。これ以降の前半は、上半身の動きも抑えた静的なダンスが続いた。簡単なMCの後、まず3人でヴィオレータ・パラ《ありがとう、命》。西が歌詞の日本語訳を朗読し、齋藤がメロディを弾くスタイル。ふたりと奥の壁の間の狭い空間でサスポータスは踊っていたため、気を遣った齋藤は楽器をステージ前方まで引きずってスペースを空けたが、彼のダンスは変わらなかった。この曲は齋藤と高田和子のデュオでの定番レパートリーだったので、前曲同様に追悼の意図が込められていることを察したのかもしれない。
ここで齋藤は舞台脇の客席近くに腰を下ろし、以後は西とサスポータスのデュオになる。齋藤とのデュオで始まったことに呼応した構成だが、この日の西は一介のゲストではなく、齋藤と対等な共演者だった。まず、箏の古典《六段の調》。西はもう一面の13絃を舞台中央に運び、正座して弾く。PAを用いるタイプの演奏を中心に、この会場での即興音楽公演には何度か足を運んでいるが、ステージを囲むコンクリートブロックに音が吸われ、響かない空間という印象が強かった。だが、この日の西の箏は実によく響く。胴に伝わった振動が、板敷きの床を通じて会場全体と共鳴しているのか、低い位置に楽器を置いたことで、床が反響板の役割を果たしているのかは不明だが、この会場への従来のイメージは修正する必要がありそうだ。思えばコントラバスも、なまじのジャズスポットよりも明晰に響いていた。
サスポータスは箏のすぐ前に仰向けになって踊り始める。段が進むごとに加速する曲であることを前提に、体の向きを変える程度の緩慢な動きから、徐々に運動量を増やしてゆく。次の段に進むと上半身を起こし始めるが、上体を45度起こして静止するようなポーズが続き、むしろ腹筋運動を続けるよりも苦しそうだ。その次の段で上体を完全に起こす頃には、額に汗が滲んでいる。さらに立て膝から四つん這いに移行して全身運動へと移ってゆくが、両膝のみで全身を支えてゆっくり回転する場面すらあり、むしろ動きが遅いだけに、負担の大きい所作になっている。この間、ダンスに合わせて曲を崩すことはない。音楽が古典的端正さを保っているからこそ、身体運動の奇矯さが際立つ。最終段でようやく立ち上がり、普通の緩いダンスに収束するが、そこから逆算するだけでも並外れた動きが生まれるとは。身体と直接結びついた行為ほど、反身体的なシステムから興味深い結果が生まれる。
前半最後は、松井茂の図形短歌(Aesthetics)を岡井隆が「日本語訳」したものに西が曲をつけた箏歌。ここでは琴台に置かれた13絃を使うが、数絃がクリップなどでプリペアされているのがポイント。サスポータスは歌は受け流し、専らプリパレーションが生み出す金属音やミュート音に反応した。歌詞に意味があるわけではないことは承知の上での選択なのかもしれない。彼は、《六段の調》では自分に視線が集まったことを意識してか、ここでは移動距離は大きく動きの密度は薄く、という方向性で自作を熱唱する西の影のように舞った。筆者がこれまで西を聴いたのは、現代音楽ないし即興音楽のアンサンブルに限られていたため彼女の声を聴くのは初めてだが、楽器演奏そのままの、余分な色付けのない真っ直ぐ伸びた声だった。
後半は3人の完全即興。齋藤は鳥笛を吹きながら弦に木ネジを挟み、さらに鈴を取り付けて叩き、あるいは楽器を床に寝かせて全体を打楽器のように扱ったりと、普段通りに特殊奏法を繰り出すが、この日は楽器の拡張や装飾ではなく、そこにある楽器がコントラバスであることを忘れさせ、純粋な「演奏する身体」を現出させる方向に働いた。西も、17絃と13絃を両方用いたクラスターの強奏や裏板を叩く打楽器奏法など、箏らしからぬ音響を取り出すことに専念していたが、彼女の場合は演奏する身体の方が消え、箏という楽器の可能性が浮かび上がる。サスポータスもこの開放的な空気に誘われたのか、舞台奥から最前列の客の頭の上まで、上半身をいっぱいに使って軽やかに舞ったが、身体を見せつけるエゴは見事に漂白され、運動の軌跡だけが空間に刻まれた。即興音楽としてもダンス公演としても、滅多に見られない異世界が広がっていた。殺風景なステージを唯一彩っていたのが、左と奥の壁に掲げられた乾千恵の書。何年も前から貼られていたかのように会場に溶け込んだ作品のオーラも、日本贔屓のサスポータスを異世界に誘う助けになったのかもしれない。
今回のツアーの残る日程は、東京圏のみ3公演。いずれもplan Bのような親密な空間である。10月10日の無料公演では昨年のツアーの演目が中心になるとのことなので、比較も楽しめるだろう。
(2007年10月6日 中野富士見町・plan B)
(c) 2007 Yoshihiko NONOMURA